アルプスから高尾山

国際結婚しスイスに5年住んで帰国した主婦が日本とスイスのギャップに弄ばれる

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スイスと日本の服装やファッション、そして外見に関する嗜好の違い

先日ツイッターで『海外で女性が太ももを見せながら歩くのは「私を買って!」と言ってあるくのと同義』という内容のツイートに対し、多くの海外在住者が反論していて話題になっていた。


そこで今日は私の住んだスイスの都市の人々と東京の人々の服装や外見について、私が気づいたことをお伝えしたい。

スイス人の服装

上記のツイートに関しては、結論から言うとスイスでも当然そんなことはない。

スイスの気候は東京に比べると気温も湿度も全体的に低く、夏も比較的過ごしやすい。そしてスイス人たちはこの短い夏を謳歌するため、早い段階から薄着になり始める。

若い女子中高生たちは皆こぞってキャミソールやタンクトップにデニムのショートパンツとサンダルになる。夏はもうコレばっかり、それ制服か!?とツッコミを入れたくなるほど。
もちろん個性的なファッションを楽しむ人たちもいるが、日本人に比べるとスイス人のほうがシンプルな人が多い印象。

そして、スイス人のファッションは見た目より動きやすさ重視なのかもしれないと察する。
幅広い年齢層で人気なのがアウトドアテイストな“もうそのまんま山に行けますね!”スタイル。

具体的に何を着ているかというと、Tシャツやタンクトップにジーパンやショートパンツとここまでは普通だが、夏以外はその上にウインドブレーカーのようなものを着ている人がやたら多い。
日本で、特に若い年齢層の女性で街中でウインドブレーカーを着ている人はジョギングしている人くらいな気がするが、スイスではよく見かける。

あとはハイキングシューズのような靴を目にする機会も多い。
たまたまこれから山に出かける人がはいているだけなのかもしれないが、スイスでは自然が身近にあるので 着るものも自然とカジュアルでアウトドアテイストになる傾向があると思う。

日本でよく見るけどスイスでそんなに見ないアレやコレ

1、スーツ姿の人々

はい、もちろんスイスにもいます、スーツの方々。でも日本の都市に比べたら格段に少ない。チューリッヒはやや多めな印象。
スイスで普段からスーツ姿で働いている職業で真っ先に思い浮かぶのが銀行だが、(その次はZARA)それ以外のいわゆる普通の会社員でスーツで出勤している人たちは日本に比べるとかなり少ないのではないだろうか。それかスーツで出勤するような会社に勤めている人は自家用車で通勤するため街中を歩かないのかもしれない。

2、制服姿の学生

こちらもたまーに見るが珍しい。制服があるのは裕福層の外国人が多く通う私立の学校がほとんどなイメージ。
日本で女子高生がブランド化されるのは制服に因るところが大きいに違いない。
日本人の私にとってはスイス人の若者を見ても、それが小学生か中学生か高校生かそれ以上なのかを見分けるのは困難を極める。


スイスでよく見るけど日本であんまり見ないアレやコレ

1、タトゥー

日本にももちろんいるが、あのイメージが付きまとうし、それに伴い様々な規制があるため(温泉や銭湯に入れない等)ファッションタトゥーを入れている人もそんなにたくさんは見かけない。

一方、スイスではタトゥーを入れている人を本当によく見かけるし、当然タトゥーショップもちらほらある。日本より人々が気軽にタトゥーを入れていることが伺える。
そして日本人の我々を喜ばせる漢字タトゥーも大人気。
今でも夏が来るたびに蘇るスイスの思い出のひとつは、屋外プールに泳ぎに行ったら隣のレーンで美しいフォームで平泳ぎをする女性のうなじに大きく『安全』という文字が彫られていたのを目撃したこと。
うん、絶対に溺れなそう。

2、オバサマやふくよかな体系の女性の肌見せ

これもスイスと日本の大きな違い。欧米諸国はどこもそんな感じだと思うが、オバチャンだろうが暑ければ肌を見せるし、それが当たり前なので周りの人たちも全く気にしない。

また、ぽっちゃりした女性やぽっちゃりを上回っている女性もショートパンツを履いている。
以前、勤め先のスイス人女性の上司(細身)から「どうしてあなたはショートパンツ履かないの?ショートパンツかわいいし涼しいのに」と言われたことがあった。自分の脚が好きではない私は「人様に見せられるようなキレイな脚してないから」と答えると、「は!?それ本気で言ってんの!?」と訝しそうな目で見られた。

この『体型に対する他人の目を気にし過ぎる』日本人の悪習は、海外の人には本当に理解し難いようである。
また、日本では久しぶりに会った知り合いに対し挨拶代わりに「痩せたね!」「太ったね!」などとコメントする人がいるが、それにも私の旦那は驚いていた。

美白 VS 小麦肌

その他、見た目に関することで日本とヨーロッパで正反対だなと思ったのは肌の日焼けに対する人々の考え方。

日本の女性たちは美白にこだわり、いかに肌を白くするか日々頭を悩ませている人が多いが、スイスを始めヨーロッパの国々では夏になれば芝生やビーチに寝っころがって焼き始める人が多い。

