アルプスから高尾山

国際結婚しスイスに5年住んで帰国した主婦が日本とスイスのギャップに弄ばれる

MENU

アジア人は若く見られるという噂

いつからだろう。
初対面の人に年齢を聞かれて、
「何歳に見える?」と聞き返さなくなったのは。

答えは初対面の人にあまり年齢を聞かれなくなってから。つまり7、8年前だろうか。

そう、思い返せば20代前半の頃はよく他人に年齢を聞かれた。
会社の飲み会に居合わせた隣の部署の上司や先輩にも聞かれた覚えがあるし、友達に誘われて行ったホームパーティーで出会った人々とも自己紹介がてら年齢の話もした。
そして今思い出すと自意識過剰で気持ちが悪いが、年齢を聞かれるとよく、
「いくつに見えますか!?」
などと聞き返していた。The 若気の至り。
そして気づいたら年齢を聞いてくる人はほとんどいなくなった。
たまに聞いてくるのは子供の関係で知り合うママ友くらい。
きっと私はもう「年齢を聞きにくい年齢」だと思われているか、あるいは私の知り合う人も「他人の年齢に興味がない人たち」になったのかもと推測する。
私自身は「たまに興味があるけど興味ないふりしたい」グループに所属。

alpestakao.hatenablog.com


年齢はあまり気にしない印象のヨーロッパ人

私の旦那は彼の友達や仕事仲間の年齢をあまり知らない。

彼が思うに日本人の方が年齢を気にするのは礼儀を重んじるからではないかと言っていた。
確かに日本では自分より年上の相手には敬語を使うのが普通。
フランス語でも敬語にあたるものは存在するが、相手が“同年代”と見なせば年長者でもタメ語だし、20歳くらい年上そうな相手でも初対面でもタメ語でOKなこともあるらしい。
旦那曰くその判断基準は『雰囲気』だそう。

スイスで彼の地元の友達たちに会うときも、みんな同級生のように仲良く話して小突きあっているが、実は10歳近く年が離れている友人もいたりする。
日本では10歳も離れたらどうしても先輩後輩のような間柄になりがちなように思う。

このように我々日本人より年齢に執着していなさそうなヨーロッパ人。
そんな彼らにも年齢を気にせざるを得ないときがある。


ドイツの奇跡

私が初めてヨーロッパに住んだのは二十代後半。
フランスのパリにワーホリビザで1年間滞在した。
引っ越して間もなく、ヨーロッパ在住の日本人の友達を訪ねてドイツへ旅行したときのこと。
私たちは屋台でホットワインを買うことにした。
友達がお姉さんにちょっと緊張気味にドイツ語で話しかけた。

友達「ホットワインを2杯ください」

お姉さん「えっと、これ私も仕事だから聞かなきゃいけないんだけど、あなたたち何歳かしらぁ?」

友達「え。27歳ですけど」

お姉さん「あ!そうなのね。OK、OK、うふふ」

お姉さんは年齢を聞いてしまったことをちょっと恥ずかしそうにしていたが、聞かれた我々は人生でもう二度と経験できないと思っていた『年齢確認』をされ、その嬉しさに狂喜乱舞した。
当時の詳しいドイツの法律は知らないが、おそらく17歳以下に見られたようだ。
やはりアジア人が若く見えるという噂には信憑性あり。

スーパーの敵

ドイツでの一件から5年の月日が流れ、私は既婚者となりスイスに移住した。
その後、妊娠と出産を経て母親になった。
そしてあっという間に気づけば33歳。仕事も復帰し授乳生活も落ち着いてきた。

待ちに待ったビール解禁。


一人スキップしながらスーパーにビールを買いに行きセルフレジで支払いをしようとすると、年齢確認商品を購入したためスタッフが参りますとの表示が。
ルンルンでスタッフを待っていると、真っ赤なショートカットのおばちゃん(50代くらい)が現れる。
普段ならスタッフが私の顔を一瞥しレジの機械にカードをかざして無事清算が終了するのだが、今日のこのおばちゃん、なんだか私を睨みつけている。
私は彼女の方に顔を向け、33年の歴史が刻まれた顔を見せるがおばちゃんはカードを機械に近づけようとしない。


まさか。
緊張が走る。


おばちゃん「すいませんが身分証明書を提示してください」


私(キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!)


