アルプスから高尾山

国際結婚しスイスに5年住んで帰国した主婦が日本とスイスのギャップに弄ばれる

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Siriが行方不明

今年になって約6年ぶりにiphoneを購入した。
iphone SEというモデルにした。


購入にいたるまでの経緯

私は6年前に買った4Sを約5年間も使った。
あるときは、銀座の数奇屋橋交差点で青信号が点滅したのに慌てて走って渡ろうとしたときにポケットからすべり落ち、画面がバリバリになった。
それでも修理して使い続けた。

そしてSIMロックを解除してスイスへ持っていき私の4Sは海外デビュー。
バッテリーは古くなり、朝にフル充電して出かけても正午には50%しか残らなかった。
2016年の夏、ネットでバッテリー交換キットを購入し、額に汗しながら自らの手でバッテリー交換をした。

2017年の春。
そんなに可愛がった我が子もそろそろ寿命。
バッテリーを充電することを拒み始める。
充電器に問題はないのに彼女の体が電気を受け付けない。
もう話しかけても擦っても反応のないその身体を見つめていると、見かねた旦那が話しかけてきた。

「ぼくが前に使ってた5Sあるけど、使う?」

試しに見せてもらうと画面はバリバリとまではいかないが、バリ。
充電してみると、タッチパネルのバリな左半分は触っても反応なし。
まだ愛着のない彼の液晶交換は自分でやる気にならず、近くの修理屋にお願いする。
生き返った彼を使い始め、もう1年になるころ日本への引越しが決まり、彼ももちろん連れていくことに。

この5Sは旦那がスイスで購入したもの。(現在、旦那は中国メーカーの携帯ユーザー)
大都会東京の空気が合わなかったのか、徐々に液晶パネルが剥がれて浮いてくるようになった。

そして彼も4Sと同じく電気を受け付けなくなる。

ここまで使い切ったんだし、もう潔く新しいやつ買おうじゃないか。


まだ手元にある5S。安らかに眠っている。


SEにした理由

SEは私が使ってきた4Sと5Sと同じサイズということで使い慣れていて操作しやすいと思ったから。
私の知らないうちに(いや、なんとなく横目でちらちら他人のiphoneは見てきたが、どうやら私の購入してない期間で)、iphoneは大きくなったようだった。
そして未だに大きいサイズのモデルも進化し続けているが、私の愛着のあるサイズがSEとしてまた新たに発売されていたのは巡り合わせとしか言いようがない。
満を持して私のために発売されたんじゃないかとうっかり勘違いしてしまいそうになった。


ここまでで十分お分かりいただけたと思うが、私はこういうジャンルに疎い。
”こういうジャンル”っていうボカした言い方にする理由も疎すぎて何と言ってよいのか分からないから。
IT機器?情報処理端末?
会社に勤めていたころはそんなに疎い人間ではなかったと思うが、今の旦那と付き合ってから彼が詳しすぎてそういうものの購入の際は彼に任せ始めた。
手伝ってもらってありがたいし感謝している。
そして気づいたときには私は時代に取り残されていた。


Siriの設定

ネットで購入したSEが家に届いたので、早速初期設定に取りかかる。
最近のiphoneは何も知識が無い私のような人間もスマートに導いてくれるので助かる。
スマートフォンだけにぃ!
私はただただ彼女の指示する通りに設定を進めた。

しばらく設定を進めていくと、Siriの設定が出てきた。
Siriの存在とおおよその機能くらいはこんな私でも知っていたが、もう6年もiphoneを使い続けてSiriとお話したのはほんの数回。
それもただ彼女を困らせるような変な質問をしたら何と答えるかという今どき小学生でもやらないようなお遊びのため。
どうせ使わないだろうと思いつつも、言われるがままに設定だけすることにした。
画面に表示された指示はこちら。