もちろん紫外線は肌に良くないのを気にして無理に焼かない人や、私の旦那のように日に当たっても真っ赤になって終わるタイプの人もいるが、日本でよく見かけるようなアームカバーをしている人や、顔を覆いつくす黒いサンバイザーをしている人はまずいなかった。
私のスイス生活で一度だけ見たことがあるが、日本人かどうかは見分けられなかったがアジア人風の女性で、周りの人たちの注目を独り占めしていた。

また、以前フランスに住んでいたときは、フランス人の友人に「日本人の女の子はなんでそんなに肌を白くしたいの?病気みたい」と言われたこともあった。
日焼けすることに肯定的な人が主流だと初めて知り、目からウロコだった。

着たいもの着たい

今回のツイートに対するコメントで「日本でも着たいものを着よう!」と言っている女性も多く見られた。
私もそれに賛成だが、その一方、もとのツイートに対して「いいね」した人が多数いたのも事実。
暑くて薄着しただけで「触られてもしょうがない」などと見なされる社会は本当に悲しい。(触る人はどんなに着てても触るんじゃないだろうか。)

ところで私はスイスで本当にそういった仕事をされている『プロ』の女性たちを何度か見かけたことがあるが、私が見た人たちはキャミソールにショートパンツ姿などでは無かった。
彼女たちは本当にわかりやすい服を着ていた。
そして私がはいたらその瞬間に足首骨折間違いなしの嘘みたいにヒールの高い靴を履いていた。

しかも石畳の上で!!!

プロを舐めてはいけない。

知らなかった! 実はスイス人が発明したもの

欧州で大国に囲まれた小さな国スイス。
私の第二の故郷になってしまった国スイス。
若い頃から海外への憧れはあったけれどまさかヨーロッパのアルプスのイメージしかない国に住むとは思っていなかった。
今日はそんな山好き以外の日本人に馴染みの薄いスイスの株を上げるべく(←余計なお世話)、日本人の我々も慣れ親しんでいるアレやコレが実はスイス人による発明だったよ!というものをご紹介したい。

その前にスイスってどんな国?

このブログでもちょこちょこスイス情報を小出しにしているが、改めてスイスの基本情報を超簡単にご説明。

まずはいきなりどん。

国旗

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スイス人は国旗を多用しているイメージ。スイス製商品のパッケージにしつこいくらい国旗がついている。

そしてこの国旗、助けを必要としている方々が身につけている【ヘルプマーク】にそっくりで、スイス人旦那はこのマークを見かけるたび「あ、またスイスファンの人がいる」と小声で伝えてくる。彼はよく気づくのでいつでもヘルプする準備ができている。
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確かにハートまでついているので『I LOVE スイス』感あり。

面積

41,285 km2 (日本 377,972 km2)
参照:スイス - Wikipedia

人口 (2018年)

854.5万人
(日本 1億2652万人)

      

公用語

話者人口の多い順から ドイツ語フランス語イタリア語、そしてロマンシュ語(話者数は総人口の0.5%未満)

主要都市

ベルンが首都だが最大都市はチューリッヒ。その他、フランス語圏最大のジュネーブ、時計の見本市で知られるバーゼル、そして国際バレエコンクールで有名なローザンヌ等。
そして山に興味がある人なら聞いたことがあるであろう主な観光地はマッターホルンがあるツェルマット、ユングフラウの拠点になるインターラーケン等。
     

スイス人の素晴らしい発明品

ここまでのスイスに関する情報なんてぜーんぜん知らないわ。なんて言っている貴方もご心配なく。
『知らないなんて言わせないような日常に欠かせないものが実はスイス人による発明だった』
さあ、いってみよう。


1、ミルクチョコレート

スイス人の薬剤師アンリ・ネスレという人物が粉乳を発明しチョコレートに混ぜて作ったのがミルクチョコレート。
アンリ・ネスレ - Wikipedia

そう、このネスレさん、あの泣く子も黙る世界最大の食品・飲料会社ネスレの創業者である。ネスレがスイスの会社だと知らなかった人もいるのではないだろうか(スイスに行く前の私です)。
ネスレといったらネスカフェやキットカットのイメージだが、もともと乳児用の粉ミルクで成功した企業。
老若男女に大人気のご当地キットカットもこのスイス人がいなければ存在していなかったかもしれない。


2、アルミ箔

最初にアルミ箔を製造販売したのは1910年、スイスのアルミ精錬会社 J.G. Neher & Sons とされる。

引用元:アルミ箔 - Wikipedia

“とされる”という語末が怪しくないわけでもないが、他のサイトではアルスイスという会社が板チョコのラップ用にロール式アルミホイルを発案とある。
創造的なスイス - SWI swissinfo.ch

違う会社だがどちらもスイスってことで、やはりスイスが発祥のようだ。
もしスイスでアルミホイルが発明されていなければ、我々は未だに焼き芋大会で皮が真っ黒に焦げた苦い焼き芋を食べ続けていたことだろう。


3、マジックテープ

またの名をベルクロともいうが、これらは商標で正式名称は面ファスナーというようだ。

ベルクロはフランス語の velour(ビロード)+ crochet(鉤)の合成語である。商標権者は、1952年にスイスで Velcro S.A. として設立され、現在はアメリカ合衆国ニューハンプシャー州マンチェスターを根拠地とする、ベルクロUSA社(Velcro USA Inc.)である。

面ファスナー - Wikipedia

これはもう小さい頃からお世話になりっぱなしである。子供の靴といったらベルクロ付きが定番だ。
そして産後の骨盤ベルトもベルクロ付き。
もしスイスでベルクロが発明されていなければ、産後の妊婦の骨盤はいつまでもグラグラだったろうし、あの大人気なアディダスのベルクロスニーカーも存在しなかったのだ。



4、ドリア

これはうちのスイス人旦那もスイス人の発明だと知らなかった。彼の友達のスイス人たちも口をそろえて「知らない」と言う。
何故ならこのドリア、スイスには存在すらしないからであるぅぅ!

