アルプスから高尾山

国際結婚しスイスに5年住んで帰国した主婦が日本とスイスのギャップに弄ばれる

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姑と仲良くできない理由

夫から、私が義理両親に壁を作っていると言われた。

 

国際結婚だから言葉や文化の壁があるのは当たり前だけど、私はこの数年間でどんどん義理両親、特に姑との関係を拗らせている。

 

彼女は世話焼きで、私のことを気にかけてくれていた。

スイスに住んでいるときは息子を預かってもらったり、大変世話になった。

だが、このブログで3年前くらいにも愚痴っていたように、性格というか、価値観が合わない。

不思議ちゃんすぎてイライラすることも多く、日本に遊びに来たときも小さな衝突があったり、関係にしこりがある。

 

何で彼女に対してこんなにモヤモヤするのか、上手く言葉で説明できないが、自分の中で関係に影響を与えたのは、やっぱり「写真切られる事件」な気がしている。

 

これ友達に話すと決まって笑い話のネタとなるのだが。

ある日、スイスの義理両親の家に遊びに行くと、私が撮って彼女に送った私と息子の写っている写真がプリントされて冷蔵庫に貼られていた。

冷蔵庫には他にも数枚の写真がランダムに貼られていて、他にも私の息子、つまり彼女にとっては孫の写真が貼られていた。

 

そして数ヶ月後、再び義理両親宅を訪れ何となく冷蔵庫を見てみると、私と息子の写真は、私の写っていた左半分が切られ、息子がいる右半分だけになっていた。

この話を友達に言うと、大抵「ひどいね〜」なんてゲラゲラ笑われるのだが、もともと自己肯定感が非常に低い私にとっては、存在を否定されたようなショックな出来事だったのだ。

夫にそのことを話すと、「何を大袈裟な。お母さんは大して考えもせずに他の写真を貼るスペースを確保するために切っただけでしょ」と言う。

それに対し「それにしても失礼だよ」と反論してみるが、私のリアクションの大きさが異常だと言う。

しかも、私の写真を切った後も、何食わぬ顔で私と冷蔵庫の前でおしゃべりしたり、相変わらず感じの良い内容のメールを送ってくる義母にもモヤモヤする。

夫からしたら私が異常らしいが、私からしたら義母は宇宙人だ。

 

 

そして今夜、数ヶ月の時を経て夫から「両親との壁を作っているのが残念」ときた。

 

別に無視している訳でもないし、年末年始とか節目にはちゃんとスカイプで話すし、週一の定例スカイプに付き合わさせないでほしいと伝える。

同時に、自分に自信がなさすぎて、こんなちっちゃい(らしい)ことで傷ついたり、他人の目を気にしてストレスフルな毎日を送る自分を何とかしたいと思い悩む。

 

私の目標にしている人は、通勤時に見かけるママチャリのおじいさん。

車道の左側にある自転車マークの上をママチャリでマイペースに走り続ける彼の姿が羨ましくて仕方ない。

 

彼の姿を見るまでは、車道を走っていい自転車は車輪が細くてハンドルがグニャっと「つ」の字に曲がっているやつだけなのでは?という疑惑がつきまとっていたが、彼の堂々たるペダリングを目にし、その疑惑は消え去った。

彼の周りの車は猫バスを避ける木の如く、キレイに彼を避けて追い越して行く。

 

 

私はといえば、歩道と車道の間の、歩道側にある薄い灰色の部分からはみ出さないように自転車に乗る。

これ、夫からは危ないからやめろと言われるが、自転車マークの真上を走り続けることは、私にとって、車を運転する方々の邪魔になっているという意識に苛まれるためストレスを感じる。というか怖い。

 

車道と歩道の間の部分からはみ出さないことばかりを気にしていることが、私の人生そのものに思えて仕方ない。

 

私は、姑が生きているうちに自転車マークの上を堂々と走れる自信に満ちた人間となり、彼女の過去の行いなど水に流してまともな関係を築けるのだろうか。

 

ぶっちゃけ無理そうだけど、自己肯定感を高めるために、「自分っていいね!」と鏡の前で1日100回唱えることから始めたい。

(現時点での1日の最高記録5回。)

朝の支度

ブログの存在を忘れているうちに息子が小学校に入学した。

 

幼稚園の送り迎えがなくなり、少しはラクになると期待してした。

ラクはラクなんだけど、未だに朝から怒鳴り散らしてしまうのだ。

 

「靴下履いて!」

 

「歯磨きまだ終わらないの⁈

   もう何やってんの〜!」

 

そんな私を横目に夫は言う。

何でそんなに怒るのかと。

 

本人は遅刻している訳ではない。

ただ、他の人たちより遅めだとしても、間に合っている状態。

失敗しているわけではないのだから、

そんなに急かす必要はないじゃないかと。

 

もし遅刻したとしても、本人が先生に怒られて、どうするべきか学ぶだろうと。

 

 

はい、言われてみればごもっともですね。

 

私は何が欲しいのか。

息子がいつもギリギリで登校することで、親である私の評価が下がるのではと心配しているのか。

 

または、私自身がせっかちで、

仕事には余裕を持って到着したい人間なので、

その価値観を息子にも押し付けてしまっているのかもしれない。

 

それか、ただ単に、やるように言ったことをやらない息子にイラついているだけなのかもしれない。

 

