アルプスから高尾山

国際結婚しスイスに5年住んで帰国した主婦が日本とスイスのギャップに弄ばれる

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国際結婚と災害 そして家族

日本人が外国人と結婚すると、多くの場合、自分か相手、もしくはその両方が自分の親や兄弟たちと離れた生活を余儀なくされることになる。
親に反対されて駆け落ちするなら話は別だが、そうでなければ結婚する前によく考えて家族と話し合っておきたいところだ。

自然災害のニュース

昨日の朝、大阪で最大震度6弱の地震が起きた。
被災地以外に住む人間がこのような災害のニュースを知ると何を考えるか。まずは家族や友達が近くに住んでいないかを瞬時に考えるのではないかと思う。
私にはスイスに住む大阪を含めた関西出身の友達が何人かおり、その人たちの顔が真っ先に浮かんだ。7時間の時差があるので彼女たちがこのニュースを知るのは朝目覚める6時間後くらいになるだろうか。
彼女らの家族や友人たちが無事であることを祈るが、今すぐ地震の無事を祈るメッセージを送ってもスイスでは夜中だし、逆に無事だったとしたらただの迷惑になるのではないか。でももし何かあったとしたら早めに家族と連絡を取りたいだろうし。
私がメッセージを送ることには何の意味もないのかもしれない。
心配していることを伝えたいという気持ちはただの私の自我か。

そんないろいろな考えが頭の中を駆け巡る。
犠牲者が出たことを知らせるニュースがテレビから流れる。
火事の映像が生中継されている。
それを見ながら私はただハラハラする自分の胸の動悸を聞いている。

今回は日本で災害が起きたが、逆に海外の災害のニュースを日本で知ることもある。
もしニュースから流れる町の名が自分の家族や友人の住む町だったとしたら。

身近な人の身に何かが起きたとき、日本国内であればすぐに連絡をとり場合によっては現地へ駆けつけることもできるが、海外となると時差があったり連絡が取りづらかったりと、心配しなければいけない時間が長くなることが考えられる。

そしてスイスに住む義理の両親は『日本で地震』というニュースを聞くたびに心臓をバクバクさせているのかと思うと心が痛む。

外国との距離

国によって時差はあるとはいえ、今はインターネットで海外にいながらも日本のニュースをリアルタイムで知ることができる。すっかり当たり前になってしまっているが、これはほんの数十年前には考えられなかったこと。
スイスに住んでいたころに30年以上前にスイスに嫁いだ日本人女性と話をしたことがあるが、彼女は日本を捨てる覚悟で見送る両親と別れ、飛行機に乗ってスイスへ来たと話していた。
私のスイスでの生活は、インターネット環境さえあれば無料のテレビ電話で日本の家族や友達と会話でき、日本食品店で日本の米や食材が簡単に手に入るというもの。そして飛行機代は普段の節約をちょっと頑張れば貯めれるくらいで、大体年に一度は日本に一時帰国ができる。
スイス在住30年の彼女は、こんな生活ができる日が来るなど想像すらできなかったと言う。

これだけ並べると、海外在住者にとって日本との距離はだいぶ縮まっているように思える。
確かにとても便利になって、家族とスカイプで話しているとたまに遠くにいることを忘れそうになることもある。
しかし物理的な距離が縮まる訳などなく、やはりヨーロッパは遠いのである。

家族との別れ

今週のお題は「おとうさん」ということだが、私の父が亡くなったのがまさに私がフランスに住んでいたときだった。
今から9年前のことだが、気が動転していたせいか、あまり当時のことは思い出せない。
部屋にいたときに姉からスカイプで父が倒れたと連絡を受けた。そのときたまたま彼(今の旦那)がスイスから私を訪ねて遊びに来ていた。
そして2度目に受けた電話は父がそのまま亡くなったことを知らせるものだった。

全身の力が抜けた。
家族が大変辛い思いをしているときに自分はこんなに遠くにいて何もできず、『すぐ』に帰るといっても全然『すぐ』に着くわけはない。
彼がネットで航空券の予約をし、私はそのとなりで父が50代の若さで急に亡くなったことに対するショックと、数カ月も会わないまま逝かれてしまった悲しみとどうにもならない後悔、そして母と姉に申し訳ない気持ちで、ただそこにいただけだった。
結局、私は通夜に間に合わず葬儀に参加した。


このフランスでの滞在はワーキングホリデービザによるもので、たった1年だった。
その1年の中で親を失った。
出発前はまさかそんなことが起きるなど全く想像していなかったが、今更ながら海外に住むなら当然覚悟しておかなければいけなかったことだと思う。


フランスの後に住んだスイスで、勤めていた会社の日本人の上司が社員たちの前で「私は父親が危篤だと言われても日本に帰るつもりはない」と言っていたことがあった。彼の言い方は私にとって(だから君たちも帰るなよ)というパワハラのメッセージにしか聞こえなかったが、死に目に会えないかもしれないと覚悟している人は多いだろう。

また、他の職場の同僚だった中国人男性は、上司から夏休みを取るように何度も催促されているのに危篤状態の父親が本当に危なくなったときに帰るんだと言って休暇の日程を決めるのをしばらく渋っていた。
スイス人の上司は生きているうちに早く行ってあげるべきだろうと言ったが、彼は中国で父親が亡くなる瞬間を見届けずに自分がスイスに戻ってしまうことを非常に恐れていた。

遠く離れた海外で暮らすとはそういうことだ。

家族の理解と協力

私は母と姉にいつも助けられ理解してもらえることを本当に心から感謝している。
残念ながら海外に住むだけで親や兄弟に多大なる迷惑をかけることは避けられないと思う。

そして忘れてはいけないのは、結婚相手も同じ状況にあるということ。
私が家族の近くに住めば、彼は家族から離れる。逆も然り。
どちらかが親と絶縁状態などでない限り、これは親が存命な限り常に考えていなければならない問題。
ただ親の介護の問題に関していえば、以前はヨーロッパ人のほうが『子供に面倒を見て欲しい』と思っている親は少ないイメージがあったが、数年前に実際に年老いて生活に支障が出てきたスイスに住む両親のために他国からわざわざスイスに引っ越した家族と知り合ったので何とも言えない。
今現在は私達は日本に住んでいるので、スイスに住む旦那の両親の健康を願ってやまないのはもちろん、もしものことが起こったときにできるだけすぐに行動ができるよう、普段から夫婦間で話し合うようにしておかなければならない。

我々は2011年の東日本大震災を私は東北の実家で、彼は首都圏で経験している。
そのときは結婚していなかったのもありあまりそういった話し合いもできておらず、関係は危機的状況に陥った。
そのまま彼は心配するスイスの家族のために一旦スイスへ帰国。彼は日本にまた戻ってくると言ったが、私はその可能性は低いと感じた。
冷静に振り返れば彼の両親が心配して帰ってこいというのは当然のことだし、逆の立場なら私はすぐに帰ると思うが、その当時の状況下で帰る彼を私は恨んでいた。

何がどうなってかはよく覚えていないがその翌年に我々は結婚している。
震災の後スイスに戻った息子をまた日本に送り出した彼の両親の勇気と我々に対する思いやりには本当に頭が下がる。



このように国際結婚はそれを取り巻く家族の理解と協力なしには成り立たないことを肝に銘じておかなければならない。
そして自分の家族はもちろん、相手の家族に対しても感謝を忘れてはいけない。

今回の地震をきっかけにそのことを改めて痛感した。

最後に今回の震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。
ブロック塀なんて無くなってしまえばいいのに。