アルプスから高尾山

国際結婚しスイスに5年住んで帰国した主婦が日本とスイスのギャップに弄ばれる

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ハレの日の珍事

次男の小学校の入学式を迎えた。

 

朝はいつも通りに起きたものの、

私と夫が何度声をかけても、なかなかスイカ柄のパジャマを脱ごうとしない。

「もう着替えないと時間になっちゃうよ」

「・・・」

次男は知的好奇心旺盛なタイプで、

得た知識を誰かに聞いて欲しいときは

雄弁をふるいだすと止まらない。

その一方で、自分の心中を言語化するのが苦手なようで、

何かうまくいかないことや気に入らないことがあると、

いじけた顔で何も言わずに膨れている。

この日も例に漏れず30分近く膨れていた。

何でもいいから考えてること言ってみてくれない?とお願いすると

「自分で考えて」と。

 

次男、まあ拗らせているのである。

その瞬間を生きている、マインドフルネスを地で行く長男と全く違う。

長男は入園→転園→入学→転校と、

親の都合で環境が頻繁に変わる幼少期を過ごさせてしまったからなのか、

あるいは彼の先天的な性格によるものなのか、

かなり変化に強い人間に育っている。

 

そんな兄を持つ弟は心配性。

スイカ柄で入学式出るの?

何も食べないで行くとお腹空いちゃうよ?

準備を促そうと何度も声をかけても、膨れっ面でただ首をぶるんぶるんと横に振るのみ。

 

そうこうしている間に、お願いしていた着物の着付けの先生がいらした。

そう、わたし思い切って着物を着ることにしていた。

これを逃したら、またこの先3年は着物が箪笥ならぬ衣装ケースの肥やしになるから。

本日の主役、着付けの先生に「おめでとう」と声をかけられても膨れたまま顔をそらすだけ。

我が子の無礼を謝りながら着付けてもらい、

横目で様子を伺うと、いよいよ観念したのか

夫に手伝われながらシャツに腕を通し始めた。

依然、膨れたまま。

 

私の着付けも無事に終わり、先生から「きれいです」と声をかけられ上機嫌な私。

最近の飲み会三昧のためスーパージャストサイズになったスーツに身を包んだ夫。

仏頂面に蝶ネクタイ引っかけた息子。

 

着付けの先生を送り出し、庭で写真を撮ったりなぞする。

息子は笑顔ゼロのくせに、写真の画角内には何となく収まる。

 

出発の時間になり、家族3人手を繋いで学校へ向かった。

道すがら近所にお住まいのご婦人とおぼしき方に「おめでとう」と笑顔で声をかけられた。

私と夫が笑顔でお礼を言う中、不機嫌を悟られまいと私の後ろに隠れる息子。

 

馴染みの公園に差し掛かると、目を見張るような満開の桜があった。

せっかくだから写真を撮ろうと公園に入る。

長男の友達らしき少年たちが、夫に気づき声をかけてきたので、

家族写真を撮ってもらった。

3枚ほど撮っただろうか。

そろそろ時間も迫るのでいざ小学生へ足を向けたそのときである。

 

ビリビリビリ

 

一瞬の出来事であった。

私の脇あたりに振動が走ると共に、脊髄反射で短くも、

まさに絹を裂くような私の悲鳴が朝の公園に響いた。

息子に袖を引っ張られた感覚が生々しく残る。

 

恐る恐る音のした方に目をやると、思わず目を覆いたくなる光景が。

いや、すぐさま覆うべきはパックリと開いた着物と長襦袢の方だ。

よく見ると、縫い糸が切れただけでなく、生地自体も少し破れている箇所がある。

幸いにも肌襦袢は裂けておらず、生肌は見えないので良かった。

いや、良くない。

 

15センチほど綺麗に袖の縫い目が裂けた着物。

「マジアリエナイ」と小声で漏らしながら、私は震えていた。

やり場のない怒りと絶望。

母、姉と、家族で大切に着回してきた着物。

 

遠くから怯えた夫の声が聞こえる。

「あ、安全ピンでも買ってこようか?」

 

「イラナイ」

 

着物と共に私の気持ちも裂けていた。

裂けたものは戻らない。

 

こんな日に息子を怒鳴るわけにいかない。

でもこの怒りを伝えたいと思ってしまう未熟な私。

世の中に一定数いる「謝らせ屋」の気持ちが分かる。

 