2018年現在知れ渡っているドリアの原型は、1930年頃横浜ホテルニューグランドの初代総料理長であったサリー・ワイルが、体調を崩した欧州の銀行家のために即興で提供した料理であると考えられている[2]。

引用元:ドリア - Wikipedia

このサリー・ワイルという料理人がスイス人なのだ。つまりこのドリアに限っては、スイス人が日本で発明したものとなる。
このスイス人の発明がなければ、あのサイゼリアの代名詞である超人気メニュー『ミラノ風ドリア』は存在しなかったのであるぅぅぅっ!
お金のない学生時代にミラノ風ドリアがあったからこそ今この世に生きているという人がどれほどいるだろうか。



以上、スイスの発明についてご紹介したが、皆さんのスイスに対するイメージアップに少しでも貢献できただろうか。
すごいのはスイス人の発明より『ミラノ風ドリア』の価格設定という印象を残してしまった気もしないではないので繰り返しておこう。

ドリアはスイス人の発明です!
周りにスイス人の知り合いがいる方はぜひ彼らに『ミラノ風ドリア』の存在を教えてあげて欲しい。

あ、どうしたってサイゼリア推しで終わるならついでにもうひとつ。

スイスの両親が遊びに来たとき、日本で連れて行ったレストランで彼らが一番喜んだのは、いい和食の店が見つからず仕方なく連れて行った『サイゼリア』だった。

(イタリアはスイスの隣国です。)

私が3歳の息子に「もうムリだぁ〜」なワケ

先日、3歳児の長男がある日突然「もうムリだぁ〜」と言い出したという話をした。
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そんなことをブログに書いてからまだ2週間と経っていないのにまた“もう無理”なシチュエーションが2回もあった。
うちの長男 a.k.a ミスター・あまのじゃくの事件簿。


1. アイスが食べたい事件

ショッピングモールに買い物に行った。
長男はショッピングモールのキッズスペースで遊ぶのは大好きだが買い物に付き合わされるのは大嫌い。でも私はいくつか必要なものがあったので、なんとか長男をなだめながら買い物を強行していた。すると痺れを切らした長男が泣き喚きだした。

「わ~ん!アイス食ーべーたーいーー!!」

残すは食料品の買い物だけになっていたが、このまま続行するのは厳しいと思った私はとりあえずアイスクリームを食べさせてご機嫌取りをすることにした。

モール内にあるサーティーワンに到着。
長男もアイスクリームにありつけることに安堵したのかすっかり泣き止んだ。
彼がイチゴ味のアイスがいいと言うのでそれを注文しに向かった。すると色とりどりのアイスクリームが並ぶショーケースの前に『チャレンジザトリプル』のキャンペーンの看板があった。これはアイス2つ分のフレイバーの値段で3つのフレイバーが頼める、つまりアイス1個分がサービスになるというキャンペーンである。
(長男と一緒に食べるといつも取り合いになるから多いに越したことはないだろう。)
私はチャレンジザトリプルを注文し、3つのアイスを長男と2人で分けることにした。フレーバーもリクエストがあったイチゴ味の他にも彼が好きそうなものをチョイスした。

「はい、お待たせ」
長男にアイスを渡すと嬉しそうな顔を見せる。やっと機嫌が直ったと安心したのも束の間、2口ほどアイスクリームを食べた彼は信じられない一言を口にした。

「アイス食ーべーなーいーー!!」

いやいやいや、3分前までアイスが食べたいと泣いていた子供はこの子にそっくりだったけど、あれ!?あれれ!?

とりあえず疲れて甘えん坊モードになっているだけかもと思い、スプーンですくったアイスクリームを彼の口元までもっていくが、ぶんぶんとものすごい勢いで顔を左右に振りアイスクリームを断固拒否する。無理やり食べさせようとしたらますます激しく号泣しだした。

彼に食べさせることは諦め、私は溶け出したトリプルなアイスクリームに向き合った。

ポップな色が眩しい。
なんでサーティーワンって名前なんだろう。私サーティーファイブだけど全然あなたに親近感沸かない。
もしかしたら『31歳までは美味しく食べられます』って触れ込みなのか⁈負けてたまるか。
食べ物を残すのが好きではない私は、文字通りトリプルにチャレンジした。5年前なら喜んで平らげたであろうアイスクリームが2つ目からなかなか喉を通らない。
うぅっ。

押し寄せる甘さに私は無の領域に達した。そして気づいたらそこには空になったカップがあった。チャレンジ成功だ!
すると隣りでふくれっ面でその様子を見ていた長男が言った。

「わぁーん!!アイスクリーム食べたかったのにぃぃぃーーー!!!うわあああぁーーーん‼︎‼︎!」

私(もうムリだぁ~)