今朝、出勤中に聞いていたポッドキャストに出ていた大人の女性が、

「私は母親からああしろこうしろと全く言われずに育ったため、失敗を繰り返して自ら学んできた。

親に感謝している」と言っていた。

 

 

朝から大きな岩で頭を殴られた気分だった。

 

 

 

 

約1年半ぶりにスイスに行った

というわけで、1月末から2月の頭にかけて夫の実家のあるスイスのフランス語圏に滞在してきた。
もうだいぶ前のことになってしまった。帰国の数日後ににブログを書き始めたのだが、完成させないまま就職をし、毎日の家事と育児と仕事と飲み会に追われ、気付けばもう4月である。
スイスから帰国して今日でちょうど2カ月がたったが、せっかくなので振り返ろう。

約1年半ぶりのスイス

2019年1月某日。空港に着くと、さ、寒い。スイス在住の日本人の友達は「今年の冬は寒くない」と2日前に言っていたのに。
到着時の気温は1度。東京の寒い方に住んでいる我々にとっても充分な寒さであった。

今回スイスに久しぶりに滞在し、やはり一長一短だが、いろいろと思うことがあったので、今回はそれについて書き連ねたい所存である。
「良いニュースと悪いニュース、どっちから聞きたい?」と聞かれたら必ず悪いニュースから聞くタイプなので、スイス・ネガティブポイントからいこうと思う。

スイス、やっぱりここがイヤ

バスの券売機

いつもなら歩く距離も、歩きたがらない子供連れとなるとバスを利用したくなる。
スイスに住んでいない私はパスなど持っていなかったので、バス停にある券売機で購入することに。
購入するために自分が利用するゾーンを選択する必要がある。
ゾーンのボタンを押すが何も起きない。壊れている。そういえばそんなことしょっちゅうあったな。イラつきながら懐かしさに浸る。
そう遠くない隣のバス停まで歩くことにした。

そこにはさっきの壊れていたのと全く同じ券売機がある。ゾーン選択のボタンを押すと、今度はきちんと支払うべき金額が表示された。
財布をモゾモゾ漁ってみると、小銭はない。
嫌な予感。
この券売機、お札が入らないのである。カード挿入口はあるが、これはクレジットカード用ではなく、プリペイドカード用。日本はバスの中でもスイカにチャージできるってのに、ここではそれもしてくれない。
小銭かプリペイドカードがない人間を歩かせる国、スイス。
えっと、2019年なんですけど。

ちなみにこのような街中でバスに乗るときは、運転手が乗車や降車の際に乗車券をチェックすることはせず、たまに現れる”コントロールする人”と呼ばれる警官風の制服を着た人たちが抜き打ちで乗車券チェックするために乗り込んでくるのだ。
見つかったら1万円ほどの罰金を科される。ちなみに電車も改札は無いので罰金システム。

私は一度も捕まったことはないが、たまに無銭乗車が見つかって、言い訳しながら住所や名前を尋問されている若者を見かける。


若者といえば、久しぶりにメトロに乗ろうとしたら、中心街のとある駅のホームにわんさかいた20歳くらいの若者たちのガラの悪さに驚いた。
いやいや、話せばいい子たちかも、でもそうじゃないかも、それはここ日本だろうがどこの国だろうが同じ。
こんなにスイスに文句垂れてる私が言っても説得力ないだろうが、「○○人だから○○だ」と決めつけたくないスタンスです、私。
(いや、マジで。)
でも私が言う「ガラの悪さ」っていうのは雰囲気の話でして、具体的に説明させていただきたい。
まず、女子はこれでもかとアイラインを引き、男子は刈り上げの短髪が多い。
女子はレギンスかスキニーパンツ、男子もパツパツ系か足首にかけてシュッとしてるジャージ。足元はスニーカー率が高い。(石畳多し。)
何だか攻撃的な雰囲気。警察が来たらいつでも逃げられる。
スイスに来て改めて日本で流行りに流行ったワイドパンツの漂わせる、あの何とも言えない優しい雰囲気に気づいた。あれを履くと立ち振る舞いも穏やかになる。ワイドパンツ履いてて警察に追いかけられてもパンツが風の抵抗を受けるし、もつれ合って速く走れないに違いない。
てか例えば万引きするのにわざわざワイドパンツなんてはいて行かないだろう。いや、油断させるためにあえてはくってのもありえるな。

何だかスイスの若者をディスってワイドパンツを称えただけだが、今日はこの辺で筆をおく。そんな日もある。
スイスに行って思ったことはまだまだあるので、次回は久々のスイスで再認識したスイスの素晴らしさについて語りたいなぁなんて、春の木漏れ日に包まれながらぼんやり思っている。
ぼんやりしているのは昼間から花見でビールをひっかけたからである。

帰ってきてから1年が経つ前にもう1度くらいはブログを更新したいなぁ。

ぼー。

スイスでもU.S.A.