深呼吸でなんとか怒りを落ち着かせようとするが、

そんなのは建前で、出てくるのは「マジでムカつく」が乗ったドス黒い吐息のみ。

 

夫に促されて、消えそうな声で息子が私に言った。

「ごめんね」

 

その言葉を胸に、私は着物の裂け目を左脇にはさみ、

ぎゅっと脇を締めた。

 

校門の『入学式』の看板の前で写真を撮る家族たちを眺めていると、

初めましての家族の方に「写真撮りましょうか?」と声をかけられ、精一杯、脇を締めた。

しかし、脇を絞めながら自然な笑顔が作れるほど器用ではない。

夫だけが笑顔で写る家族写真。

 

式の終盤に集合写真を撮った際も、

脇を力一杯締め、それが自然に見えるようハンドバッグを持って映った。

 

脇を締めて半日をやりきった。

 

家に着くなり母親に電話し、袖を引っぱられて着物が裂けたと報告し、謝罪をした。

報告後、5秒ほどの沈黙の後の母親の言葉は

「なんで?」

だった。そして、

「ジャスコの閉店セールで買ったやつだから、そんなに気にしないで」と言われた。

母の寛容さとジャスコの懐かしさに目頭が熱くなる。

 

その日の午後は、モヤモヤしていた。

息子だって、初めての学校で友達もいないし、新しい環境に不安を抱いていただけ。

不安な気持ちでうっかり袖を引っ張ってしまっただけ。

悪気はない。

でもモヤモヤがモヤモヤし続けた。

そんな気持ちを晴らすために、

公園で卒園したての保育園のママ友たちに話を聞いてもらった。

それでもあとちょっと何か足りない気がしたので、

鉄棒で空中逆上がりをして帰った。

 

こんな母親をこれからもよろしくお願いします。

息子の転校

引っ越しを機に息子が転校することになった。
とはいっても引っ越し先は前のアパートから徒歩10分の距離のため、
転校先は隣の学区の小学校。
すでに一緒に習い事をしている友達や幼稚園でクラスメイトだった子が数人いたり、あまり心配はしていなかった。

登校初日の始業式の日から友達と一緒に行かせるつもりでいたが、
事前に転入手続きに来た際に、対応してくれた先生から「できれば初日だけは一緒に登校してほしい」と言われた。
始業式は付き添わずに送り届けるだけでOKとのことだったので、一緒に登校することにした。

そして当日。
息子は緊張した様子もなくセカオワのhabitの鼻歌を歌いながら学校への道のりを歩く。
そんな息子と学校へ到着すると「転入生ですか?」と先生らしき人物に声を掛けられて
登校する生徒がワチャワチャしている校庭を抜けて校舎内の図書室へ案内された。

そこにいた転入生担当らしき先生の話によると、親には始業式が終わるまで付き添っていただけるとありがたいと言う。
いや、先日の転入手続きの際は違う先生に送ったら帰ってOKと言われたんですけどー
と喉まで上がってきた言葉が喉ぼとけで引っかかってるタイミングで隣にいた別の転入生のお母さんが
「え、うち下の子の準備があるんで…途中で退出してもいいですか?」って言ってて(だよねだよねー!)となってたら、
先生が、「大丈夫です。ただ、始業式の最後に転入生の紹介があって、壇上に上がって自己紹介してもらいますので…よろしくお願いします」と言った。
いや、そんな息子の晴れ舞台を見逃すわけにいかんだろ。
しかも、ランドセル以外にズタボロの防災頭巾も持たせてる息子をこのまま壇上に上がらせるわけにはいかない。
ズタボロ防災頭巾のせいで初日から笑い者にされたなんてエピソードを後から息子に聞かされたりしたら
やるせない。
私は荷物持ちとして残るしかない。
先生たちよ。なんでそういう大事なこと前もって教えてくれないの。

始業式は校庭で行われるとのことで、転入生と親たちも先生に引率されて生徒がガヤガヤしている校庭へ移動した。
転入生たちは学年もバラバラだが、学年ごとに並ぶ生徒たちに混ざらず、端にいた5年生の列の隣に1列に並ばされた。