可笑しくてニヤニヤするのを堪えながら財布から身分証明書を取り出しておばちゃんに見せた。

おばちゃん「えっと…あらま!…メルシー」

狐に化かされたような顔をしながらカードをかざしてくれた。
20代後半で年齢を聞かれたときは喜んだのに、30過ぎて聞かれると私の方こそ狐に化かされたような気持ちになった。
スイスは16歳からビールとワインが買える(つまり飲める)ので、おばちゃんは私が15歳以下だと判断したということ。実年齢の半分以下だ。
ちなみに私は童顔と言われたことは人生で一度もない。
おばちゃん、視力を調べた方がいいんじゃないか。


帰宅して旦那に速攻この話をしたのは言うまでもない。


このスーパーは我が家の最寄りなので週に2、3回は買い物に行く。
そして数日後、またセルフレジに赤いおばちゃんがいた。
前回から1週間ちょっとしか経っていなかったので私のことを覚えているはず。
同じようにビールを買い、おばちゃんを待つ。

私「ボンジュール、マダム」

おばちゃん「ボンジュール…
うーん…すみませんが身分証明書を見せてください」


私(オカワリキタ━━━(゚∀゚)━━━ !!!!!)
「…はい、どうぞ。
(おばちゃん…マジなのか…)」

おばちゃん「どれどれ……えぇっ!…あ、そうなの!…メルシー」


いやいやいや。
デジャブってこれのことを言うのだろうか。
真っ赤に染めたショートヘア、しかも前回同様にポルトガル語訛りだったからどう考えても同じ人だよな。
このおばちゃん視力か、はたまた頭か、しつこいが本当に調べた方がいいんじゃないか。


我ながら信じがたい話なのは、この後も何度かレジでこのおばちゃんに遭遇し、おばちゃんは私に身分証明書の提示を少なくとも5回は尋ねたこと。
おばちゃんは私が子供を連れて行ったときだけは何も聞かずにカードを機械にかざした。
そして最後の方は私もおばちゃんのコントに付き合うのに疲れていた。


まとめ

私の実体験によると多くのアジア人は実年齢より若く見られるというのはどうやら本当。
そしてアジア人はみんな同じように見えて見分けがついていない人が本当にいる。
(そんな予感はしていたが、そのレベルは予想を遥かに超えてエグい。)

同様に我々にとって他の人種は見分けがつきにくいことがあるのも事実。
私もおばちゃんが赤い髪でなければ同じ人だと気づかなかったのかもしれない。


いや、待てよ。

もしかしたら見分けがついていなかったのはおばちゃんではなく私の方で、実は私は毎回違う赤毛のショートカットのおばちゃんに遭遇していたのかもしれない。
そう思い始めたら怖くなってきた。
ストーリー展開がまるで『世にも奇妙な物語』じゃないか。



赤い髪のおばちゃんは時空を越えて私を悩ませる。

夏が来るぅ~ そして奴も来るぅ~

今日はここ最近にしては暑すぎず比較的過ごしやすい天気だった。
夏の前に梅雨が来ることなんて忘れて私の心はやたら夏モード。

alpestakao.hatenablog.com


しかしこれからの季節、私にとって楽しみも増えるが心配事も増える。

夏の嫌われ者


人々は夏というとどのようなものをイメージするのだろうか。
私が夏と聞いて思い浮かぶのはビアガーデンや花火。どちらも好き。
そして何故か思い浮かぶのは“風鈴の音を聞きながら縁側に寝転ぶ”シーン。

これは私自身の経験ではなくテレビのCMなどでよく目にする夏の光景。
夏といえば縁側。
そして縁側といえばそう、蚊取り線香
夏といえば憎き蚊の季節でもあるのだ。


私のように無駄なところでセンシティブな人間は耳元で蚊の羽音を聞いてしまったら最後、気になって落ち着かなくなる。
寝床で聞いてしまうと一瞬にして眠気が飛んでしまう。
東京の郊外に住む我々の家のまわりには緑も多く、小川も流れているので蚊にとっては住みやすい環境に違いないのだ。

スイスに引っ越す前に、旦那に蚊取り線香を使ってみようかと提案したことがある。
私は特に蚊取り線香ファンなワケではなかったが、日本の伝統的なものなので外国人は喜ぶのではないかと思った。
すると彼から予想外の答えが。

「え。それって蚊が死ぬんだから人間にとってもいいワケがないよネ」

この言い方が無性に癇に障ったのを今でも覚えている。


しかし蚊取り線香である必要はなくともそろそろ何か蚊対策をしないといけない。
蚊に耳元で囁かれたくないし刺されたくない。
何より子供たちが小さいので蚊が運ぶ感染症も心配。
そして家の中に迷い込んでくる蚊の数は日に日に増えていく。


対策が進まない理由


そんな状況なのに、我が家では未だ蚊撃退グッズを揃えていない。
蚊が飛んでいるのを見かけるたびに素手で仕留めている。
何とも原始的な方法だが、蚊対策がはかどらない理由がある。