このブログを読んでくださっている方々の中にはスイス在住の日本人の方も多いようで、
メルシー!ダンケシェーン!グラッチェ!(以下省略)

私がスイスに住んでいたころは日本の流行りにとても疎くなっていた。
もともと流行りには疎いのだが、日本にいると街中やスーパーで流行りの曲がかかっていたりするので嫌でも情報が入ってくる。
それが海外にいるとどうだろう。自ら探しに行かない限り、全く情報が入ってこないのである。
あ、ピコ太郎だけはジャスティンビーバーが彼を国際的スターにしてくれたおかげで例外的にこの山のふもとスイスまで情報が届いた。


スイス在住の日本人の方々、今、というか去年の夏から日本で流行りに流行っているこの曲をご存じだろうか。

www.youtube.com

そう、我らがDA PUMPが史上空前の大旋風を巻き起こしているのである。
あれ、DA PUMPってなんかメンバーが一人、また一人と問題を起こして消えてったんじゃなかった?
私もそう思っていたが、いつの間にかボーカルのISSA(イッサ)が新しい仲間を引き連れて復活していた。
え!4人より多くね?

そして気付けば街中でDA PUMPのこの大ヒット曲『U.S.A.』を耳にするようになっていた。
試しにYoutubeで何度か動画を見てみる。サビのメロディーはキャッチーすぎて一度聴いたら最後、頭の中でループするし、ジャンプしながら腕を振る、通称"いいねダンス"は一度見ただけで踊れてしまう。
この曲は私たちの想像を遥かに超える恐ろしい中毒性を秘めていた。

「カ~モンベイビーアメリカ」

我が家の4歳になる長男が隙あらばこのサビのメロディーを歌うようになるまでに時間はかからなかった。
朝起きたらまず何よりも先にGoogle Homeに話しかける。
「オッケーグーグル!ダパンプ流して!」

Google Homeに曲をリクエストするときに歌手名を言うと、その歌手の曲のプレイリストが流れてくる。
今現在、『ダパンプ』を指名すると一曲目に流れてくるのが噂の『U.S.A.』である。
この長男の朝のルーティーンが始まってもう4、5カ月は立つだろうか。
毎朝同じ曲を聞かされる私、夫、そして1歳半の次男。
次男は、兄がこの曲を流しながら狂ったように歌い踊るのを見ているうちにすっかり侵され、
今では長男の「オッケーグーグル!ダパ…」のタイミングで食事中だろうが椅子の上に立ち、猪木さながらコブシを振り上げてスタンバイするようになった。
挙句の果てにうちのスイス人夫までつられて歌い始める始末。

実はこの曲、DA PUMPのバージョンはカバーでオリジナルはイタリア人が歌っているらしい。
全然アメリカ人じゃないんかい。同じく我が家では1ミリもアメリカ人ではないスイス人が気持ちよく歌っているのが頷ける。


神出鬼没

長男は朝のルーティーンに飽き足らず、外出先でも唐突に「カ~モンベイビーアメリカ」と歌い踊るようになった。
ある日、スーパーマーケットで買い物中に長男を見失い、「カ~モンベイビー…」と聞こえてきたのでその方向へ急ぐと、なんとそこにいたのは長男と同い年くらいの別の男児であった。
どうやら発作が出てしまうのはうちの子だけではないらしい。


そしてある日、幼稚園のお迎えに行くと、そこには「カ~モンベイビーアメリカ」と歌い踊る男児が。
これはもう幼稚園の先生が気の毒にさえなってくる。
思わず先生に「この曲、もうお腹いっぱいじゃないですか?」と聞くと、先生は「保護者の中には幼稚園で踊らせていると思っている方もいるようです。踊らせてないんですが」と、困り顔だった。

勘違いしてほしくないのだが、私はDA PUMPが好きだ。SPEED世代ど真ん中なので、DA PUMPもデビュー当時から聞いているし、SPEEDほどファンではないにしろ売れた曲はほとんど知っている。
しかし、この曲を毎日聞かされ、キャッチーすぎるおかげで頭から離れなくなると話は違ってくる。
スーパーで買い物をしていると、有線か何か定かではないが店内でもいまだにこの曲が流れてくるのだ。
発売は去年の6月である。もうそろそろこの曲よくないですか。

スイスでもU.S.A.

そして実は今、我々一家はスイスにある夫の実家に帰省中なのである。
昨日は家族みんなで山の方へ遊びに行き、山に囲まれた町にあるとてもスイスっぽいレストランでスイス料理を堪能した。

食事を先に終えた息子が口ずさむのはやっぱりU.S.A.。
みんな食べ終わり会計を終え席を立ち、入り口まで例の"いいねダンス"をしながら移動する息子。

アルプスの山々にこだまする「カ~モンベイビーアメリカ」。
いや、ここ全然アメリカじゃないし。
歌って踊る子供は茶髪だけどアジア人顔だし。

周りのスイス人たちに白い目で見られながらの楽しいスイス珍道中が幕を開ける。

美容院でカット拒否されそうになった話

年が明けて無職になった。
短期契約のパートが去年の年末で契約満了を迎えたのである。

さて、また就職活動だ。子供の保育の関係で早く仕事を見つけないといけない。
求職中という身分で保育園にいられるのは3カ月間。
ハローワークの頼りになる相談員に会うために予約を入れ、ついでにハローワークから遠くない場所にある行きつけになりつつある美容院にも予約を入れることにした。

www.heidima-blog.com


予期せぬ展開

よし、今回は面接に受かりそうな髪型にしてもらおう。

そんな私の髪の毛は、ちょうど肩に付くくらいの長さになっており、甚だ鬱陶しかった。
毛量が多くて剛毛なので、マフラーを巻く季節になると髪を結ぶしかない。
結ばずにマフラーを巻くと、満員電車で周りの人に髪が刺さるような状態になる。
何となくご想像いただけるだろうか。