校庭の隅っこで職場にちょっと遅れると連絡すると間もなく、始業式が始まった。

始まった。よね?え、なにこれ。なんでずっとガヤガヤしてんの。

前の学校では、運動会等の行事で校庭で進行役の先生がマイクで話し始めると
談笑していた生徒たちも数秒のうちに静かになっていた。
校長先生の長ったらしい話にもきちんと付き合い、特に低学年は校長先生がおはようの挨拶をすれば「おはよーございます!!」だし、
話の途中で「…してください」等と言えば「はい!!」だったのに。
同じ市内の小学生なのにこれほどまでに違うのか・・・。ガヤガヤガヤ。

そして全体的にガヤつく中、隣の5年生の列の中に明らかに雰囲気の違う3人組の男子がいた。
おしゃべりを止めないとかじゃなく、もう列をなしていない。
前へ後ろへ歩き回って、ふざけたことをしてゲラゲラ笑っている。
そして周囲の子たちもそれを見てみぬふりという訳でもなく、完全スルー。
きっと彼らはいつもこんな調子だからなのだろう。

私も日本の田舎で30年前に小学生をしていたが、こんな雰囲気の子たちは小学生にはいなかった。
中学生になるといわゆる不良グループみたいなのがいたけれど、
いま私の目前でふざけているのは小学校5年生だ!
私の頭の中で聞き覚えのある曲のイントロが再生された。
チャラッチャッチャッチャチャーラ
チャラッチャッチャッチャ チャラララ ドン


ちっちゃなころから悪ガキで 15で不良と呼ばれたよ


だったよね昭和は。15だったよ。
でもこの子達はまだ10だよ。不良と呼ばれるのに15までかからんだろう。
髪の毛こそ染めてなかったけど、いや、そういう私の息子は茶髪だからややこしいが、
令和の小学生女子はインナーカラーとかしてるのもついでに目の当たりにしたんだけどさ。
不良の定義ってなんだ。

横目で彼らをチラチラ観察しながら始業式はどんどん進み、担任紹介が始まった。
教頭が、気持ちガヤガヤのおさまった生徒たちを前に順番に発表していく。
「〇年〇組、○○先生です」

発表後に、キャー!とかイェーイ!とか派手なリアクションや歓声が上がる先生もいれば、
特にリアクションがない先生もいる。
一番酷なのは、新任で今日初めて生徒の前に立った先生たち。
彼らの名前が担任として発表されると、「誰やねん!!!」と叫ぶ声が聞こえた。

例の3人組のいるクラスの担任はギャルっぽい雰囲気の30代くらいに見える女教師。
生徒からのなかなか良いリアクションに本人もニッコニコ。
だか、相変わらずふざけ続ける3人に「最初が肝心‼︎」とドスの効いた声でピシャリ。
3人もそれに驚いたか赤面して整列した。
なんだ、まだまだ素直なところがあるじゃないか。

しかし、なんで全校生徒が集まる前で担任を口頭で発表する必要があろうか。
書面で貼りだしたらよいではないか。


そしていよいよ転入生紹介の時間がやってきた。
我が子のズタボロ防災頭巾を預かり、耳元で、「大きな声でゆっくりね」とエールを囁き送り出した。

5人ほどいる転入生のなかで我が子の登壇は一番最後。
髪の毛が茶色いことにより、例の3人組から目を付けられやしまいか。

1人目から4人目まで、皆同じような調子で学年と名前を言い、「よろしくお願いします!」と言って礼をした。
生徒たちはまばらな拍手をするくらいで、リアクションはあまりなし。
ここのコーナーは全員が「誰やねん」なはずなのに、その叫びは聞こえなかった。
我が子も前の子たちに続き自己紹介を終えた。
「誰やねん」も、茶髪のザワツキも私には確認できなかった。

始業式が終了し、私はズタボロ防災頭巾を息子に託し、担任の先生に挨拶をして急いで職場に向かった。

帰宅後、息子に始業式の自己紹介、どうだった?と聞いてみると、
名前を呼んでくれた旧友がいたとのこと。嬉しくて泣けるぜ。

そんな息子は始業式以降、毎日楽しそうに学校に通っている。
学校はどうか、髪の色でからかってくる子供はいないかと聞くと、
「僕はクラスで人気がありそうだ」とのこと。
なぜそう感じるのか?と聞くと
「僕は優しいからかな」とのこと。