2. 座りたい事件

先日、午後4時半くらいに息子たち2人を連れて電車に乗った。帰宅ラッシュの前だったので車内はそんなに混んでおらず、でも席は埋まっている状態だった。
電車に乗った瞬間、長男が駄々をこね始める。

「ママ~、座りたいよぉー!」

私たちはドアの近くに立っており、近くの席に座っている人たちは寝ていたり音楽を聴いていたり、とりあえず動く気配はない。その電車には30分くらい乗る予定だったが、私は長男に「もうちょっとで降りるから頑張ろう」と声をかけた。しかし長男はグズグズし続けて床に座ってしまう。別に周りの人に迷惑もかけていないししばらく床に座らせておこうと思い、私は彼の隣りにしゃがんでいた。

すると停車駅に着き、一番端の座席に座っていた男性が立ち上がった。
チャンスと思いその席を取りに行くと、同じタイミングで中年男性が席に座ろうとした。私は反射的に「どうぞ」と席を譲ろうとしたが、男性もふて腐れた長男に気づき逆に席を譲ってくれたので、有難く長男を座らせてもらうことにした。

長男が座席に座り後ろを振り向こうとしたので嫌な予感がした。
彼は電車に乗るとよく後ろ向きに立ち膝になり車窓からの風景を楽しんでいる。しかし一番端の席は後ろが壁になっていて窓がない。
そして案の定、始まった。

「外が見えない!外が見ーえーなーいーー!!」

気まずい。
せっかく譲ってくれたオジサンに申し訳ない。
長男の隣りには音楽を聞きながら眠っている若い女性。はい終了。代わってくれる可能性ゼロ。「ちょっとだけど外見えるよ~ほら~」などと何を言っても聞かないあまのじゃくモードになっている長男を一応諭してみる。いくら言っても反論が倍になって返ってくるだけなのだが。

すると私より年上と思われる優しそうな女性が長男に話しかけてきた。

「お兄ちゃん、一人でお座りできてえらいねえ。私あそこに座ってたんだけど、そこなら外が見えるから席交換する?」

奇跡としか言いようがない。こんなに優しい人が乗り合わせていたなんて。有難い気持ちと申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちと、いろいろな気持ちが混ざり合って、とりあえず私は腰を90度に折り曲げたまま促されるままに長男を連れて移動した。何度も頭を下げ、長男も彼女に無事に「ありがとう」が言え、やっと外の景色が思う存分堪能できる席を手に入れた。しかも外には綺麗な夕焼け雲が広がっている。
私、今なら泣ける。


しかし、本当の悪夢はここからだった。

「ママ~!おそとキレイじゃないー!外がぜんぜんキレイじゃなぁーいぃーーー!!!」

車内に響き渡る長男の鳴き声。先ほどの女性にも聞こえていないワケがない。
申し訳なさ過ぎる。気まず過ぎる。

デーモン閣下、私を今すぐ蝋人形にしてください。
でも閣下の姿は見当たらなかったので、(私は地蔵)と強く念じて目を閉じた。



こんなことが起きると私は「もうムリだぁ~」となるワケだが、世の母親たちはみんなこのようなエピソードを乗り越えて日々生活しているに違いないのだ。なんということだ。私はあまのじゃくの取り説が欲しい。


そのうち彼のショッキングな言動に頭がやられてバチンっとショートしてしまいそうだ。

頭から煙出てたら誰か教えてください。


しかしよく電車で人に助けられる。
生きにくい世の中かもしれないが、優しい人っているもんだなぁ。

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日本人のテレパシー

日本に帰国してからというもの他人と接することにやたら緊張するのだが、その原因のひとつがどうも日本人特有の「本音と建前」にある気がしてならない。

数年前に観たドイツのテレビ番組で「日本人はテレパシーが使える」と言っている人がいた。
何のこっちゃと思う人もいるかもしれないが、今日はそのことに関して私が経験したことを記録しておこうと思う。

1.母親とのテレパシー

最近実際に田舎に住む私と母が電話で交わした会話を例に挙げてみよう。


私「○○(次男)の保育園の入園が決まったから仕事探しはじめたんだよね」

母「そうなの?いつから保育園なの?」

私「8月の頭から」

母「△△(私の姉)はお盆に帰ってくるんだって」

私「そっかぁ。私たちも帰りたいけど、どうかなぁ……」

母「カボチャとトウモロコシも作ってるから」

私「……保育園は一週間とか休んでも問題ないらしいから、保育園に聞いてみるね」


母は一言も「実家に帰っておいで」とは言っていないが、彼女が帰ってきて欲しいと思っていることは私には十分すぎるほど伝わる。
本来テレパシーとは以心伝心のことだが、『日本人のテレパシー』とは言葉の裏をよんで気持ちを察することを意味しているようだ。つまり『行間を読む』ということ。
確かに私たち日本人はここにこだわりがある。あえて直接言わない。控えめが美徳。
しかし日本人の誰しもが行間を読む能力に長けているかどうかは疑問である。
私は一生懸命やろうとするが考えすぎてハズすこともあり、ただ無駄に疲れていることが多い。