それは蚊に刺されないから。
家の中にいると結構な頻度で蚊を見かけるし寝ている間に蚊の羽音は聞くのに不思議と刺されないのである。


そしてあるとき気がついた。
私たちの可愛い息子(長男)が蚊に刺されまくっていたことに。


確かにたまに刺されているのを見かけたことはあったが、そんなに気にしていなかった。
しかし先日、長男と風呂に入ろうと全裸にしたところ10箇所近くも蚊に刺されているのを発見した。

私と旦那、そして間もなく1歳になる次男は無傷である。
これはどういうことなのか。


狙い撃ちされる長男と蚊に素通りされる私たち


我が家で蚊に刺されるのは決まって長男。
しかし何故。

なんとなく原因の見当はついている。
家族の中で長男の体温が一番高いから。そして汗っかき。
きっとこれだ。
ネットで調べてみると私の予想は外れてなさそう。
しかしおかしいのは私も蚊に刺されやすい人の条件(アルコール摂取等)を満たしているのに刺されないこと。

長男以外は蚊に見向きもされない理由を一人ずつ考えてみた。

私: 家族の年長者(フレッシュさに欠ける)。

旦那: 体毛のせいで蚊の足場が無い。
スイス人と付き合い始めてビックリしたこと 〜体質編〜 - アルプスから高尾山

次男: 蚊は赤ん坊は殺らない。あ、そんなことないらしい。ほとんど刺されたことがないのは単に長男の持つ蚊を惹きつける魅力に負けているから?それとも物理的に小さいから?


昨夜の出来事。
家族で夕食をとっているときに、私がふと隣に座る長男の顔を見るとコメカミで蚊がまさに血を吸っているのが目に入った。
私は脊髄反射並みのスピードでそのコメカミにいるヤツを平手で叩いた。
前触れもなく母親に叩かれた長男は何が起きたかわからず、その3秒後に泣いた。
ごめんよ息子。
その後それは蚊からあなたを守る為だったのだよと説明する。

私の手と彼のコメカミを洗う。刺されていたと見られる箇所は赤くも何ともなっていない。
叩いたことに心が痛むが結果的に息子を苦しみから救うことに成功した。



今朝、朝食をとる息子の横顔を見て唖然。
コメカミは赤く腫れていた。
顔を叩かれた挙句、かゆみにも苦しめられた息子。
母ちゃん、胸が苦しいよ。


3歳の長男が犠牲となり我が家の平穏な日々は保たれている。

父ちゃんと母ちゃん、明日こそ何か買ってみせるから待ってろよぉ!

最近スイスが恋しい理由 

まだ5月だというのに暑い日が続く。
週間天気予報を見ると最高気温は明日を除いて25度以上。
私が住んだスイスの町は、真夏の平均最高気温は24度。
そして湿度は日本より低いのでサラっとしていて暑くてもあまり不快感がない。
今の時点で毎日のようにTシャツを汗だくにしている私たち夫婦。
これから本格的に夏が到来したらサウナで生活するような状態になるのかと今から心配している。


最近そんな私たち夫婦は毎日のように呟いている。
「ああ。テラスでビールが飲みたい」と。


テラスぅ?また気取ったこと言っちゃって。
これだから海外帰りはウザいわ。
と、私もスイスに行ってなかったら思ったかもしれない。
私がここで言う『テラス』とはただ外で飲み食いする場所だが、たぶん日本でテラスと言うと真っ先に出てくるのは表参道や青山辺りの洒落たカフェやレストランにあるもの。
そこに座るのもお洒落なセレブやその世界に近づきたそうな人たちという(私の勝手な)イメージ。

あと日本でテラスがある場所と言って思い浮かぶのはスターバックス
こちらは気兼ねなく座ることができそう。

パリでよく見かけるのが通りの方を向いて座るタイプのテラス。
これは、一般人が座って大丈夫なのか?と心配になったりする。
パリのシャンゼリゼオペラ座界隈のレストランでアジア人観光客は通りに面したテラス席には通してもらえないなんて悲しい噂も聞いたことがある。


テラスはお洒落?

スイスをはじめヨーロッパの国々でテラスはそんな敷居の高いものでも何でもない。
それなりの大きさの町であればテラスは街中どこにでもあるもの。
いや、山の頂上のレストランなどはさらにテラス必須だし、きっと田舎の小さな村にもありそう。
もちろん場所によってはお洒落して友達とお茶している人だらけなところもあるが、学生、親子連れ、そして仕事帰りにお疲れ様の一杯をやっている人々もたくさん。


私の場合、週末前の仕事終わりに帰宅しようと職場を出ると足が自然とテラスに向いていた。
ちなみに私の夏の定番アウトフィットはTシャツにジーパンにビーチサンダル。
『汗』という名のパフュームも欠かさない。