この質疑応答のキャッチボールには違和感を感じるが、
まだまだ3年生。
自己肯定感が高いことは最強なので良しとする。

自己肯定感

私は子育てにおいてミスを繰り返している。

基本的に息子が学校からもらってくるお便りは流し読み、

あるいはタイトルで大して重要ではないと判断したものは読まない。

こんな調子なので、持ち物を持たせるのを忘れたりするのは日常茶飯事。

 

こんな状況は育児放棄と見なされそうだが、正直否定できない。

学校、保育園のあれやこれ。本当に面倒でやりたくない。ちゃんとやってない。

ただ、子供のことは大好きなのである。

小学校や保育園の事務的なお便りは流し読むが、

子供たちの様子を伝える内容のものは興味があるので読む。

もしものときに自分の身を守れるよう子供たちにはプールを習わせていて、

子供たちが泳ぐ様子を見るのは好きだが、

プール教室では子供が何級か覚えていない。

こんな具合である。

周りの子供たちの習い事に熱心な親御さんたちとの温度差を感じずにはいられない。

ちなみに我が子たちも習い事にそんなに夢中になっていなそう。

毎回行きたくなーいと言う。行ったら楽しそうではある。

 

昨日、子供の習い事の試合の日程を間違えて、彼のチームが出場しない日に試合会場まで連れて行ってしまった。

当の本人はまったく気にしていない様子だったが、

私は帰り道で自転車に乗りながら泣いていた。

情けない。恥ずかしい。

そんな感情が渦巻いて朝9時のフレッシュな太陽を背に泣いた。

 

周りの保護者の冷たい視線(私の想像の中ではすべてがネガティブに脚色される)がズブズブと身体中に刺さって抜けない。

 

一方、私と全く同じ体験をした夫はそんな私を見て驚いている。

「誰でも失敗するよ〜。

僕は子供のころからこういうことするキャラだし〜」

とか言ってる。

こういう出来事にダメージ受けないのかと聞くと

「子供たち無駄に早くから急がせてそこは残念だけど、

休日に早起きできて、朝の気持ち良い空気の中

子供たちとサイクリングできて良かったじゃーん!

今から何しよう?(with 満開の笑顔)」

 

この差である。

これ自己肯定感の差以外の何ものでもないのではなかろうか。

なんか悔しい。

 

私はやるべきことやらないくせに

周りの人たちにバカにされないよう虚勢を張る日々。

隣には周りにどう思われるかとか関係なくね?を地で行く夫。

健康診断の日の朝にうっかり朝ごはん食べて

「すいませーん!本当にごめんなさーい!」って検診先に電話して

日程変更を余儀なくされても

「残念だけどしょうがない」ですぐさま平常運転に戻れるメンタル。

昨日の一件もたぶん私が話題に出さない限り忘れてる。

 

そんな人といると私は流行りの繊細さんなのでは?HSPなのでは??

と思えてきて、

信憑な面持ちで「私やっぱりHSPだと思う」って夫に言ったら

「HSPの人、若いときそんなに毎週末クラブに行ってないと思う」と言われた。

そこで、私はロックな奴なんだと結論付けることにした。

社会の堅苦しいルールに縛られず自由に生きてる。

もちろんスケジュールにも縛られない。

行きたかったら試合にエントリーされてなくてもとりあえず行くし、

それでも試合に出してもらえなかったら

Fワード吐き捨ててまた自転車で旅に出る。

学校から息子が持ち帰る堅苦しいお便りは基本読まない。

あのこんまりも書類は全捨てって言ってた。

 

ロックだから笑いたければ笑い、泣きたいときに思う存分泣く。

 

この前、同じ学童保育に行ってる息子の同級生のお母さんに会った。

「この前の保護者会、行きましたか?」って聞いたら

「保護者?そんなのあったんですかぁ?」

って輝く笑顔で返された。

バリバリ働く看護師の彼女。

 

眩しかった。

 