iPhoneに向かって、“Hey Siri”と言ってください」

私(えっと、これは普通に“Hey Siri”を読めばいいんだよね。)
「ヘイ、シィリィ」

iPhone「もう一度、“Hey Siri”と言ってください」

私(え、発音が悪かったのかな。よし、本気出すぞ。)
「ヘイ、スィリィー !」

iPhone「あともう一回、“Hey Siri”と言ってください」

私(えええ、これでもだめなの?すんごい頑張ったのに。おっしゃー!)
「へーイ、スィー、ゥリィーー!!!」

その後いくつか文章を言うように指示され、とりあえず登録が終わったようだった。


いざ実践

その後月日が流れ、私は彼女の存在を忘れてSEを使いこなし始めたつもりになっていた。
そしてある日、なんとなく見たバラエティ番組でiPhoneの機能の話をしていたのだが、そこでSiriの話題がでた。

そのとき初めて、私は“Hey Siri”というフレーズの持つ力を知る。
今まで“OK Google”というフレーズもテレビのCMか何かで聞いたことがあったが、そのフレーズの役割を知ったのもこのときであった。

そんなことを聞いたら試さずにはいられない。
早速iPhone SEに向かって話しかける。

私「ヘイ、シリ」

iPhone「‥‥」

私「ヘイ、シリ」

iPhone「‥‥」

(おかしいな、設定がオフになっているのかな)
確認するが、Siriの機能はオンになっている。

あ、もしかして。

私「ヘイ、スィリィー‥‥ヘイ、シリィ!!‥‥‥ヘイ‥へーイ、スィー、ゥリィーー!!!」

iPhone「‥‥」

私「ヘイ、シリィーー!! ‥‥ヘイ、スィリィー!!‥‥ヘイ!! シリィ!!‥ヘイスィリイィー!!‥‥へーイー、スゥィー、ゥリィイイーー!!!」

iPhone「‥‥」

私「(はぁ、はぁ、)‥‥ヘイ、スゥィゥリィー」

iPhone「(ピピッ)、ご用件は何でしょう」

私「(はぁ、はぁ、)」



用件なんて無かった。



とりあえずその後、Siriの音声登録が再設定可能であることをネットで確認し胸を撫で下ろす。


こんな私の旦那は音声処理の仕事をしている。

国際結婚 侵される食生活

今朝、長男が一口分だけ食べ残したトーストを何も考えず口に放り込んだところ、その強烈な甘さと重さに意識が遠のいた。
これは焼いた食パンに旦那がバターとハチミツを塗ったものだった。
たかがトースト。
しかしながら心とお口の準備が出来ていない状態でこれを食べたときの衝撃は大きい。

ということでいきなり本日の国際結婚あるある

食生活における脂質の摂取量が増える

特に私のように流されやすい人間は外国人と住み続けると徐々に確実に影響を受けてしまう。
欧米人と生活を共にしてようが流されずストイックに自己管理している人たちすごすぎる。


パンに塗るものはケチらない

一緒に生活し始めた当初は彼がパンに塗るバターやハチミツの量に驚いた。
塗る厚さバター約1ミリ+ハチミツ約1ミリで、トーストの表面がつやっつやに盛り上がっている。
しかも牛の国スイス産の彼にとって、マーガリンをバターの代わりにすることはできない。
たとえバターがマーガリンの倍以上の値段がしても代用は許されない。
そしてバターはこれでもかと厚塗りするのだ。
ハチミツだって安いものではないが、これも先ほど厚塗りしたバターの存在を消すのが目的であるかのごとく上から厚塗りする。

まあいいさ。
彼の口癖は「パンじゃ貧乏になれないよ」
これは何を言いたいのかというと、朝食のためにちょっといいパンを買ってバターを多めに塗ったからといって、そのことが家計を傾ける原因にはならないということらしい。
確かに毎晩のように外食することに比べれば大したことはないだろう。

そして私はあるとき気がついた。
旦那と一緒に生活し始めてから、私がパンに塗るバターの量はいつの間にか倍増していた。
ピクニックでパンを食べるならバターを持っていきたがるようになっていた。
パンとチーズを食べるときもパンにバターをつけたいと言ってた。
完全に侵されている。