そして私がテラスに座ってビールを飲んでいると、私の後に仕事を終えた同僚もまるで私と彼女の間に磁力が存在するかのようにテラスに辿りつくのだった。
そしてお互いの旦那の愚痴をつまみに飲む。
すると旦那から「帰りが遅いがまたいつものところにいるのか」と私のケータイに連絡がくる。
そして数分後に彼が合流し、つまみは仕事の愚痴に変わる。

テラスとはそういう場である。


ここ東京で『テラス』探し


私が「テラスでビールを飲みたい」というときの『テラス』に相応する場所はどこなのか考えてみた。
それは決して表参道や青山にあるようなものでない。
テラスに行く目的はリラックスしてビールを飲むこと。
真夏にあんなところに座ったら、緊張でますます汗が吹き出て高いビールを何杯もおかわりし一瞬で散財するはめになるだろう。
だからと言って気軽に利用可能なテラスがあるスターバックスに行ってもビールはない。

残念ながら今うちの近所にはテラスが見当たらない。
もっと都心に住んでいたら新橋のガード下や浅草のホッピー通りなんかに行きたい。
表参道のそれに比べたらそっちのほうが私の求める『テラス』に近い。
しかしそこへ足を踏み入れたら美味しそうなおつまみの誘惑が待ち構えている。
もちろんそれを食べながら飲むビールは最高なのだが、それは毎日できることではない。
忘れるところだったが私には子供が2人いるし、今は無職で旦那の稼ぎで食べている。
同じ理由でビアガーデンも行きにくい。
もっと気軽に立ち寄りたいのである。


そこで思い出した。
日本にはPRONTO(プロント)という店があることを。
PRONTO -プロント-
プロントの検索結果画面に表示される説明文は以下の通り。

一つの文化とも呼べる、新しいくつろぎの場の創造。それがプロントの役割です。

己のポジションが唯一無二だとどうやら自覚していそうなことを文面から感じ取ることができる。
頼もしい。
ここはカフェでもありバーとしてアルコール類も出している。
そして安い←これ至極重要。
ここなら“ちょっと一杯”が気軽に出来る。
そして私が喉から手が出るほど求めている『テラス』がある店舗も‥‥ある!
もちろんうちの近所には‥‥ない!


テラスが好きすぎるフランス人

天気がいい日、レストランのテラス席には人が溢れかえり、トイレに行こうと店内に入るとガラガラということがよくある。
ヨーロッパの人々は本当にテラスが好き。
スイスでは夏が短いので、みんな暖かい季節を存分に楽しもうとしている。
まだ肌寒いと感じる気温だろうが、7月にもなれば水辺もない公園に水着で寝転がる人が出没しはじめる。
湖沿いにも、水着で寝転ぶ人はもちろんのこと、鳥肌だらけになって奇声を発しながら湖に入る若者や、黙って入る若くない者たちが現れる。
湖沿いにも季節限定のテラスが出現し、みんな湖畔で最高に気持ちの良いときを過ごすのだ。


一方、おとなりフランスのパリでは一年中テラス席が人気。
テラス席にも暖房があり、冬になればもちろん中に比べればだいぶ寒いのだがそれでもテラスに座りたがる人も少なくない。
夏は言うまでもなくテラス。
ちょっとビックリしたのは真夏にテラスで寿司を食べる人たちを見たとき。
照りつける太陽はテラスのパラソルをちょうど良くよけて寿司をまぶしく照らしていた。
そしてフランス人は会話を楽しみながらゆっくり食べる人が多い。
というより会話が弾みすぎて口に食べ物が入るチャンスが少なめだったりする。
もう何十分と放置されたであろう寿司のネタはもちろん乾いている。
あれ、よく見たら、もう魚に火入ってない!?それとも、あぶり!?



なんだかテラステラスと言いすぎて気が遠くなってきた。
今夜とりあえず旦那が帰ったらテラス席のあるプロントがある町の不動産情報でも見てみるか。
いや、先日「ベランダでビール飲めばいいじゃん!」と言った彼に言っても無駄だな。


