アルプスから高尾山

国際結婚しスイスに5年住んで帰国した主婦が日本とスイスのギャップに弄ばれる

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ハレの日の珍事

次男の小学校の入学式を迎えた。

 

朝はいつも通りに起きたものの、

私と夫が何度声をかけても、なかなかスイカ柄のパジャマを脱ごうとしない。

「もう着替えないと時間になっちゃうよ」

「・・・」

次男は知的好奇心旺盛なタイプで、

得た知識を誰かに聞いて欲しいときは

雄弁をふるいだすと止まらない。

その一方で、自分の心中を言語化するのが苦手なようで、

何かうまくいかないことや気に入らないことがあると、

いじけた顔で何も言わずに膨れている。

この日も例に漏れず30分近く膨れていた。

何でもいいから考えてること言ってみてくれない?とお願いすると

「自分で考えて」と。

 

次男、まあ拗らせているのである。

その瞬間を生きている、マインドフルネスを地で行く長男と全く違う。

長男は入園→転園→入学→転校と、

親の都合で環境が頻繁に変わる幼少期を過ごさせてしまったからなのか、

あるいは彼の先天的な性格によるものなのか、

かなり変化に強い人間に育っている。

 

そんな兄を持つ弟は心配性。

スイカ柄で入学式出るの?

何も食べないで行くとお腹空いちゃうよ?

準備を促そうと何度も声をかけても、膨れっ面でただ首をぶるんぶるんと横に振るのみ。

 

そうこうしている間に、お願いしていた着物の着付けの先生がいらした。

そう、わたし思い切って着物を着ることにしていた。

これを逃したら、またこの先3年は着物が箪笥ならぬ衣装ケースの肥やしになるから。

本日の主役、着付けの先生に「おめでとう」と声をかけられても膨れたまま顔をそらすだけ。

我が子の無礼を謝りながら着付けてもらい、

横目で様子を伺うと、いよいよ観念したのか

夫に手伝われながらシャツに腕を通し始めた。

依然、膨れたまま。

 

私の着付けも無事に終わり、先生から「きれいです」と声をかけられ上機嫌な私。

最近の飲み会三昧のためスーパージャストサイズになったスーツに身を包んだ夫。

仏頂面に蝶ネクタイ引っかけた息子。

 

着付けの先生を送り出し、庭で写真を撮ったりなぞする。

息子は笑顔ゼロのくせに、写真の画角内には何となく収まる。

 

出発の時間になり、家族3人手を繋いで学校へ向かった。

道すがら近所にお住まいのご婦人とおぼしき方に「おめでとう」と笑顔で声をかけられた。

私と夫が笑顔でお礼を言う中、不機嫌を悟られまいと私の後ろに隠れる息子。

 

馴染みの公園に差し掛かると、目を見張るような満開の桜があった。

せっかくだから写真を撮ろうと公園に入る。

長男の友達らしき少年たちが、夫に気づき声をかけてきたので、

家族写真を撮ってもらった。

3枚ほど撮っただろうか。

そろそろ時間も迫るのでいざ小学生へ足を向けたそのときである。

 

ビリビリビリ

 

一瞬の出来事であった。

私の脇あたりに振動が走ると共に、脊髄反射で短くも、

まさに絹を裂くような私の悲鳴が朝の公園に響いた。

息子に袖を引っ張られた感覚が生々しく残る。

 

恐る恐る音のした方に目をやると、思わず目を覆いたくなる光景が。

いや、すぐさま覆うべきはパックリと開いた着物と長襦袢の方だ。

よく見ると、縫い糸が切れただけでなく、生地自体も少し破れている箇所がある。

幸いにも肌襦袢は裂けておらず、生肌は見えないので良かった。

いや、良くない。

 

15センチほど綺麗に袖の縫い目が裂けた着物。

「マジアリエナイ」と小声で漏らしながら、私は震えていた。

やり場のない怒りと絶望。

母、姉と、家族で大切に着回してきた着物。

 

遠くから怯えた夫の声が聞こえる。

「あ、安全ピンでも買ってこようか?」

 

「イラナイ」

 

着物と共に私の気持ちも裂けていた。

裂けたものは戻らない。

 

こんな日に息子を怒鳴るわけにいかない。

でもこの怒りを伝えたいと思ってしまう未熟な私。

世の中に一定数いる「謝らせ屋」の気持ちが分かる。

 

深呼吸でなんとか怒りを落ち着かせようとするが、

そんなのは建前で、出てくるのは「マジでムカつく」が乗ったドス黒い吐息のみ。

 

夫に促されて、消えそうな声で息子が私に言った。

「ごめんね」

 

その言葉を胸に、私は着物の裂け目を左脇にはさみ、

ぎゅっと脇を締めた。

 

校門の『入学式』の看板の前で写真を撮る家族たちを眺めていると、

初めましての家族の方に「写真撮りましょうか?」と声をかけられ、精一杯、脇を締めた。

しかし、脇を絞めながら自然な笑顔が作れるほど器用ではない。

夫だけが笑顔で写る家族写真。

 

式の終盤に集合写真を撮った際も、

脇を力一杯締め、それが自然に見えるようハンドバッグを持って映った。

 

脇を締めて半日をやりきった。

 

家に着くなり母親に電話し、袖を引っぱられて着物が裂けたと報告し、謝罪をした。

報告後、5秒ほどの沈黙の後の母親の言葉は

「なんで?」

だった。そして、

「ジャスコの閉店セールで買ったやつだから、そんなに気にしないで」と言われた。

母の寛容さとジャスコの懐かしさに目頭が熱くなる。

 

その日の午後は、モヤモヤしていた。

息子だって、初めての学校で友達もいないし、新しい環境に不安を抱いていただけ。

不安な気持ちでうっかり袖を引っ張ってしまっただけ。

悪気はない。

でもモヤモヤがモヤモヤし続けた。

そんな気持ちを晴らすために、

公園で卒園したての保育園のママ友たちに話を聞いてもらった。

それでもあとちょっと何か足りない気がしたので、

鉄棒で空中逆上がりをして帰った。

 

こんな母親をこれからもよろしくお願いします。