せっかく前髪も伸びてきたことだし、真面目ちゃんっぽくアゴまでの長さのワンレンボブにしてもらおう。

そう意気込んで美容院に到着。
いつもの男性美容師が私の顔を見て挨拶した。
前回来たのがいつだったかという会話をしながら私の頭をいろいろな角度から観察する美容師。
今回はどうしたいのかと聞くので、アゴの長さくらいにカットして欲しいことを伝える。

「うーん…  うーん…  」

なんだか悩んでいるようだ。私の髪の多さはもう知っているはず。

「…前回も大変でしたよね… 」

あ、確かにこの髪をどうやってまとまりやすい髪型にするか考えてくれたのは覚えている。
私の髪の毛は多くて硬い上にうねっているので、ただ単純に毛量を減らそうと髪を「すく」と逆に広がってしまうらしい。

美容師「…うーん… 切りたいんですよね?」

私「え… はい、切りたいですけど…」

美容師「このくらいの長さになってやっとこのくらいにまとまってくるので、こんなこと言うと商売っ気ないって言われちゃうんですけど、切らないほうがいいと思うんですけどね…」

私「え… そう…ですか…」

美容師「切りたい気持ちはすごく伝わってくるんですけどね、この髪質はロングヘアーが一番楽だと思います」

私「じゃあこれから伸ばすのを前提に、ちょっと揃えてもらったりしたらいいんですかね?」

美容師「…揃えなくてもいいと思います。意味ないと思います。逆にヘタにハサミ入れると広がっちゃうんで」

私「え…  じゃあ今日はこの辺で失礼したほうがいいでしょうか」

美容師「うーん…」

私「…」

なんだこれ。
こんなやり取りを20分近く続けただろうか。
美容師は取り合えず「切る」とは言ってくれた。
ただ問題は私の髪質だけではないと言い始めた。

美容師「アゴの長さくらいにしたいんですよね?そうなると、お客様は後頭部が出てるんで、頭の奥行きがすごいことになりますよ。
レオンのナタリーポートマンですよ」

私の髪にクシを当てながら説明する。
ナタリーポートマンなら私が部屋にポスターを張るくらい昔大好きだった女優である。
これはすごくネタっぽいけど本当の話だが、私は中学生のころナタリーポートマンみたいな鼻になりたくて、ちょうど鼻骨のある辺りを竹の定規でトントンたたいて鼻を腫れさせていた。
気のせいかもしれないが、たたいた直後の3分間くらいは1ミリほど鼻が腫れて高くなるのだった。それを鏡で斜めの角度から見て3分間の幸せに浸るのである。改めて文字にするとヤバさがヤバいな。

私を形容するのにあのナタリーポートマンが出てくる日が来るなんて夢にも思っていなかった。
でも勘違いしてはいけない。
ボブにしたらナタリーのようになるのは私の後頭部であり、ボブにしたからといって私の顔は1ミリもナタリーに近づかないのである。
第一、後頭部が出ていたって髪質すら全然違うから「ナタリー化」するのはあくまでも出っ張り具合のみである。

それでもちょっと喜んでいるアラフォーの自分がいる。


いざ断髪

私はナタリー化することを了承し、髪を切ってもらうようお願いした。
そこでハサミ入れとなるのが流れと思いきや、美容師が手にしているのはバリカンである。

「じゃあとりあえず長さ取っちゃいますね」

彼は私の髪の毛にバリカンを近づけると、アゴの長さくらいまで髪を「刈った」。
私自身も驚いたことに、その作業は彼の右手のみで行われた。左手で私の髪を抑えたり引っ張ったりせずとも、バリカンは見事に私の下ろした状態の髪の毛を刈り揃えた。

「すげえな」

美容師も思わず感嘆する私の髪の硬さ。商売道具のハサミが刃こぼれするのを危惧してのバリカンだったのだろうか。
そして刈り揃えられた私の髪の毛の断面を下からのぞき込み、彼はその厚さに満足そうだった。

「何とか人形みたいになりましたね」

私もせっかくだからとその断面を手で触ってみたが、なるほど、言うなれば新品の「亀の子たわし」だ。
そしてまだヘアースタイルは完成していないのに私に手鏡を持たせ、合わせ鏡で私の後頭部を確認させる美容師。

「ナタリーポートマンですね」

まだ言いますか。こっそり照れる私。だから誰も顔が似てるなんて一言も言ってないって。
しっかりとその手鏡で自分の顔を確認する。見慣れた弥生顔だ。


彼は私の頭頂部の髪の毛を一握り掴み、
「一般の人の髪の量ってこんなもんですから」
と言った。
じゃあそれ以外の髪を全部刈ったら私は普通の人になれるのか。
いや、昔の久保田利伸になりそうだ。

「じゃあ髪の毛どんどん取っていきますねー」

どうやら彼に言わせると、私の髪の毛は「切る」ものではなく「取る」ものらしい。
頭頂部の髪をまとめ、それ以外の髪をほんの少量ずつすくい取りながら、それを根元の方からハサミで切り落としている。
シンプルに毛量を減らしていくようだ。

それをしばらく繰り返すと私の頭はだいぶ軽くなった。
促されるままに頭を触ってみると、自分の地肌を近くに感じることができる。

地面に散らばった毛髪を見せられる。ホウキでまとめたら猫1匹の大きさはありそうな毛の塊。それが長さ的に5cmほどしか切っていない私1人から出た毛であるという事実は信じがたいものがあった。