うちのアパートのベランダの幅、50cmあるだろうか。

国際結婚の醍醐味 言葉の壁

先日、夫婦間のコミュニケーションに関する記事を書いたばかり。
alpestakao.hatenablog.com


その中でコミュニケーションがうまく行かない原因を“言葉の壁以外”で挙げたばかりだが、私たち夫婦に言葉の壁は、もちろんある。


話が噛み合わない

私はブログに旦那のネタを書きまくっているので、たまに彼にどんなことを書いているのか話すことがある。
昨日もそんな話になった。

私「今日はSiriのことをブログに書いたんだ。私のSiriが出てこなくなっちゃった話」
(↓これのこと)
alpestakao.hatenablog.com

旦那「あ、そうなの?」

私「あ、でも今はもう大丈夫になったんだけどね」

旦那「え、なおったの?すごいじゃん!よかったね!」

私「‥‥まぁね。‥‥でもそんなに使わないけど」

旦那「‥‥え。‥‥そうなの?」

私「う、うん。別に使わなくても普通に検索したほうが結局速いし」

旦那「はぁ? ‥‥‥‥あああああ!!あははははは」

私「‥‥‥」


何が起きたのか全く理解出来なかった私。
ポカンとする私に旦那が大笑いしながら説明し始める。

「シリってSiriのことね!尻だと思った!あははははは」

ということで私のお尻の問題のことだと思って話を聞いていたらしい。
それが治ったと思って喜んでくれたのだった。

(↓これのこと)
alpestakao.hatenablog.com


まとめ

言葉の壁を乗り越えるために私たちが気をつけていること。

  • 言葉の壁はあって当たり前ということを念頭に置く

自分の考えや心境を相手に伝える際に、わかりやすい言葉を選んで丁寧に伝える努力を怠らない。(できるだけ。)

  • 分かったふりをしない

相手の言うことが理解できていないのに「アーハン」とか流れで相槌を打たないこと。
流れで「アーハン」って言っちゃった後でも「で、なんつった今?」と理解できるまで聞き返す。(余裕があるときは。)

  • 相手に遠慮せずに突っ込む

相手の話を理解した上で相手の言い分に間違いがあると思ったら質問や意見する。
この際、攻撃的になる必要は全くないし、相手の主張もきちんと最後まで聞く。(機嫌がいいときは。)

  • せっかくなので楽しむ

日本人同士だって話が噛み合わなかったり勘違いが起こったりすることがあるので外国人同士なら日常茶飯事。
衝突はお互いのことをより良く知るチャンス。
後でネタになるので真面目に取り組むこと。(間違いない。)



そんな我々、今日は高幡不動尊金剛寺にお遍路に行ってきた。
お遍路といえば四国八十八カ所の巡拝だが、なんと高幡不動尊では同じご利益があるお遍路を一時間で出来ることになっている。(これ大丈夫なのか。)
ご利益てんこ盛り! 東京・山内八十八ヶ所巡りは1時間で四国八十八ヶ所の価値あり!? | 東京都 - 観光・地域 - Japaaan
詳しい業務提携の仕組みは分からないが、四国に行くお金も時間も節約できるならと行ってみた。

子連れでも問題ないお遍路の道のり。
もうすぐ紫陽花が見頃を迎え、6月からはあじさいまつりが開催されるよう。


無事にお遍路も終えたし、私のおシリも良くなるといいな。

最近ブログ内容がどんどん赤裸々になってきた気がする。


ブログ名を『セキラ・ラ・ランド』に変えようかな。

Siriが行方不明

今年になって約6年ぶりにiphoneを購入した。
iphone SEというモデルにした。


購入にいたるまでの経緯

私は6年前に買った4Sを約5年間も使った。
あるときは、銀座の数奇屋橋交差点で青信号が点滅したのに慌てて走って渡ろうとしたときにポケットからすべり落ち、画面がバリバリになった。
それでも修理して使い続けた。

そしてSIMロックを解除してスイスへ持っていき私の4Sは海外デビュー。
バッテリーは古くなり、朝にフル充電して出かけても正午には50%しか残らなかった。
2016年の夏、ネットでバッテリー交換キットを購入し、額に汗しながら自らの手でバッテリー交換をした。

2017年の春。
そんなに可愛がった我が子もそろそろ寿命。
バッテリーを充電することを拒み始める。
充電器に問題はないのに彼女の体が電気を受け付けない。
もう話しかけても擦っても反応のないその身体を見つめていると、見かねた旦那が話しかけてきた。

「ぼくが前に使ってた5Sあるけど、使う?」

試しに見せてもらうと画面はバリバリとまではいかないが、バリ。
充電してみると、タッチパネルのバリな左半分は触っても反応なし。
まだ愛着のない彼の液晶交換は自分でやる気にならず、近くの修理屋にお願いする。
生き返った彼を使い始め、もう1年になるころ日本への引越しが決まり、彼ももちろん連れていくことに。

この5Sは旦那がスイスで購入したもの。(現在、旦那は中国メーカーの携帯ユーザー)
大都会東京の空気が合わなかったのか、徐々に液晶パネルが剥がれて浮いてくるようになった。