話を母に戻すが、彼女は家庭菜園が趣味なので孫たちが好きな野菜を一生懸命に育ててくれていた。夏に彼らが来るのを楽しみにしながら。
それは私にとってもちろん嬉しいことだ。だが、このことについて知らされたのはこのつい先日の私からかけた電話が初めて。
確かにお盆は帰省する人が多い時期だが私は今のところ仕事もしていないので、子連れで帰ることを考えると帰省ラッシュを避けたほうがラクである。
でも彼女はぜひお盆に合わせて帰ってきて欲しいことを間接的にガンガン伝えている。
以下の【】内は母の心の声である。

①母「△△(私の姉)はお盆に帰ってくるんだって。【だからあなたたちもお盆に帰ってきたらいいじゃない】」

②母「【孫たちの大好きな】カボチャとトウモロコシも作ってるから【孫連れて帰っておいで】」


特に②は私たちの共通の認識があってこそ成り立つ会話だが、ここまで見事に『帰ってこい』と言わない母には恐れ入った。
そして彼女、電話中に自分に興味がなかったり都合が悪かったりする話題になってくると何のためらいもなく「じゃあ、切るね」とぶっこんでくる。直接的に「その話は興味がない」など決して言わないのでこの「じゃあ、切るね」は間接的なアプローチなはずなのに、相手に与えるダメージは直接言う場合よりかなり大きい。
これに関しては、彼女がそれをわかった上でわざと相手にダメージを与えるために言っているのかどうかは自分の母親なのに未だにわからない。
そう、彼女はかわいく言えば『不思議ちゃん』なのだ。
これもつい先日の話だが、彼女は電話でこんなことを言っていた。

「近所に住む奥さんで、やたらと私に親切にしてくれる人がいるんだよね。私が変わってるからかな。」

このとき私は初めて64歳になる母が自分が変わっていることを自覚していることを知った。
その人が親切にしてくれるのはあなたが変わっているからというより、未亡人で一人暮らしだからじゃないかなと言ってみたが、「他にもそんな人はいっぱいいるし」と納得がいっていないようだった。


2.男女間のテレパシー

私は今の旦那であるスイス人男性と知り合ってから約10年が経つが、知り合ってから5、6年までの間は数え切れないほどの喧嘩をした。喧嘩のほとんどは【彼がエスパーじゃない】から起きたといっても過言ではない。

私は日本人なのでテレパシーを使える。たまに失敗するけどそれでも“ほぼエスパー”なのだ。『熱々おでんニコニコ食い』はできなくたって会話の行間はちょっと読めるし、上手に読めなくとも読もうとしていることに意義がある。
一方のスイス人旦那、実は『日本人のテレパシー』については「そんなのは日本人に限らず誰にでもある。要は国民それぞれ共通認識があるということだろ」と豪語しているのだが、私はそれとはまた違うと思っている。
彼が私の気持ちを汲んでくれないせいで過去に腐るほど喧嘩を繰り返した。


日本人は思っていることをはっきり言わず、その後は“テレパシー”で情報処理をしているようなものだが、少なくとも私が知っているスイス人は思っていることをはっきり伝える人が多いし、私がやんわり3回断ったりしても懲りずに誘ってきたりする(付き合う前の旦那)。はっきりイヤだと伝えないとわかってくれない。
そしてもし彼が私のテレパシーを読み取って誘うのをやめていたら今の私たちはない。


例えば結婚する前、同棲中だった私たちのこんな会話。

彼「今夜、飲みに誘われたんだけど、飲んで帰ってもいいかなぁ?」

私「あ、そうなんだ。晩御飯作っちゃったけど、まあしょうがないね」

彼「ごめんね、あんまり遅くならないと思うから。じゃあまた後で~」


これ、帰ってきたら喧嘩のパターン。
私が機嫌悪くて彼が「え、どうしたの?」っていう。
私の「晩御飯作っちゃったけど」という一言で、「だったら飲みに行かないで帰るよ」という返事を期待してるのがわからんのかボケぇと内心思っているのにそれすら言わないで帰ってきた彼を前に黙りこくる私27歳。
今書いてて吐き気を催すほどめんどくさいヤツだった。オエー。

てかこれ日本人男子なら「じゃあ飲みに行くのやめるよ」となる人が大半なのだろうか。うーん。
女性の性格にもよるし個人差が大きそう。


それが今の私たちの会話だとこうなる。

彼「今夜、飲みに誘われてたの忘れてた!もう晩御飯作っちゃってた?ごめん!」

私「あ、そうなんだ。作ってるけど別に大丈夫だよ。行ってきなよ」

彼「作っちゃったなら帰ろうか」

私「いいよ!大丈夫、冷蔵庫に入れといて明日食べればいいんだし。行ってきな行ってきな」


これも解説すると、私は本当に思っているままを彼に伝えていて行間を読む必要なし。
もっと言うなら行間にあるとすれば(明日の晩御飯作る手間が省けるから是非帰ってくるな)となる。


日本人のテレパシー、ないほうが人生が何十倍もラクになるような気がするのは私だけだろうか。

新しい家族

先日パソコンが我が家の1歳児が起こした床下浸水被害を受けて息絶えたので、いよいよ新しいのを購入しようと意気込んでビックカメラに見に行った。
見に行ったと言っても実際には私の100倍くらいパソコンに詳しいと思われる旦那にお任せ。