その後シャンプーをしてもらい、髪の毛を乾かす際に、どうやったら髪がまとまりやすくなるかアドバイスを受けた。

「ドライヤーで乾かすときは、あまり強風ではなく弱めの風の方がまとまりますよ」

そういいながら髪を乾かしていくが、なかなか髪は乾かない。

「ん。乾かねぇや」

そう言って強風に設定を変えてガンガン乾かす美容師。この数秒前の自分の発言にとらわれない潔さには逆に好感を持った。
髪の量は減らせても太さは変わらず剛毛なので、水分を含む力は存分に残っているらしい。

完成した髪型は自分では気に入った。
美容師は満足そうな私を見送りながら、
「お騒がせしました。またお待ちしています」と言った。


今のところカット後の私の髪は大人しくしている。
この季節はニット帽を被ることも多く、それも手伝って髪は落ち着いてくれる。
あとはこの聡明そうな髪型が手伝って面接に受かれば言うことなしだ。
緊張すると汗ばんで、その湿気で髪が膨らむのが心配だが、
「髪が多すぎるから」という理由で面接に落ちたなんて聞いたことはないので、
自分を信じて今日もまた1通、履歴書を送る。

年の瀬スキャンダル 消えた5万円

新年明けましておめでとうございます。

更新頻度のムラだけが自慢の我がブログへようこそ。
今年も私のダメ人間っぷりを世の中に晒していく気満々なのでよろしくお願いいたします。


いや、書きたいことは山ほどあるのだ。
毎日のように変なことが起こる私の人生。
「あ、これブログに書きたいな」
と思うことがたくさんあるのになぜか更新できないのだ。
理由は明白、私がめんどくさがりやだからである。
そんなやつはブログなんてやめちまえ!

そう自分に言いたくなるが、書ける日だって今日のようにたまにあるし、
読んでくれる方がいるので頑張れ自分。
ブログは続くよどこまでも~



さて、今日は2018年の年の暮れに我が家で起こった事件について書きたい。

その日、私は走っていた。
街の雰囲気もクリスマス&年末ムードの中、朝からリュックサックをワッサワッサいわせて走る一人の年増女。
彼女は何をそんなに急いでいたのか。
友達の結婚式のためにご祝儀の5万円を新札に交換しようと銀行へ向かっていたのである。
出勤前の限られた時間で、開店したばかりの銀行にダッシュで駆け込んだ。

両替機はすでに先客の中年男性が使用中だった。
その後ろに並ぶ私。
ただならぬ息遣いに気付いた男性は私の方を振り返る。

はぁーっ はぁーっ

走ってきたために息が切れているのだが、どうやら男性は私が(待ってるんだから早くしてよね)の溜息をお見舞いしていると勘違いした模様で、
「すいません」
と消え入りそうな声で私に頭を下げた。

いえいえ!大丈夫ですから!と言いたかったがもう肩で息をしていた私は首をちょろっと横に振るだけで精一杯だった。
待っている間に折り目のついた1万円札を5枚、財布から出しておく。

両替を終え怯えた様子でこちらを見ながら小走りで走り去る男性。

私の番だ。
両替機の前に立ち初めて両替するためにはキャッシュカードが必要なことを知った。
スイスでは仕事で両替する機会がたびたびあったが、確かにカード使ってたわ。
日本もそうだったっけと、都合のいい時だけ頭が勝手に外国かぶれになる。
そして私は駅と職場の間にあるからこの銀行に来たのだが、この銀行に口座を持っていなかった。

案内係の若い女性がいたので、窓口で新札に交換できるか聞いてみると、
交換することは可能だが手数料がかかるとのこと。

一瞬迷ったが、それならちょっと歩くが口座のある郵便局があるのでそこに行こうと思い、
女性に頭を下げて銀行を出た。


今度は郵便局に走る。
平日は毎日10時から働いていた私は家の近所の郵便局の窓口は時間的に利用できなかった。
職場の最寄り駅の近くの郵便局なら朝寄っても勤務時間に間に合う。
またゼーゼーいいながら郵便局にたどり着き、窓口の男性に新札に交換してほしい旨を伝えると信じられない返事が。

「この辺りの地域の郵便局では新札に交換するサービスは行っておりません」

うちの近所の郵便局はやってくれていた。
なぜだ。
そしてなぜご祝儀は新札でなければならないんだ。
日本はなんてめんどくさい国なんだ。
例のごとく頭が勝手に外国人風になる。

ここは本物の外国人に愚痴を聞いてもらうしかない。

郵便局を出て職場に向かいながらスイス人夫に電話をかけ、日本のめんどくささを愚痴る。
私が時間が無いのに走って銀行と郵便局に行き、結局両替ができなかったなんて頭にくるわ。
外国人モードの私はブロークンなフランス語で小走りしながらまくしたてる。
お札が新しくなくたって価値は変わらないのに。
キィー!
私はもう今日のでウンザリだから、明日あなたが口座持ってる銀行に行って両替してくれるかしら?
キィー!