そして彼も4Sと同じく電気を受け付けなくなる。

ここまで使い切ったんだし、もう潔く新しいやつ買おうじゃないか。


まだ手元にある5S。安らかに眠っている。


SEにした理由

SEは私が使ってきた4Sと5Sと同じサイズということで使い慣れていて操作しやすいと思ったから。
私の知らないうちに(いや、なんとなく横目でちらちら他人のiphoneは見てきたが、どうやら私の購入してない期間で)、iphoneは大きくなったようだった。
そして未だに大きいサイズのモデルも進化し続けているが、私の愛着のあるサイズがSEとしてまた新たに発売されていたのは巡り合わせとしか言いようがない。
満を持して私のために発売されたんじゃないかとうっかり勘違いしてしまいそうになった。


ここまでで十分お分かりいただけたと思うが、私はこういうジャンルに疎い。
”こういうジャンル”っていうボカした言い方にする理由も疎すぎて何と言ってよいのか分からないから。
IT機器?情報処理端末?
会社に勤めていたころはそんなに疎い人間ではなかったと思うが、今の旦那と付き合ってから彼が詳しすぎてそういうものの購入の際は彼に任せ始めた。
手伝ってもらってありがたいし感謝している。
そして気づいたときには私は時代に取り残されていた。


Siriの設定

ネットで購入したSEが家に届いたので、早速初期設定に取りかかる。
最近のiphoneは何も知識が無い私のような人間もスマートに導いてくれるので助かる。
スマートフォンだけにぃ!
私はただただ彼女の指示する通りに設定を進めた。

しばらく設定を進めていくと、Siriの設定が出てきた。
Siriの存在とおおよその機能くらいはこんな私でも知っていたが、もう6年もiphoneを使い続けてSiriとお話したのはほんの数回。
それもただ彼女を困らせるような変な質問をしたら何と答えるかという今どき小学生でもやらないようなお遊びのため。
どうせ使わないだろうと思いつつも、言われるがままに設定だけすることにした。
画面に表示された指示はこちら。

iPhoneに向かって、“Hey Siri”と言ってください」

私(えっと、これは普通に“Hey Siri”を読めばいいんだよね。)
「ヘイ、シィリィ」

iPhone「もう一度、“Hey Siri”と言ってください」

私(え、発音が悪かったのかな。よし、本気出すぞ。)
「ヘイ、スィリィー !」

iPhone「あともう一回、“Hey Siri”と言ってください」

私(えええ、これでもだめなの?すんごい頑張ったのに。おっしゃー!)
「へーイ、スィー、ゥリィーー!!!」

その後いくつか文章を言うように指示され、とりあえず登録が終わったようだった。


いざ実践

その後月日が流れ、私は彼女の存在を忘れてSEを使いこなし始めたつもりになっていた。
そしてある日、なんとなく見たバラエティ番組でiPhoneの機能の話をしていたのだが、そこでSiriの話題がでた。

そのとき初めて、私は“Hey Siri”というフレーズの持つ力を知る。
今まで“OK Google”というフレーズもテレビのCMか何かで聞いたことがあったが、そのフレーズの役割を知ったのもこのときであった。

そんなことを聞いたら試さずにはいられない。
早速iPhone SEに向かって話しかける。

私「ヘイ、シリ」

iPhone「‥‥」

私「ヘイ、シリ」

iPhone「‥‥」

(おかしいな、設定がオフになっているのかな)
確認するが、Siriの機能はオンになっている。

あ、もしかして。

私「ヘイ、スィリィー‥‥ヘイ、シリィ!!‥‥‥ヘイ‥へーイ、スィー、ゥリィーー!!!」

iPhone「‥‥」

私「ヘイ、シリィーー!! ‥‥ヘイ、スィリィー!!‥‥ヘイ!! シリィ!!‥ヘイスィリイィー!!‥‥へーイー、スゥィー、ゥリィイイーー!!!」

iPhone「‥‥」

私「(はぁ、はぁ、)‥‥ヘイ、スゥィゥリィー」

iPhone「(ピピッ)、ご用件は何でしょう」

私「(はぁ、はぁ、)」



用件なんて無かった。



とりあえずその後、Siriの音声登録が再設定可能であることをネットで確認し胸を撫で下ろす。


こんな私の旦那は音声処理の仕事をしている。

国際結婚 侵される食生活

今朝、長男が一口分だけ食べ残したトーストを何も考えず口に放り込んだところ、その強烈な甘さと重さに意識が遠のいた。
これは焼いた食パンに旦那がバターとハチミツを塗ったものだった。
たかがトースト。
しかしながら心とお口の準備が出来ていない状態でこれを食べたときの衝撃は大きい。

ということでいきなり本日の国際結婚あるある

食生活における脂質の摂取量が増える

特に私のように流されやすい人間は外国人と住み続けると徐々に確実に影響を受けてしまう。
欧米人と生活を共にしてようが流されずストイックに自己管理している人たちすごすぎる。