ロックだった。

息子、小学校でハーフの洗礼を受ける

今日、ふと息子が私に言った。

「ママ、ナニコレ珍百景なんだけど」
何が?と尋ねると、
「学校でね、ほとんど毎日ね、誰かに聞かれることがある」とのこと。

ではクラスメイトに聞かれる質問とそれに対する息子の答えを見ていこう。


第一問
Q「英語しゃべれる?」
A「しゃべれるよ」
 答え:× 
息子は英語を話さない。
なぜ嘘をつくのか。英語学習が始まったときにウソがばれて、自分の首を絞めることになるのだよと言ったら、
「話せるじゃん!アポー!オォーレンジ!ピィーチ!」と果物の名前を3つ言った。
それは話せるとは言わないと伝えても諦めない。
「バターはね、バロー(BTSの曲が大好き)だよ!」
いや、単語4つ知ってるだけじゃ話せるとは言えないのだよベイベー。
なぜ、英語は話せないけどフランス語はちょっと話せる(正しくは、話さないけど理解できるのだけど)と言わないの?と聞くと、
「フランス語よりも英語がいいもん。英語習いたい。」と。
お父さんが聞いたら泣くよ。
そして私がフランス語で(フランス語話そうぜ!)、そしてすぐさま英語で(英語がいいなら家で英語で話してもいいんだぜ?)と
ブロークン・マルチリンガルの能力をひけらかしたら、
「ママはフランス語も英語もしゃべんないで。ママのしゃべり方ヘンだから」と一蹴されて泣いた。

第二問
Q「どこで生まれたの?」
A「スイス」
 答え:〇
彼はスイスで生まれた。雪の舞い散る冬の日に無痛分娩で誕生した。
果たして小学一年生の何パーセントが”スイス”という国を認識しているのだろうか。
私も自分がスイス人と出会う前は、「ヨーロッパにある中立の小さい国。あとハイジ」くらいのイメージしかなかった。
私がスイスに住んでいたと話すと、スイスは北欧だと思っている人が一定数いる。
あと、言語はスイス語?ともよく聞かれる。国語が4つもあるのでちょっと説明が面倒。
息子が「スイス」と答えたあとの友達のリアクションが気になるし、
息子が「スイスってどこにあるの?」などと質問返しされたときの回答も気になる。
(みんな知らないと思って適当なこと言ってそう・・・)

第三問
Q「ナニ人?」
A「スイス人」
 答え:△
彼はスイス国籍と日本国籍の両方を取得しているので、スイス人であり日本人でもある。
これは彼に説明し、次回もし同様の質問を受けた場合は、「スイス人と日本人だ」と答えたら?と提案すると、
「スイス日本人って言う!」とのことだ。はいどうぞ。


そして私は息子に聞いた。
「なんでみんなあなたにそういう質問をしてくるんだと思う?」と。
すると、息子は「髪が茶色いからかな」と答えた。
クラスメイトの中には、「髪は黒い方がいい。日本人だとすぐ分かるから」と言ってくる女子もいるそうで、
何だか複雑な気持ちになった。

人口の4分の1(また増えてる⁉)が外国人と言われるスイスにいれば、小さいころから当たり前に多様な人種と生活していくことになるので、
こういう発言は良くも悪くも日本らしいと感じる。
息子が初めて行ったスイスの保育園にも、多数派はヨーロッパ系ではあるが、アフリカ系、アラブ系、そして息子を含むアジア系の子供たちがいたし、
先生だってスイス人だけではなく、めちゃくちゃ訛りの強いイタリア人女性もいたりなんかして、雰囲気がよかった。
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日本も私が子供のころに比べれば外国人居住者が増えているとはいえ、スイスとは比べ物にならない。
ハーフの子育てについて数年前に心配していたことが現実味を帯びてきたようだ。
お母さんは見守るし、話聞くよ。
ただ、嘘はつかないでおくれ。英語は話せるんじゃなくて、単語を4つ知ってるに訂正しておくれ。

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小学校の授業参観

初めて小学一年生の息子の授業参観に行った。

コロナの緊急事態宣言の合間にめでたく強行され、
初めて息子の小学校での様子が見れる機会となる。

家では彼に宿題や身の回りのことをさせるのに非常に手こずっているのだが、
夫も私も「学校ではそれなりにやることやっているだろう」
「やっていなければ先生が何か我々に言ってくるはず」と思っていた。
親だから甘えちゃうよね・・・と。

そして、待ちに待った授業参観。


私にとって久々の「学校」という環境に、昔の思い出がフラッシュバックする。
板書する先生のチョーク癖。
息子の男性の担任は、何か書くたびに「コツン」とピリオド打っちゃうタイプの人だった。
そんな先生いたな。