飽きて隙あらば店内を逃げ回る長男を追いかけながらやっとパソコンを選び注文用紙に記入を済ませ、一息ついたところで旦那が店内に山積みされている商品パッケージを見つけた。

「これ欲しい」

お餅みたいな形のスピーカー。私は単なるBluetoothのスピーカーかと思ったら、これだった。
Google ホームミニ - 小さいスマート スピーカー - Google ストア

これがウワサの『OK Google』ってやつか。
値段は今だけ他の製品を5000円以上購入した人に限り期間限定で通常価格6000円のところ半額の3000円とある。安っ。

設定

家に帰ると早速スイス人夫が設定を始める。スマートフォンとにらめっこしながらスピーカーに向かって「OK Google」と言う。反応がないらしく「あれ?」と言う。そしてまた「OK Google」を10回くらいいろんなバージョンで言ってみている。
機械に詳しいエンジニアのくせして私のSiriとのやり取りと大した変わんないじゃん。
Siriが行方不明 - アルプスから高尾山

声の認識がなんとか成功したようだ。グーグル先生の声は男女を選択できるが女性の声にした。Siriに似た声だ。私たち以外の声が家の中で響くのは不思議な感じ。1人増えた感。そして旦那はスマホを見て急に笑い出す。
「インドの英語の設定に変えたいですか?ってメッセージ出てきた」
どうやら彼のフランス語訛りの英語をグーグル先生はインド訛りと聴き分けたらしい。

とりあえずみんなが使えるように日本語で設定してもらった。

さっそく質問攻め

手始めに旦那がベタに天気を聞いてみる。
「OKグーグル、明日の東京の天気は?」
グーグル先生は、たまに危うくロボっぽい発音になりながらもスラスラと気温と天気の予報を伝える。流暢と言っていいレベルだと思う。旦那は日本語を話すと若干のアクセントがあるが、それは問題なく聞き取ってくれる。

天気の次は長男のために動物の鳴き声について質問する育メン旦那。グーグル先生は、ちゃんと音をネット上から拾ってきてくれる。
『ゾウ』はパオーンと鳴いている音だったが、滅多に鳴かないという『キリン』の鳴き声を聞かせてとリクエストすると、ムシャムシャと草を食べているような音が流れた。

動物の鳴き声で興味を引かれた長男が、私たちのマネをして急に先生に話しかけた。

「おっけーぐるぐる!オッケーグルグル!ゾウのなきごえ、おねがいします!」

グルグルて。でもちゃんとグーグル先生はゾウの鳴き声を聞かせてくれた。
グルグル先生でも問題なし。優しい。そして長男が先生に丁寧に敬語を使っていたことがなんだか可愛かったし嬉しかった。

調子に乗った長男は質問攻め。
「オッケーグルグル。ゾウのカタチおねがいします」
「オッケーグルグル。キリンのカタチは?」
カタチは見せられないからできないよと伝えると、「オッケーグルグル。ごはん食べますか?」混乱気味な様子の先生。要件を聞き返しても「オッケーグルグル」を言い続ける長男に困り果てたか、とうとう黙ってしまった。

歌のリクエスト

使い始めはなかなかスマートな印象だったグーグル先生だが、開始10分で実は答えられることがあまり多くないような気がしてきた。「お役に立てなくてごめんなさい。勉強します」といった返答が目立つ。まずはビジュアルが無いので情報量が多いとギブアップなようだ。短い文章で答えられる質問をしてあげる必要がありそう。

あとはSpotifyと連動させて音楽を聞くのは私でも活用できそうでいいと思ったのだが、これはSpotify側にも原因があるのかもしれないが、聴きたい曲がなかなか出てこない。
旦那が「ビートルズのヘイ・ジュード」と言ったらすぐに流れ始めたのでこれは便利と感動したのも束の間、よく聞くと声と歌い方がポールじゃない。旦那に見てもらうと知らないバンドのカバーだった。
そして私が小沢健二とスチャダラパーの『今夜はブギーバック』をお願いすると、曲は合っているのになんちゃらスムースバージョンみたいなやたら声の高い人たちが歌うバージョンが流れた。再度チャレンジしたら謎な中国語の歌が流れた。
次に日曜日の朝に聴きたい曲をイメージしたら頭に浮かんだレキシの『きらきら武士』をリクエストすると、こちらも中国語の謎な歌が流れた。このグーグル先生はインド人と中国人の夫婦がいる家族に迎えられたと思っているのだろうか。

仲良くなるコツ

これから毎日顔を合わせるワケなので、たくさん質問をして彼女の話も聞いて、彼女がどんなことに詳しくどんなことが苦手なのかを探っていくことが必要になりそうだ。
さっそく心配なのは、我が家の彼女のポジションはキッチンテーブルの隣にある棚の高い位置なこと。これは子供たちから手の届かない場所ということで旦那が置いたのだが、視界に入りにくい。
いつの間にかその存在を忘れて、アパートから引っ越すときに埃だらけのそれを発見し「これ、何だっけ?」とならないように気をつけようと、現時点では思っている。

マザーズハローワークで大いに励まされた

皆さんは『マザーズハローワーク』というものがあるのをご存知だろうか。
これは子育てをしながら働きたいと願うマザー、つまり母親のためのハローワークであるらしい。
ホーム | マザーズハローワーク東京