パンに塗るものはケチらない

一緒に生活し始めた当初は彼がパンに塗るバターやハチミツの量に驚いた。
塗る厚さバター約1ミリ+ハチミツ約1ミリで、トーストの表面がつやっつやに盛り上がっている。
しかも牛の国スイス産の彼にとって、マーガリンをバターの代わりにすることはできない。
たとえバターがマーガリンの倍以上の値段がしても代用は許されない。
そしてバターはこれでもかと厚塗りするのだ。
ハチミツだって安いものではないが、これも先ほど厚塗りしたバターの存在を消すのが目的であるかのごとく上から厚塗りする。

まあいいさ。
彼の口癖は「パンじゃ貧乏になれないよ」
これは何を言いたいのかというと、朝食のためにちょっといいパンを買ってバターを多めに塗ったからといって、そのことが家計を傾ける原因にはならないということらしい。
確かに毎晩のように外食することに比べれば大したことはないだろう。

そして私はあるとき気がついた。
旦那と一緒に生活し始めてから、私がパンに塗るバターの量はいつの間にか倍増していた。
ピクニックでパンを食べるならバターを持っていきたがるようになっていた。
パンとチーズを食べるときもパンにバターをつけたいと言ってた。
完全に侵されている。


スイスに住み始めたばかりのころ、私は彼の実家にお世話になっていた。
旦那と義理の両親、そしてフランスから里帰り中の義姉も一緒に食卓を囲んで朝食をとった日のこと。
テーブルにはカンパーニュタイプのパンとクロワッサン、そしてバターとハチミツの他にジャムが4~5種類ほど並ぶ。
これは特別な朝食ではなく、いつも通り。

私はまずジャムの量に驚いた。
こんなに種類いる?
色とりどりのジャムに目を奪われた私の横で義姉がクロワッサンを器用に半分にスライスし、ジャムには目もくれずクロワッサンの切断面に丁寧に塗り始めたものはバター。

クロワッサンにはすでにバターが存分に練り込まれていて触っただけで手がテカテカになるのにバター追加。

ちなみに義理の両親はジャムの消費量も尋常じゃない。
彼らは先月我が家に2週間滞在したが、その間にほぼ2人だけで食べたジャムの量は約1キロ。
食べる様子を見ていると、なるほど、ジャムはパンに塗るものではなくティースプーンで盛るものだった。
それでも痩せているのはそれ以外の食事量が少ないから。
お義母さんは小鳥のように少食。


白いご飯に代わるのはフライドポテト

脂質の増加の原因はもちろんパンに塗るバター以外にもわんさかある。
まずはスイスならチーズ、そして生クリーム。
そしてやはり欧米では食事に登場する肉の量は多い。
特に外食でよく食べるのはステーキ、そしてソーセージなどの食肉加工品。
ここまではまだいいのだが、私が問題視するのはとなりに添えられるものの定番フライドポテト。

f:id:heidima:20180517101048j:plain
ビールジョッキにかぶってしまっているが。


日本にいたころはたまにハンバーガーとフライドポテトを食べることがあっても、
「今日はジャンクなもの食べちゃおう」
と思って食べていた。
それがスイスに行くと特別なジャンクデーでも何でもない日常になった。


「欧米に留学して1年で10キロ太りました!」
とか聞くが、私も自分で自炊せずに旦那に任せて食べまくっていたらそうなったに違いない。
彼が料理に使うオリーブオイルの量も多め。
それでも地中海の国々には負ける。
地中海のオリーブオイルの量は観光客泣かせだと個人的には思っている。
旅行で食事を楽しみたいのに重すぎてお腹が空かない。

かくいう私の生まれ育った日本だって天ぷら、トンカツ、唐揚げにラーメンと脂っこいメニューも人気があるし、もともと私は脂っこいものは好きでよく食べるほうだが、毎日毎食のように揚げ物を食べることは以前はしなかった。


もうアブラなんて怖くない

このように、以前は油や脂を多く摂取することについて罪悪感があったが、それが徐々に薄れていったのは今の旦那と付き合い出してから。
もう毎日のように揚げ物を食べても何とも思わない。
旦那といると「あ、こんなに油分摂取しちゃうんだ。じゃあ私ももっと摂っていいかな」となるのである。
彼は私より20センチ背が高く体重は25キロ重いことはよく考慮し忘れる。
とりあえず年齢的にも気をつけないといけない年になってしまったし定期的に健康診断には行かないと。
まだこんな食事に耐えれる私、ある意味すごい。
(太っても胃腸にこないってことでの自画自賛。)


今回の話は結婚相手がベジタリアンとか体を鍛えたりスポーツをしたりして気を遣っている人にはもちろん当てはまらないが、きっと頷いてくれる私と同じような境遇の人がいるのではないだろうか。