そして授業参観の我が子のハイライトは以下の通り。

・先生がみんなにハサミを出すように指示を出したとき、最後まで出していなかった。
・授業45分間のうち、30分間は体が斜め後ろ~後方を向いていた。
・色鉛筆の削っていないほうを鼻の穴に突っ込んでいた。
・先生が「ハサミは危険」という説明をした後に、「使い方を間違えると命を落とすよ」と大声+ドヤ顔で発言していた。

幼稚園の参観日のことを書いたことがあるが、ちょっとだけ成長しただろうか。ハサミの危険性についての知識とか。

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でも、息子が始終後ろを向いてくれていたおかげで色鉛筆を鼻に突っ込む瞬間もよく見えたし、
他の子の工作を手伝っているのも見えた。
サービス精神は満点だ。
本人が以前「先生の言っていることが分からないときは、周りの人がやっていることを見て真似している」と言っていたそれを、
今日もたくさんしていた。
私の見解は「最初から周りばかり見ているせいで、肝心の先生の話が入ってこない可能性が高い」である。

そして、他人の子供をとやかく言うつもりはないが、
周りを見渡せば、本当に個性豊かないろいろな子供たちがいた。


隣に座る女の子の二の腕をプニプニつまんで喜ぶ少年。
まだ2時限目なのにマスクの7割がヨダレで濡れて変色している少年。
先生が他の生徒と話しているのに、一番後ろの席からお構いなしに先生を呼び続ける少女。
先生がみんなに指示したことを、もう一度、自分の言葉で隣の少年に指示を出す少女。

うまい言葉が見つからないが、一人一人それぞれが、一生懸命生きている感じが伝わってきた。
先生の話をきちんと聞く子も、女の子の二の腕プニプニしている子も、毎日たくさんのことを経験し吸収して、今この瞬間もすごい勢いで成長していて、あっという間に大人をウザがる思春期に突入するんだ。
子供の成長ってすごい。

教室の中でそんな白昼夢に片足踏み入れてしまったけど、ふと我にかえると目の前はカオスで、
これに週5で朝から昼過ぎまで付き合っている担任の先生に対して感服の念が込み上げてきた。
私なら3日で辞表出します。
しつこく好き勝手に主張してくる子供たちをないがしろにせず、ちゃんと順番に話を聞いてあげていた先生。
仕事だからできるのだろうか。
もしかしたら超有効なストレス発散の方法を体得しているのかも。


参観時間が終了した。
今日の夜、息子に伝えよう。
まずは、学校で友達と楽しく学んでいる様子が見れてお母さんは嬉しかったこと。
そして教室に飾ってあったアジサイの絵がとてもよく描けていたこと。

そう思って帰ってきた息子に学校の話を振ると「今日は遅刻したよ」とカウンターパンチ。
先生は何か言っていたかと聞くと、「準備を急いでください」と言われたそう。
ごもっともです。
最近の子供たちは、サザエさんのカツオが廊下に立たされる理由が理解できていなかったりするのだろうか。
あるいは、最近のカツオはもはや廊下に立たされなくなっているのだろうか。

私の小学校の担任は、指をポキポキ鳴らしてから指を生徒に選ばせて、その指でデコピンするのがお家芸だった。
そしてそんな体罰教師の彼は「デコピン」のコミカルさのお陰なのか人気者だった。
時代は変わったな。


最後に、参観についての情報を3枚のお便り(アプリ配信含む)に分けてお伝えしてくださる学校のやり方に、
ペーパレスの前にやることあるだろと文句をたれずにいられない。
しかも「学年だより」とか、いろいろな情報が混在するお便りの中に「授業参観について」のコーナーがある。3回に散りばめられつつ。
2枚目のお便りに「○○については1枚目のお便りを読んで」とか書いてあるの、突っ込み待ちですか。
「授業参観のお知らせ」1枚にしてほしいな。

小学生を持つ親がみんな”できる人”だと思わないでいただきたい。

さっき母親から電話が来て、何となしに「息子が朝の準備が遅くて、今日は遅刻した」と愚痴ったら「あなたも忘れ物とか多かったけどね」と30年前のこと逆に愚痴られてベロ出すしかできなかった。

“できる人”だと思わないでいただきたい。

親の責任

朝から夫にキレた話。

 

最近、小学1年の長男が話をなかなか聞いてくれないことがある。よくある。

パズルやレゴなどの遊びに夢中になると、朝も夜も、日常においてこなすべきタスクを全く自らやらないので困り果てている。

 