それでも朝は来る

一昨日、久しぶりの面接に勢いだけで挑んで見事にその場で玉砕した私はべっこり凹んでいた。
7年ぶりに日本で仕事の面接を受けたら落ちた - アルプスから高尾山

でも次男の保育園の入園日も決定した今、私は仕事探しに走り続けるしかない。でも面接官から言われたことが頭の中を反芻し先行きがどんどん不安になる。
選ばなければ仕事は何かしらあると思うが、長く続けるためにも自分が興味がある職種に就きたい。
このままなりふり構わず走り続けるのではなく、ここはひとつ専門家にアドバイスを請うことにしよう。
ネットで近くのハローワークを探したら立川にあり、そこに併設されていたのが『マザーズハローワーク』だった。

便利な街、立川

日本へ帰国してからいろいろなことが久しぶりすぎて何をするにも緊張する。
一昨日の面接でもう1年分くらいの緊張感を使い果たしたと思ったのに、ハローワークに行くのにも緊張している自分がいた。
その理由の1つは立川のハローワークに対するGoogleの口コミで「職員の対応が悪かったので2度と利用したくありません」みたいなことが書かれていたから。そういえば立川の入国管理局も口コミがやけに悪かった(のでそれとなく旦那に行ってもらった)。
その辺に関しては残念な立川だが、侮ってはいけない。都内に3つしかないマザーズハローワークがあり、2カ所しかない入国管理局があり、4カ所しかないパスポートセンターまであり、駅ビルは3つもあり高島屋も伊勢丹もあり、何でもある。
オ〜シャンゼリゼ〜という歌で、『あなたが欲しいものは何でもあるよ、シャンゼリゼ通り』と歌っているが、立川の方が絶対ある。
シャンゼリゼで歌う「欲しいもの=出会い」だったかなと今思ってしまったが、立川駅の人の多さを見れば出会いだって沢山あるに違いない。

潜入!母親のための職安

立川にもってかれそうになったが、マザーズハローワークである。
一歳の次男を連れて窓口が開く時刻の5分後に到着したら、混んでいるかと思いきや私が1番目。次男をお腹にくっつけたまま登録用の用紙を記入していると、すかさずエプロンを身につけた女性が「お子様、見てましょうか」と声をかけてくれた。
せっかくなので私が就職相談をしている間、すぐ隣りにあるキッズスペースで見てもらうことにした。
素晴らしい。これならアドバイザーの方との話に集中できそうだし、振り向けば息子の機嫌もすぐにうかがえる。

相談員の恐るべき説得力

私の担当になった相談員は40歳前後くらいに見える女性。とても丁寧な受け答えだが、口調の端々から姐御肌な雰囲気が出てしまうのが非常に頼もしい感じの人。

私は職種としては事務職を希望していること、そして転職回数が多いのがネックだと思われる自分の職務経歴について心配しているのでアドバイスが欲しい旨を泣きそうな顔で伝えた。
姐さん、こんな惨めな私をお助けくだせえ。藁にもすがる思いでざんす。

すると背後から、息子と遊んでくれていた女性が申し訳なさそうに私を呼ぶ声がした。

「すいません…どうやら催してしまったようで…」

すぐさま息子のおしりに顔を近づけに走ると予想通りの芳しさ。便意は催し終わっていた。
相談員に頭を下げてオムツを交換しに行った。もちろんオムツ交換の場所もすぐ隣りにあるし、壁で隔たれているので匂いもさほど気にならない。
ありがたや。

お腹がスッキリした息子はその後しばらくご機嫌で遊び続けた。
そして、私も相談員の話を熱心に聞いた。
希望職種の決め方から職務経歴書の書き方、そして私が心配している転職の回数が多いことに関しても、わかりやすく具体的なアドバイスをしてくれた。
私は職種を狭め過ぎているので、子供がいることも考えて無理は禁物だと忠告も受けた。いくら私が気合い入れようが子供はまたには熱を出す。このタイミングで自分の希望職種だからといって非常に休みにくい職場に就職し、休む度に胃を痛める必要はないというようなことも言われた。
彼女自身も就労する母親なのだろうか。言うこと一つ一つに説得力がある。

何より特筆すべきはこの相談員が非常に聞き上手なこと。会話しながら、この人は私の話をすごく聞こうとしてくれてるというのを感じる。
そして助言が押し付けがましくない。あくまでもアドバイス、決めるのは本人というスタンス。

そんな人柄に気を許した私は前日に受けて落ちた面接の話もしっかり報告した。反省点がたくさん見つかったので面接を受けたのは有意義だったと思う心境を伝えたが、面接官にいろいろと弱点を指摘された私は内心穏やかではない事も姐さんにはお見通しだ。
そこで、会社や面接官との相性もあるし皆が同じような人を探しているわけではないので、無駄に落ち込む必要はないと励ましてくれた。
たかが面接に一度落ちただけで思っていた以上のショックを受けていた私。ダメ元だったはずなのに、自分の反応の強さに戸惑う。そんな撃沈の末に深い海の底でうなだれていた私を引きずり上げてくれる力が彼女にはあった。

