アルプスから高尾山

国際結婚しスイスに5年住んで帰国した主婦が日本とスイスのギャップに弄ばれる

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手抜き弁当 ズボラ主婦が作るとこうなる

ゴールデンウィークもあっという間に終わり、明日からまた幼稚園。
またお弁当作り。


ちょうど家に遊びに来ていた姉に、「また明日からお弁当作らなきゃ。面倒くさいなぁ」と口癖のように言ったところ、どんな弁当を作っているのか見てみたいと言う。
なんとなく写真に撮っていたものを見せると姉は全く期待していなかったリアクションをした。
写真を見るなり爆笑だった。

おもしろいキャラ弁を作っているわけでもない、ただの私らしい手抜き弁当だ。
ただ、その手抜き具合が彼女が想像する『幼稚園生のための弁当』というものからかけ離れていたらしい。

それがこれ。


彼女の爆笑の理由が「面倒くさいって言うほどのもの作ってないじゃん」であろうことはさておき。

ざっと説明すると、その面積のほとんどを占めるのは白米に焼いてほぐしたサバをのせたゾーン。
最近よくコンビニで焼サバご飯なるものを見かけるので真似してみた。
サバは息子の大好物。
あとはこれまた大好物の卵焼き。
ピーマンを醤油で炒めて鰹節を和えたもの。
極めつけは前日に作ったカレーから"拾った”人参。

ちなみにこの弁当は幼稚園の担任の助言に従って作っている。
その助言というのは以下のような内容だった。

  • 量は少なめに
  • 好きなものだけを入れる
  • あまり頑張りすぎない(キャラ弁を作ったりする必要なし)

これは子供に弁当を楽しく食べてもらい、すべて食べきる達成感を味わってもらうためということで、3つ目に関しては親に負担にならないよう気遣ってくれたのだと思うがズボラな私にとってはありがたいことである。

世間は弁当に頭を悩ませる主婦で溢れかえっているはず。
『幼稚園、弁当』というキーワードで画像検索すると、思わず目を背けてしまいたくなるほど色鮮やかでおいしそうな弁当の写真がこれでもかと出てくる。
それらの弁当箱に収まっているおにぎりのほとんどには顔がついており、こちらに向かって微笑んでいる。

こんな世の中どうかしている。

キャラ弁を否定する気はさらさらないが、幼稚園児たちにとって顔がついているおにぎりを食べることが当たり前になってしまい、顔がないと美味しく食べられなくなったら問題だと思う。
本来、お弁当の蓋を開けて顔がほころぶのは美味しそうなご飯が入っているからであり、おにぎりがこちらに微笑みかけてくるからではなかったはず。

うちの息子は私の作った弁当を今のところ残さず食べてきている。
そこには彼に微笑むおにぎりは無くても、溢れんばかりのサバがある。
サバはもはや私の息子に対する愛の形容。
私がこんなにも白米とサバゾーンを広々ととったのは彼の大好物だからであることは、幼い彼にもわかっているはず。

キャラ弁ならぬサバ弁だって、愛情を表現することはできると信じている。


そして私のこの弁当を見た人の中にはこう思う人がいるかもしれない。

「こいつ私より手を抜いてるな」
「私はこの人に比べたらだいぶ頑張ってる」

それでその方々の弁当作りに対する精神的負担が軽くなったら願ったり叶ったりである。
今後もますます手を抜いていこうじゃないか。


手は抜いても愛情は抜かない。

抜くべきものはサバの骨。