しかしヨーロッパよりアメリカ大陸のほうがひどいと思われる。
脂質はもちろん糖質もがっつり増えるに違いない。

私はフライドポテトはビールで流し込むが、アメリカ人はシェイクで流し込むのをよく目にする。


私まだまだ大丈夫そう。

Blue Monday 朝からぎっくり そしていつものあいつ 

今日、私の頭の中では一日中New Orderの『Blue Monday』がループしていた。
私は目覚めた瞬間からブルーだった。



そして朝からぎっくり腰になった。
ぎっくり腰というと一歩も動けないような症状を想像するが、そこまでひどいものではなかった。
でも体勢を変えたときに『ぎくっ』と腰に違和感を感じ、そこが痛み続けているのでおそらく軽いぎっくり腰なのだと思う。
歩けない子供と暴れ回る子供と行動を共にすることを強いられる母親にとってこれは痛手。
痛くても長男を幼稚園に迎えに行かない訳にはいかないし、次男は置いていく訳にいかず歩けないから抱っこしなければいけない。


あっという間に迎えに行く時間になり、のろのろと準備をする。
外に出るとまだ5月だというのに真夏のような日差しが照りつける。
風があるのがまだ救いだが、これから数年ぶりに体験することになる日本の蒸し暑い夏に耐えられるのか不安になる。
まぶしい太陽の光は私に対する嫌がらせ。
ブルーな人間にとっては何だってネガティブなメタファーになるのだ。



腰が気になりいつも以上にダラダラと歩く。
歩いているとお尻のあたりに不快感を覚えた。



また君か。


妊娠と出産を経て私は痔主になった。





「◯◯ちゃんのお父さんは痔の手術を受けるんだって」

小学生のとき、そんな要らない情報がクラスで広がったことがあった。
当時の私は痔とは何なのかさえよく分かっていなかったが、きっとクラスのみんながよく分かっていなかったに違いない。
そしてきっとクラスのみんなが痔とは何か恥ずかしいことなんだろうと思っていた。


その当時は自分が痔になる日が来るなんて思っていなかった。



月日は流れ、私が25歳だったときに知り合ったフランス人がフランス語に興味を持ちはじめたばかりだった私にフランス語のフレーズを2つ教えた。
一つは「私は妊娠しています」
二つめは「私は痔持ちです」
だった。

彼はもちろんふざけてこの2つのフレーズを選んだ。
私はそんな文章は使う機会がこないだろうから覚える必要がないと思ったが、今後フランス人を笑わせるために覚えておくのもいいだろうと暗記した。

そしてそれから10年も待たずに私はこの2つの文を何度も使うことになった。



痔主になって思うが、これは何も恥ずかしいことではない。
まだ予備軍だったころは心配でインターネットでいろいろ情報を探したりしたし、スイスの病院でも産婦人科に何度も相談した。
ネットでは日本人の3人に1人が痔持ちだという情報が流れる。
スイスの産婦人科医も私の伏し目がちな告白に対し、「あ~そう」とカジュアルに返す。
妊婦が痔になるケースは非常に多いという。


もし私が小学生のときに痔主デビューしてしまっていたら死ぬほど悩んだに違いない。
そしてもういい感じに40歳が視界に入ってきている私は、やはり、痔主として生きていることに悩んでいる。

その理由は恥ずかしいからでも何でもなくて、不快だから。
まだ痛みはそんなに出ていないが時間の問題だろう。
そろそろ病院に行く段階にきているのかもしれない。


とりあえず病院の前に薬局で軟膏を買おうと思っている。
スイスでは産婦人科に処方された痔の軟膏や座薬を薬局で買っていた。
そういうときに限って対応してくれる薬局の店員が若くてかっこいいお兄さんだったりする。


「ボンジュール。私は痔主です。軟膏をください」
いや、ただ処方箋を渡せば売ってくれるのだが、どうせなら宣言させてくれ。

お兄さんが座薬の入れ方を知ってるかと尋ねてきた。
何年生きてると思うとるんじゃい。
と言いたいところだったが、スイス初座薬だし何となく入れ方を聞いてみた。

まさかの入れる向きがいつもと逆方向だった。



彼の表情に『ドヤ』の色が浮かんだように見えたのは気のせいかもしれないが、そのあと心配でネットで探してみるがそんな入れ方を推奨している人は‥‥少ないけどいた。


そんなどうでもいいスイスの薬局の思い出まで蘇るほど憂鬱な気分の私。
日本の薬局やドラッグストアで薬剤師や店員が男性だったら相手が外国人男性の場合よりちょっと恥ずかしそう。

なんでだろう。


大丈夫、彼も痔主である確率は3分の1。
もしお仲間なら私に優しく微笑みかけてくれるかも。