アルプスから高尾山

国際結婚しスイスに5年住んで帰国した主婦が日本とスイスのギャップに弄ばれる

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スイスで出産① ~無痛分娩編~

スイスでの分娩方式として、一般的なのは麻酔を使用した無痛分娩である。

 

これは全くもって知らなかったのだが、辛いことはできるだけ避けて生きてきた私にとってはまさに棚から牡丹餅であった。

 

もちろん中には自然分娩を希望する自然派の妊婦さんたちもいるのだが、ある日本人の妊婦が自然分娩を希望する旨を産婦人科医に告げたところ「あら、さすが!サムラーイ!」などといらないジョークを言われたなんて噂だ。

それほど自然分娩はどちらかというと少数派のようだ。

 

 

私は医者から分娩について希望を聞かれた際、悩みもせずに無痛分娩でと答えていた。

 

日本では無痛分娩ができる産院はまだ少なく、あらかじめ日程も予約しなければならないと、後に日本で出産した友人に聞いたが、スイスでは麻酔師が常に分娩室を巡回しており、呼ばれたら麻酔を打ちにくるシステムになっている。

 

しかし麻酔を打てるタイミングは決まっており、早過ぎても遅過ぎても麻酔は打てないのだという。

子宮口の開き具合がちょうど良いころを見計らって打つらしいのだが、お産の進み具合と麻酔師の取り込み具合によって、麻酔を打つタイミングを逃してしまったなんていう話も前情報として入っていた。

 

なんとも恐ろしい話である。

 

 

出産前にあまり余計な知識を詰め込みすぎると恐怖心を煽るので、私は不安な人間がよくやるインターネットで情報を漁るということは極力避けた。

 

というのは嘘で、正産期に入ってから夜な夜な目を皿のようにして出産に関する記事を探した。

 

そして予定日が過ぎ、今度は探す記事が『予定日が過ぎたときの過ごし方』についてに変わってまた数日経ち、そろそろ『促進剤』について調べようかと思いながら床についたその夜、めでたく破水した。

 

助産婦が男性

夜用ナプキンの一番分厚いのを装着し、旦那に付き添ってもらいながらタクシーで病院へ向かった。

粋な運転手に「ボン・シャンス(幸運を)!」と見送られ深夜の病院へ。

早速診察を受けるが、破水はしたもののまだ陣痛が弱いので病室で待つことに。

旦那は一旦帰宅。

 

これも後になって知ったことだが、日本の産婦人科では陣痛室なるものがあるらしいが、この私が通された病室は産婦人科病棟の普通の病室である。

2人部屋で隣のベッドにはもう一人の妊婦さんが私より数時間遅れで入って来た。

 

助産師の若い男性が「サージュ・ファム(助産)です」と自己紹介したことにちょっと違和感を感じつつ、そういえばフランス語で助産師というユニセックスな呼び名は無いんだなぁなんて考えていた(陣痛を経験していない小者の余裕)。

 

 

後々この青年に弄ばれることになるとは知る由もない。

 

 

 

初めての陣痛

気づけば夜が明けていた。

 

陣痛の経過を何となく携帯のメモに記録していたのを見返してみる。

 

 

6時半 すでにだいぶお腹痛い

7時半 すでに5分おきの痛み?

8時 採血して朝食。パン2枚。食べてると気持ち痛みが紛れる。

10時20分 お腹というより腰がいたいのね

 

 

8時半頃には旦那がまた病院に戻って来ていた。

普段Tシャツしか着ない人がシャツを着てネクタイをしめていた。

彼も緊張しているのか、ちょっとモジモジしていた。

 

 

「◯◯(私)の好きなドラ焼き持ってきたよ!がんばって!」

 

 

「う、うん。ありがとううううぁああああああ!!!」

 

 

 

 

もう数分おきに叫ばずにはいられない痛みの波に襲われる。

翌朝になってわかったが、隣の女性は経産婦らしくご主人と子供も病室に訪れていた。

が、子供もいるからといって叫び声が抑えられるかといったら不可能である。

 

怖がらせてごめんよ少女、でも君も大人になったらこの隣のアジア人が叫んだ理由がわかる日が来るかもしれない。

トラウマになったら私でなくこの病院のやり方を恨んでくれ。

 

 

待ちに待った麻酔

しかしこんな痛みが朝からしばらく続いているのに、ちょこちょこ様子を見にくる助産青年は全く私を分娩室へと導いてくれないのである。

 

 

青年:「子宮口チェックしまーす。うーん。もうちょっと待ちましょう。また後ほど~」

 

 

旦那も叫ぶ私の姿に心配してか恐怖してか、ますますモジモジしている。

 ちっくしょおお!涼しい顔しやがってぇ~!!!この叫び声が演技だとでも思ってんのかぁ!!??