マシンガンのようにイライラをぶっ放す私を相手に夫は「NO」と言えるわけがなかった。




そして職場について何事もなかったかのように楽しく就業し、終業時刻を迎える。


電車に乗っていつも通り家路につく。
そのときふとネットで見た情報が頭に浮かんだ。
コンビニのATMは新札が出てくる可能性が高いとか。。。

ふんふん。
別に時間もあるし、一度試してみようかな。
リュックサックから財布を取り出し、5万円を出そうとすると、

無い。

無い!


財布を何度も目を凝らして見ても朝入っていた5万円は無かった。

きっと焦っていたからリュックサックにそのまま放り込んだのかもしれない。
リュックサックの隅々まで探す。

無い。

嘘でしょ。
あんなに走って焦っていたからどこかで落としてしまったのだろうか。
でも銀行で5万円を出したところまでは覚えているが、その後5万円を見た記憶はない。
銀行で出して、また財布にしまってそれをリュックサックに入れて郵便局に向かったはず。
郵便局では財布を出していないはず。

もうイライラしていたのも手伝って記憶が曖昧だ。

泣きそうな顔で帰宅。夫に5万円をなくしたことを告げる。
いつもは言いたくない「ごめん」という言葉は今夜ばかりは惜しげもなく言いまくった。

何を隠そう、私の夫は非常におっちょこちょいで、しょっちゅう失態をしては私にチクチク責められている。
忘れ物も非常に多く、過去にATMで引き出したお金を取り忘れたことが2度あった。
私は泣くほど悲しんで「なんで」というミスってしまった人には本当に答えようもない質問を繰り返した。
私は本当に意地が悪いのである。

そんな私に対し、夫は冷静だ。

「バッグをちゃんと見た?ポケットも?」

人間ができている夫は頭ごなしに責めたり決してしない。
リュックサックの中身をすべて出し、財布の中身もすべて出し、隅々まで確認するが出てこない。
出てこないが、夫は怒らない。そして、

「今まで僕が無駄にしたお金は5万円よりも多いから」と優しく微笑んだ。
やべ。書いてて泣きそうだ。めちゃくちゃいいやつじゃん。おっちょこちょいすぎるけど。

そして彼は続けた。

「警察に電話した?」

私はしていなかった。
財布を落としたならまだしも、ナマの、裸んぼうの1万円札を5枚まとめて落としたと言っても
万が一見つかったとしても名前が書いている訳でもないし、私のお金だと証明できる術がない。
夫はダメもとでも連絡しておくことを勧めた。

しょんぼりしながら職場の近くの交番に連絡すると市の警察署につながった。
今のところ5万円を拾ったという届はないが、
念のために明日の朝にでも遺失物届を出しておいたほうがいいと言う。


このまま5万円が見つからなかったら貧乏性な私は友達の結婚を心から祝えないと思った。
5万円をなくし、5万円をご祝儀として包んだら結婚式の出費は10万円。
私の月のパート代の半分以上だ。
もうやさぐれた母は子供の世話も手につかない。

もう落としてしまったものはしょうがない。
ただこの落としてしまった事実を頭の中から消し去りたい。
最初からこの5万円が無かったことになればいいのに。

それか拾ってくれた人のことを考えよう。
困っているホームレスの人が拾ってこの5万円で美味しいものを食べ、あったかい布団で寝たかもしれない。
そう思うと親切した気になって気持ちが晴れた。
いや、晴れなかったけど、貪欲な小金持ちのおばさんに拾われて高級ワインに使われるより、
ヤンキーに拾われてパチンコに使われるよりずっといい。

そんなことを考えながらウジウジしていると、夫がもう子供の世話も食事の片づけもやるから寝たらと言った。

ショックでウジウジから抜け出せない私は言われるがままに寝床に着いたが、
布団の中でも頭は5万円のことでいっぱいで、全く寝付けそうにない。

なぜだ。どうやったら5万円をなくすことができるのか。
もう5万円なんて戻ってこなくてもいいから、どうやって人は5万円をなくすことができるのか、
神様!それを見せてください!

都合のいいときだけ神頼みだ。

銀行で案内係の女性と話したときは5万円を手に持っていた。
それが最後の確かな記憶だった。
確かと言っても私の「確か」は疑わしい。
もしかして最初から5万円なんて持っていなかったのでは!?
しかし郵便局で5万円を引き出した時の明細書は存在した。
それだけが真実だった。


布団の中でいろいろ考えた。
友達の結婚式で笑顔を作る練習をしておこう。
出てくるご飯は残さず食べよう。
お酒はできるだけたくさん飲もう。
何なら飲んで飲んで、そこで5万円紛失事件の記憶が永遠になくなるまで飲み明かしたらいいじゃないか。


そんなことを考えながらどうにか眠りに落ちたらしく、目が覚めた時は朝だった。


夫と子供に見送られ、交番に寄るために早めに家を出る。
すっかり通い慣れた駅なのに交番には近寄ったことすらなかった。
中には若い警察官が3人も私を出迎えてくれた。

「すいません、落とし物をしたので遺失物の届出をしたいのですが」
警察官の一人がペンと一枚の用紙を出した。
何を失くしたのかと聞かれ、現金5万円だと答える。
警官「財布ですか?」
私「いいえ、現金だけなんです」
警官「封筒などに入れていたんですか?」
私「いいえ、裸です。そのまんまです」