 

宿題をさせることから始まり、ご飯、シャワー、歯磨きなど、こちらから声がけを10回以上してようやく始めるか、それでも始めないので、もともとせっかちな私は非常にイライラする。

私のこと無視している?てか私、見えてますか?と自分の存在を疑ってしまうほど、綺麗に完璧に無視される。

私でなく夫が言っても然り。

例えるならテーブルの上の牛乳パックに向かって「冷蔵庫に入って!」と繰り返し言い続けているような気分になる。

宙を見る息子に向かい、「聞いてる?」「わかった?」を繰り返す日々。

 

 

ある日、イライラが募って、「あまりにお話聞けないと、先生に特別教室に行く相談しないといけないよ」と口走ってしまった。

これはいろいろな意味で最低な扇動の方法だと思うが、これを言うと息子に反応があった。

「やだやだ。やるよ!」

そう言ってようやく遊んでいた手を止めて動き出すのである。

 

そして今朝、また学校に遅れそうな息子に私がその常套句になりつつある禁句を発してしまったのを夫は聞き逃さず、咎められた。それを息子に言う必要はあるのか?と。

これから私も出勤だというのに、涙が溢れてきて、「あんたに言われなくたって良くないことだってわかってるよ!」と怒鳴った。

 

そんなこと言うべきじゃないのは当然分かっている。問題なのは息子ではなく、こんなことを言わずにはいられないほど良くない状態にある母親の私。

この悩みは、息子でなく私自身のために、スクールカウンセラーに相談した方がよいところまで来ているかも。

 

思い起こせば、幼稚園のころからクラスの担任から、息子は準備が1番遅いと言われてきた。

幼稚園のカウンセラーに息子はADHDなのでは?と相談をしたこともあった。

カウンセラーによると、兆候はあるが線引きはできないことなので、日常生活にそれほど支障がなければ気にしなくてよいと言われた。

ADHDというと多動症という認識だったが、多動以外にも様々な特徴があるらしい。

私の友達で、子供に発達障害などのレッテルを貼るのはどうかと思うと言っている人がいて、私も以前は同じように考えていた。昔はそんなのなかった、とか。

でも、カウンセラーから我が子にADHDの兆候が見られると聞いたとき、確かに私はどこかホッとしたのを覚えている。

息子に何かをしてもらうのが大変なのには理由があったのか。もう無理させずに見守ろう、と、そのときは思った。

 

だが、小学校に進学し、こうも毎日のように彼に「普通に生活」させるのに手を焼いていると、本人のためにも特別教室に行った方がいいのではないかと思えてくる。

 

息子に、学校の先生の話は聞くのか?と質問すると、聞いているけど分からないこともあると言う。

そんなときは先生に聞き返すことはせず、周りの子どもたちのやっていることを真似しているという。

うーん、これって普通なの?ハーフとは言え日本語はネイティブ。

てか普通ってなんだ。

 

宿題をやりたくないという息子に、ガミガミ怒鳴ってまで宿題をやらせることに、果たして意味があるのだろうか。

学校からは「初めのうちは親が宿題を見るように」と指示が出ている。しかし、今の私は、本人がやりたくないならやらずに学校に行って、先生に何か言われるだろうから、それについて自分で考えてどうするか決断してほしいとも思っている。

「宿題を見る」とはどこまでを指すのか。手伝うから一緒にやろうと促して、10分間も諭して、それでも嫌がってやらない息子に最後は「やらないとあれさせない」「やったらあれあげる」と、飴と鞭を出したり引っ込めたりする、大変よろしくない方法でやらせている。

そして最後の手段が「特別教室」なのだ。

でも、そこまでしている自分に非常に嫌気がさいている。そこまでして親が宿題をさせないといけないのだろうか。

 

今日も息子は教科書を一冊、家に置いていった。昨日の夜は全部ランドセルに入れたのに。

つい先日までなら、忘れ物を見つけ次第、自転車にまたがって息子を追いかけていただろう。

 

でも今日は諦めた。諦めることにした。

 