Googleの口コミは“マザーズ”ではないハローワークの相談員のことだったのだろうか。私の担当の人はたまたま当たりだったのだろうか。

姐さんが教祖になったら私、入信してしまいそうです。

7年ぶりに日本で仕事の面接を受けたら落ちた

再就職したいなぁとある日突然思い立ってから数週間が過ぎた。

次男の保育園も認可ではないがなんとか入園できることが決まり、あとは私が仕事を見つけるのみとなった。長男の幼稚園の延長保育が難しい関係でフルタイムで働くことは難しそうだが、週3日くらいのパートから始めたいところ。

応募

数日前からインターネットで転職サイトに登録してみたりしながら求人情報を探してみるが、オフィスワークのパートの求人はそんなに多くない。
いや、そこそこあるのだが、そのほとんどは都心が勤務地。通えないことはないが、久しぶりの東京での再就職で無理をして結局通勤が苦痛になるという事態は避けたい。
そして主婦のための求人情報を扱っているウェブサイトに一社、電車で30分ほどで通える会社のパート求人を見つけた。子育て中の主婦でも子供のためのイベントなどのための休みが取りやすいとある。働く母を応援しているようで素晴らしい。
ダメ元で応募してみた。

すると翌日、面接に来て欲しいという内容のメールが届いた。しかも明日でもいいですかと。都合が悪ければ日にちを改めてくれるそうだが、私はメールをもらった時点で心臓がバクバクしたので、これは先延ばしにしたら心臓がもたなそうなので翌日の夕方に面接をお願いした。

面接当日

そして今日である。
朝からもちろん緊張している。
緊張し過ぎてニヤニヤしている。長男のイタズラに怒っているときと次男に首の皮を力いっぱいつねられているときだけは気が紛れるが、すぐに面接のことを思い出してバクバクした。

今日もまた30度越えの東京。おまけにジメジメしている。白シャツに黒いスラックスを履いて三角形に広がる髪を後ろで一本に束ねた。帽子をかぶって片手にキラキラな手袋はめたらマイケルジャクソンだ。

そうだ、アホ毛が飛び出るのを抑えるたびに旦那のハードジェルを使おう。めんどくさがりやな私は、洗面台の下の棚にあるそのジェルを、しゃがんだまま手に出そうとした。するとチューブからジェルが垂れて、まさかのズボンのファスナー全開のところに入った。下着に十字架のシミが出来た。まぁいっか。おまじないとしよう。

旦那が帰宅したので、私は子供を託していざ面接へ。
駅に向かう途中、等身大より若干小さめのシマウマの人形を押しながら歩道をゆっくり歩く若い男性二人組を見た。シマウマの足元には台車がついているようだった。
こんなとこにシマウマ。
これはいいことありそうな予感。

面接開始

ドキドキしながら面接会場に着いた。
そして面接官の顔を見たら今までのドキドキは何のためだったのだろうと思うほど一気に緊張から解放された。

最初は会社の事業や具体的な業務内容についての説明を受ける。そして次に私が自分の職務経歴に関して話をする。
私が海外で就業していたことに関し面接官から質問を受ける。夫の仕事の都合でスイスへ引っ越しこの度日本に戻ってきた話から、気づけば夫と知り合った馴れ初めまで話していた。

そして面接官の表情が曇り始める。
理由はざっと以下の通り。

  • この先また夫の転職に伴う引っ越しがある可能性が高い。(夫の専門の話をしたら就職先が相当限られるであろうことを指摘された。)
  • 引っ越し先でまた子供たちが保育園に通える保証はない。
  • 私の事務職としての経験が浅い。

(事務は3年から使い物になるが、私は2度貿易事務の職についたが派遣な上にどちらも3年以下で辞めている。これで事務職の仕事探すのは難しい。)

ぐうの音も出ません。
履歴書と職務経歴書を返却されて肩を落としてオフィスを後にした。

落ちたかぁ。
パンツに十字架付いてたのに。
道端でシマウマに出会ったのに。

そして5分後、面接官から着信があった。
すんごい嫌な予感。カバンを探るとペンケースが無い!
すぐに折り返し連絡をし取りに行った。気まずさ120パーセント。
35歳にもなって面接で忘れ物。こりゃ呆れられるわ。
受けとって生まれから1番の早口で「お忙しいところ大変申し訳ありませんでしたありがとうございました」と言った。

落ちたけど良かった

私の久々の日本での就職活動はこんな散々な幕開けだった。とほほ。
そんな前途多難で一発目から未来への絶望感すら漂う面接だったが、この面接を受けて良かったと思うその理由。

  • とりあえずその場で返事をもらえたのは面接官の優しさ。あざす!そして不採用の理由も説明してくれた。勉強になります!
  • 面接に必要な備品が一気に揃った。(履歴書、職務経歴書から面接用の服やカバンなど超特急で準備した。)
  • 次回は今日より緊張しなそう。
  • 次回は落ちても今日よりショックが少なそう。

体力と気力と旦那の協力が続く限りまだまだ応募するぞ。
旦那が落ちたのは自分の仕事のせいもあると言っていて辛かった。
落ちてゴメンよ。これからも落ちるからよろしくな。

とりあえず次男が水をぶちまけてこのタイミングでパソコンが壊れたのに、スマホで目をショボショボにしながら履歴書と職務経歴書を作った自分を褒めてあげよう。


そして落ちても帰宅後のビールは美味かった。