警察官3人の顔が一斉に「あちゃー」となったのを私は見逃さなかった。

だよね。

私は用紙に記入を続けるが落とした場所を書く欄で手が止まる。
どこで落としたかわからないからである。

警察官「じゃあここの駅名を書いといてください」
私「えっと・・・」また手が止まる。もう失望した私は漢字が出てこない。あの鳥の名前、いつも書いてるのに。
警察官「あ、平仮名でいいすよ(あちゃー)」


もう泣いてもいいですか。
5万円は落とすわ、漢字も書けないわ、私この先大丈夫でしょうか。

もう開き直って平仮名で大きく駅名を書き、念のために警察官に聞いてみる。

私「ちなみに、今までそのまんまの状態で落とした現金が返ってきた前例はあるんでしょうか?」

警官「んーーー、聞いたことないかな。難しいと思いますねぇ(微笑)」

ですよねぇー。


もう届けたのであとは待つのみ。
念のために昨日の朝に荒い息で訪れた銀行に寄ってみよう。

銀行に入ると、そこには昨日と同じ両替機。
そして昨日とは違う案内係の女性がいた。

私は彼女に昨日の朝にここに来てとった行動を細かく説明した。
昨日ここにいなかった彼女はふんふんと頷きながら私の話を聞き、
確認するのでお待ちくださいと言うと窓口の奥へ行った。
他の女性に私の話を伝えているように見える。

3分くらい待っただろうか。
同じ女性がもう一度私のところまで来て、
「申し訳ございませんがもうしばらくお待ちいただけますか?」
と言いに来た。
承諾したものの、仕事の時間も迫っておりあと何分待たせられるのか少し不安になった。
まさか昨日の朝に勤務していたスタッフが出勤するまで待たせるつもりだろうか。
落とし物の5万円が無かったのなら早く解放してほしい。

そう思って時計とにらめっこしていると、窓口から他の女性スタッフが私を呼んだ。
さっきの案内係の女性よりもベテランな雰囲気の女性だった。


女性「お客様、実は昨日5万円の落とし物がありました」


私(うぉぉぉおおおおおおーーーーーーー!!!!!)

顔の表情が緩むのを堪えられない。でもどうなる!?

彼女が言うには、床に5万円がパラっと散乱していたのを勤務していたスタッフが見つけたということだった。
時間帯と状況から恐らくそれは私が落とした5万円に間違いないだろうと。
彼女は私の身分証明書のコピーと引き換えにその5万円を返してくれると言う。
この銀行に口座も持っていないおバカで哀れなこの私に。

そして嘘みたいに5万円が窓口の水色のトレーに置かれた。
私が落としたシワのついたお札だ。

ちょっと早いクリスマスの奇跡が起こったのだ。

私は爆発している喜びを一生懸命に隠した。
私の中の私はめちゃくちゃ飛び上がって喜びの雄叫びを上げている。
でも窓口の女性の前では照れたような笑みを浮かべながら何度も頭を下げて礼を言った。
そのまま窓口で痛くも痒くもない300円ちょっとの手数料を払って5万円を新札に変えて銀行を出た。


足取りは軽い。
街の色はいつもよりも鮮やか。
生まれ変わったかのような実に晴れ晴れとした気分。

こんなに機嫌がいい自分はここ数年現れなかった。

今なら他人に足を踏まれたって、頭から水をぶっかけられたって、顔に鼻くそをつけられたって怒らない。


そんな状態でさっき交番で手続きした紛失物の届出を取り消しに行った。

さっきと同じ警察官がいる。
銀行でお金を見つけたことを伝えると、「よかったっすね!」と言ってくれた。
ホントだよお巡りさん!やった!やったーーーー!



しかし気になるのはどうやって5万円を床に「パラっと」落としたのかである。
銀行に防犯カメラがあるおかげで他人が拾って持ち逃げする事態は避けられたのだろうから、それは私にとって不幸中の幸いだった。
そしてその防犯カメラに写っているに違いない哀れな自分の姿を見てみたいが残念ながら不可能。

きっと財布に入れるときに財布ではなく"宙に"入れたんだろう。
それくらいしか考えられない。


夫のおっちょこちょい度を責めすぎて罰が当たったんだ。
そう思ったので2019年は他人に優しく、自分にも優しく生きていこうと誓ったのであった。

おかげで友人の結婚式は心から祝福できたし楽しめた。
素晴らしい式だったため、帰りの電車の記憶はない。


そして年は明け今日もまた、午後に書留で送った履歴書の記載事項に誤りがあったことがついさっき判明したので
明日は朝から「送った郵便物を止める」という予定が入った。


経験は財産ですから。

再就職したら他人に興味が湧いてきた

先日もまた職場に着いたと思ったら早々にドロンした私。

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ちょっと前までは私が早退すると言うたびにちょっとかしこまった顔で
「そうですか、わかりました。お大事に」と言ってくれていた上司も、
もうだいぶフランクな雰囲気で
「あらぁ、大変ですねぇ。わかりました」
と言ってくれる。