「育てにくさを感じている」という言葉はしっくりこない。

子供はきっと勝手に育つから。

私は、親の都合で子供を操ろうとして、ストレスを感じているだけのように思えて仕方がないから。

だからといって、お風呂に入らない息子をそのままにするのも何か違うと感じる。何度も諭そうとしたが、それが成功しない場合はどうしたらいいのか。

毎日、遅刻させず、宿題をやらせていくのは親の責任なのか。そのために世の中の親はみんな子供を怒鳴りつけているのだろうか。

自分の最低なやり方も含め、いろいろ悲しい。

人気の育児本も読んだりしているが、イタズラしたり言うこと聞かない子供を前に、そんなに落ち着いて対処できる親っている?逆に人としてヤバいんじゃないか?とか思う。

 

夫は、我が子がADHDかもしれないと思い始めていろいろと情報を収集し出してから、実は自分もADHDなのかもと言い出した。そして彼の母もそうなのでは、と。

 

彼も彼の母もマルチタスクが不得意で、物忘れが酷い。

 

気分が落ちこむのを全然PMSのせいにしたい。

 

最後に、息子は人の話を聞かない代わりに、自分の世界に入ると集中力と創造力がすごいと、親バカだけど感じている。

得意なことを伸ばしてあげたい。

 

たまに宿題を忘れさせて、遅刻もさせる。

 

それが私の当面の目標。

息子の告白

昨日の夜、家に着くと先に着いた長男が「シャワー終わったよ!」とドヤ顔で鏡の前に立ち、一生懸命に夫のクシで髪を撫でつけていた。

 

怪しい。

すかさず頭の匂いを嗅ぐと、皮脂と汗の混ざり合った匂い。とりあえずシャンプーのいい香りは全くしない。

「シャワーって、体濡らしただけじゃない?シャンプーもしてないでしょ?」

「したよ!」

「ウソはつかないで。髪をどんなにとかしたって頭が臭かったらカッコよくないよ」

「(泣きそうな顔で)どうせ何してもぼくはカッコ悪いんでしょ?サッカーも下手だし、カッコ悪いんでしょ⁈‼︎

わーんわーん」

 

サッカー関係ないし、今なぜその話を出すのかと聞いたところ、彼は思いもよらぬ告白を始めた。

 

去年の秋にサッカーの試合でキーパーをしたときのこと。

敵のボールを止めることができずに失点した。そのとき、2人のクラスメイトに言われたそうだ。

「キーパー下手だなぁ!」と。

それを8ヶ月も根に持っているのだという。

何かにつけてそれを思い出し、悲しくなるのだと言う。

 

さすが、生きにくさを感じている私の息子だわ!と感心したが、今は遺伝子の力に感動している場合ではない。

 

昔の私ならただ同情して、慰めることしか出来なかっただろう。

だが、今の私は生きにくさに立ち向かう術を習得している最中なのだ!

よくぞお母さんに話してくれたな息子よ。君はラッキーだ。

よし、お母さんと一緒に「ジャーナリング」を始めようではないか。

 

すぐに適当なメモ帳を与え、鬱憤を紙に吐き出すのだと教えた。

まずはイヤな気持ちになった原因となる出来事を書き留める。誰と誰に何を言われたのか。

すると息子が私に聞く。

「名前に「くん」はつけた方がいいの?」

誰かに見せることが目的ではないので、自分の書きたいように自由に、と伝えると、暴言を吐いた2人のうち、これからも仲良くしたい子は「〇〇くん」、幼稚園以降会わないし、特に好きではなかったもう1人の子は呼び捨てにする、と決めたようだ。

いいぞ、その調子だ。

 

そして、出来事の後に自分の気持ちを書くように言うと、

 

びっくりした。

やだったよ。

 

などと書いた。

 

と、隣でその様子を見ていた次男も参加してきた。

「ボクもねぇ、保育園で〇〇ちゃんに言われたよ!」

「そうだったの⁈ 何て言われたの?」

「おバカさんって言われた!」

 

おバカさん。

親が私と同世代だけに、響きが昭和でかわいいなと思いつつ、彼にもノートを用意することを約束する。

 

 

長男は三言だけ書き殴り、もうスッキリしたようで、古代生物の動画鑑賞を始めた。

 

こういう悩みとか、いつまで共有してくれるのだろうか。

声変わりした声で「っるっせーな」と言う思春期の息子を最近やたら想像してしまうんだけど、何なのこれ。

 

私も長男も過去や未来に縛られてるな。

 

修行の道のりはまだまだ長い。