スイスに住み始めたばかりのころ、私は彼の実家にお世話になっていた。
旦那と義理の両親、そしてフランスから里帰り中の義姉も一緒に食卓を囲んで朝食をとった日のこと。
テーブルにはカンパーニュタイプのパンとクロワッサン、そしてバターとハチミツの他にジャムが4~5種類ほど並ぶ。
これは特別な朝食ではなく、いつも通り。

私はまずジャムの量に驚いた。
こんなに種類いる?
色とりどりのジャムに目を奪われた私の横で義姉がクロワッサンを器用に半分にスライスし、ジャムには目もくれずクロワッサンの切断面に丁寧に塗り始めたものはバター。

クロワッサンにはすでにバターが存分に練り込まれていて触っただけで手がテカテカになるのにバター追加。

ちなみに義理の両親はジャムの消費量も尋常じゃない。
彼らは先月我が家に2週間滞在したが、その間にほぼ2人だけで食べたジャムの量は約1キロ。
食べる様子を見ていると、なるほど、ジャムはパンに塗るものではなくティースプーンで盛るものだった。
それでも痩せているのはそれ以外の食事量が少ないから。
お義母さんは小鳥のように少食。


白いご飯に代わるのはフライドポテト

脂質の増加の原因はもちろんパンに塗るバター以外にもわんさかある。
まずはスイスならチーズ、そして生クリーム。
そしてやはり欧米では食事に登場する肉の量は多い。
特に外食でよく食べるのはステーキ、そしてソーセージなどの食肉加工品。
ここまではまだいいのだが、私が問題視するのはとなりに添えられるものの定番フライドポテト。

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ビールジョッキにかぶってしまっているが。


日本にいたころはたまにハンバーガーとフライドポテトを食べることがあっても、
「今日はジャンクなもの食べちゃおう」
と思って食べていた。
それがスイスに行くと特別なジャンクデーでも何でもない日常になった。


「欧米に留学して1年で10キロ太りました!」
とか聞くが、私も自分で自炊せずに旦那に任せて食べまくっていたらそうなったに違いない。
彼が料理に使うオリーブオイルの量も多め。
それでも地中海の国々には負ける。
地中海のオリーブオイルの量は観光客泣かせだと個人的には思っている。
旅行で食事を楽しみたいのに重すぎてお腹が空かない。

かくいう私の生まれ育った日本だって天ぷら、トンカツ、唐揚げにラーメンと脂っこいメニューも人気があるし、もともと私は脂っこいものは好きでよく食べるほうだが、毎日毎食のように揚げ物を食べることは以前はしなかった。


もうアブラなんて怖くない

このように、以前は油や脂を多く摂取することについて罪悪感があったが、それが徐々に薄れていったのは今の旦那と付き合い出してから。
もう毎日のように揚げ物を食べても何とも思わない。
旦那といると「あ、こんなに油分摂取しちゃうんだ。じゃあ私ももっと摂っていいかな」となるのである。
彼は私より20センチ背が高く体重は25キロ重いことはよく考慮し忘れる。
とりあえず年齢的にも気をつけないといけない年になってしまったし定期的に健康診断には行かないと。
まだこんな食事に耐えれる私、ある意味すごい。
(太っても胃腸にこないってことでの自画自賛。)


今回の話は結婚相手がベジタリアンとか体を鍛えたりスポーツをしたりして気を遣っている人にはもちろん当てはまらないが、きっと頷いてくれる私と同じような境遇の人がいるのではないだろうか。