もう私の早退もだいぶ板についてきた。
(またかよ・・・)と思われても気にしない。
一番またかよと思っているのは私なのだから。



そして私が早退した翌日の朝。
早退したときにちょうど外出してしまっていた他の上司に挨拶した。


私「おはようございます。昨日はまた早退してしまいすいませんでした」

上司「昨日はお子さんどうしちゃったの?また発熱〜?」

私「いえ、今回は長男のほうが額をケガして病院に付き添ってきました」

上司「え、大丈夫なの?」

私「幸い数針縫う程度で済みました」

上司「そっかぁ!大変だなぁ。やんちゃなんだな。きっとそういう子は大物になるよ、うん!」

私「大物ではなく大仁田です。厚です」


とは流石に言えなかった。
でも言いたかった。



パートとして働き始めて早1ヶ月半。

楽しい。

まず何が楽しいかって1人で電車に乗れることが楽しい。イヤフォンで音楽を聴きながら自分の世界に浸れることがこんなに幸せだと感じたことはない。
満員電車だろうが気にしない。大好きなバンドのライブ音源を聴きながら目をつむればそこはライブハウスになる。
陶酔しすぎて満員電車でスーツのオジサンたちの上をダイブしないようにすることだけは気を付けたいところだ。


駅に着いたら会社まで5分ほどの道を歩く。
両手をプラプラ振りながら歩く。音楽に乗りながら歩く私の足取りは軽い。
そこには繋いだ手を振り払って逃げ出す3歳児もいなければ、オムツと着替えでパンパンのバッグもない。

ああ、自由とはこのことを言うのか。



職場では様々なタイプの人たちと一緒に働いている。
そんなに大きな会社ではないが、何だかいる人みんなが様々なバックグラウンドを持っているようだ。
長く外国に住んでいた人、海外経験はほとんどないのに語学が堪能な人。
誰もが知っている名門大学出身者。
日本人のみならず、外国人もいる。

みんながどうやってこの会社で働くに至ったのか。
普段はどんなことに興味があるのか。

みんな仕事のことは話すが、それ以外のことはあまり話さない雰囲気。
だからなおさら気になって仕方がない。

数名いるパートの主婦同士は一緒にランチを食べたりするが、それ以外の人たちはプライベートな話を滅多にしない。
いろいろ気になるがガツガツ話しかけてウザがられたらやだな。それ以前に休憩時間が共有できないから話す時間がないな。
みんな休憩時間に周りの人との接触を断つっていうことは、あまり仕事以外のことで関わりたくない人なんだろうな。
私はしばらくの間そう思っていた。

しかし、スキを見計らって個々にちょっと仕事以外の話題をふってみるとどうだろう。
みんなこちらが驚くくらい雄弁に話し始めるのである。
あれ、みんな関わりを持ちたくないワケではなさそうだ。
私にとっては、そんなにおしゃべりが好きな人が一日に一言も私語を話さず、ランチも黙々と一人で食べていることでストレスが溜まらないのか心配になってしまう。
私は話すのが大好き。話したいことを話さないでいるのが苦痛な人間だ。



そんな私は、会社のほぼみんなが見渡せる位置に座っている。
そして、実はこっそりみんなの言動を観察しながらボケるタイミングを見計らっているのだ。

ネタは仕事のこと限定である。
昼休みでもないのにプライベートな話を持ち出す勇気もない。
あれ、さっきみんなのプライベートが気になるみたいなこと書いたばっかりなのに、何言ってんだ自分。

私は確かに彼らのプライベートなことも気にはなるが、その本心は彼らとお近づきになりたい、もっと気軽な関係になりたいということのようだ。
そのために私はボケ役に徹して、彼らの素の部分を引き出してやるんだ。

仕事ももちろん真面目にやってはいるが、常に周りの言うことにも聞き耳を立ている。
え、これじゃまるでバラエティ番組に出ているひな壇芸人みたいじゃないか。しかもポジションはひな壇の後ろの端っこだ。

私がちょっとフザけたことを言うと、みんな笑ってくれるようになった。
今朝は別にボケたかったわけでもなく、素で曜日を間違えてアタフタしたら、それでみんな大爆笑していた。
ボケ芸人のめんどくさいところは、狙って笑われるのは大喜びなくせに、狙っていない素ボケで笑われるとちょっと悲しくなるところだ。


先日うちのスイス人夫に、一緒に働いている人たちが興味深いという話をした。
彼はその話を聞いてちょっと驚いていた。
私はつい3か月前くらいに、「もう新しい人付き合いはいらない。今いる友達と家族がいればそれでいい」みたいなことをすかしてたらしい。
確かに言った気もする。
そして今は新しく出会った人々に興味深々である。自分の言うことほど信用できないことはない。
そして彼は言った。

「なんか俺のお母さんに似てきたね」


彼のお母さん、つまり私の義母は、それはそれは人と会って関りを持つことが大好きな人なのである。
得意技は電車で友達を作ること。
スイスの電車は基本的にボックス席が多いので、前や隣に座る人と話そうと思えば話しやすい雰囲気だ。
しかし義母は数年前に日本に遊びに来たときも、なぜか山手線の中でメキシコ人女性の友達を作っていた。
ツワモノだ。


そうか。わかったぞ。
3か月前にもう人と会うのがめんどくさいと言ったとき、私はママ友というシガラミに恐怖していたんだ。
子供同士が仲良いから親も気が合うとは限らない。

今だって同じ職場にいるからといって気が合うワケでは決してないんだ。
肝に銘じておこう。
とはいっても3カ月の短期契約の職場なので、私がどんなにウザがられようがあと1か月くらいで皆とはお別れ。

や、やばい。泣きそうだ。



2年間も仕事せず会話ができない子供の相手ばかりしていたからこんなことになったのだろうか。
もうすぐ山手線で友達ができる気がしている。