 

 

そんなやりとりを5回ほど繰り返したであろうか。

 

 

藻掻きに藻掻いて分娩室へ入れたのは午後2時半頃であった。

ベッドのまま連れていかれたのは覚えているが、その後に麻酔を打ってもらうまでの間は記憶がほぼ無い。

麻酔師に黒い髪と黒い髭が生えていたこと以外は。

 

 

そして麻酔は腰のあたりに打たれ、やっと気が遠くなるような激痛からは開放された。

陣痛を全く感じなくなるわけではないが、今思えばこのタイミングはつかの間の休息であった。

 

助産師も一度退散し、分娩室には私とネクタイをしめた旦那の二人きりだ。

麻酔のおかげで表情が和らぐ私に気づき、ポケットで温めておいたドラ焼きを差し出す旦那。

嬉しかったが食べる気にはなれず、でもありがとうと伝える。

そして結局このドラ焼きは分娩室の隅っこで申し訳なさそうに、でもおいしそうに旦那が食べた。

 

ヘロヘロでグダグダ

私の場合は麻酔により陣痛が弱くなってしまったので、結局は陣痛促進剤を打ち、その後また陣痛にしばらく耐えなければいけなくなった。

 

鈍め陣痛が続く中、助産師からなかなか赤ちゃんが降りてこないと伝えられ、まるで新手のヨガのポーズのようないくつかの非常に辛い体勢をとることを勧められる。

 

そして、私の産院では麻酔の量を自分で増やすことのできるナースコールのボタンのようなものを渡され痛ければ押してくださいと言われていたので、後半は連打した。

押しすぎでも最大量はもちろん決まっているので安全な量しか出てこないらしいが、そんなの忘れて連打。

いつの間にか麻酔のせいで脚はヘロヘロ、でも腰のあたりは痛いという状態に仕上がった。

 

 

分娩中は赤ちゃんも苦しんでいる。

どこかで読んだ記事のことが頭をよぎる。

 

 

クライマックス

そんなとき陣痛の合間ではっきりと聞こえた助産師の声。

「ご主人、このまま赤ちゃんが降りてこない場合は帝王切開も考えなければなりません」

 

 

え、これから手術かよ。

やだ。

もう疲れた。

早くこれ終わりにしたい。

 

 

もう我が子に会いたいとかそんな美しい考えは消え失せ、これ以上この苦しくて疲れる行為を続けたくないし、これからまた準備して手術始めちゃったらあと何時間かかるんだよ。

もう絶対出してやるぅーーー!!

もうそんなよくわからないモチベーションで息んだ。

陣痛が途切れてもよくわからずに息みつづけて助産師に注意されたりもした。

※ちなみにこれは無痛分娩ならでは。後に自然分娩を経験して陣痛の感じ方の違いに仰天。

1人目出産後「無痛だって結構痛いんだよぉ~」なんて言った過去の自分は葬りたい。

 

 

 

そして産まれた。

午後7時過ぎ。

終わってみたら分娩室にいたのはほんの5時間。

我が子の顔を見た瞬間はひとまず前の晩から始まった壮絶なドラマのことは忘れ家族3人幸せに満ちていた。

 

 

旦那「君の息んだ顔、マイク・タイソンにそっくりだったよ」

 

 

私「え〜ヤダぁ〜ん」

 

 

 

旦那は帰宅し可愛い新生児と寝不足気味に一夜を明かしたら、なかなか分娩室に連れて行ってくれなかった助産師の青年の顔はしっかり思い出した。

 

 

 

彼は何一つ悪いことはしていない。