しかしヨーロッパよりアメリカ大陸のほうがひどいと思われる。
脂質はもちろん糖質もがっつり増えるに違いない。

私はフライドポテトはビールで流し込むが、アメリカ人はシェイクで流し込むのをよく目にする。


私まだまだ大丈夫そう。

Blue Monday 朝からぎっくり そしていつものあいつ 

今日、私の頭の中では一日中New Orderの『Blue Monday』がループしていた。
私は目覚めた瞬間からブルーだった。



そして朝からぎっくり腰になった。
ぎっくり腰というと一歩も動けないような症状を想像するが、そこまでひどいものではなかった。
でも体勢を変えたときに『ぎくっ』と腰に違和感を感じ、そこが痛み続けているのでおそらく軽いぎっくり腰なのだと思う。
歩けない子供と暴れ回る子供と行動を共にすることを強いられる母親にとってこれは痛手。
痛くても長男を幼稚園に迎えに行かない訳にはいかないし、次男は置いていく訳にいかず歩けないから抱っこしなければいけない。


あっという間に迎えに行く時間になり、のろのろと準備をする。
外に出るとまだ5月だというのに真夏のような日差しが照りつける。
風があるのがまだ救いだが、これから数年ぶりに体験することになる日本の蒸し暑い夏に耐えられるのか不安になる。
まぶしい太陽の光は私に対する嫌がらせ。
ブルーな人間にとっては何だってネガティブなメタファーになるのだ。



腰が気になりいつも以上にダラダラと歩く。
歩いているとお尻のあたりに不快感を覚えた。



また君か。


妊娠と出産を経て私は痔主になった。





「◯◯ちゃんのお父さんは痔の手術を受けるんだって」

小学生のとき、そんな要らない情報がクラスで広がったことがあった。
当時の私は痔とは何なのかさえよく分かっていなかったが、きっとクラスのみんながよく分かっていなかったに違いない。
そしてきっとクラスのみんなが痔とは何か恥ずかしいことなんだろうと思っていた。


その当時は自分が痔になる日が来るなんて思っていなかった。



月日は流れ、私が25歳だったときに知り合ったフランス人がフランス語に興味を持ちはじめたばかりだった私にフランス語のフレーズを2つ教えた。
一つは「私は妊娠しています」
二つめは「私は痔持ちです」
だった。

彼はもちろんふざけてこの2つのフレーズを選んだ。
私はそんな文章は使う機会がこないだろうから覚える必要がないと思ったが、今後フランス人を笑わせるために覚えておくのもいいだろうと暗記した。

そしてそれから10年も待たずに私はこの2つの文を何度も使うことになった。



痔主になって思うが、これは何も恥ずかしいことではない。
まだ予備軍だったころは心配でインターネットでいろいろ情報を探したりしたし、スイスの病院でも産婦人科に何度も相談した。
ネットでは日本人の3人に1人が痔持ちだという情報が流れる。
スイスの産婦人科医も私の伏し目がちな告白に対し、「あ~そう」とカジュアルに返す。
妊婦が痔になるケースは非常に多いという。


もし私が小学生のときに痔主デビューしてしまっていたら死ぬほど悩んだに違いない。
そしてもういい感じに40歳が視界に入ってきている私は、やはり、痔主として生きていることに悩んでいる。

その理由は恥ずかしいからでも何でもなくて、不快だから。
まだ痛みはそんなに出ていないが時間の問題だろう。
そろそろ病院に行く段階にきているのかもしれない。


とりあえず病院の前に薬局で軟膏を買おうと思っている。
スイスでは産婦人科に処方された痔の軟膏や座薬を薬局で買っていた。
そういうときに限って対応してくれる薬局の店員が若くてかっこいいお兄さんだったりする。


「ボンジュール。私は痔主です。軟膏をください」
いや、ただ処方箋を渡せば売ってくれるのだが、どうせなら宣言させてくれ。

お兄さんが座薬の入れ方を知ってるかと尋ねてきた。
何年生きてると思うとるんじゃい。
と言いたいところだったが、スイス初座薬だし何となく入れ方を聞いてみた。

まさかの入れる向きがいつもと逆方向だった。



彼の表情に『ドヤ』の色が浮かんだように見えたのは気のせいかもしれないが、そのあと心配でネットで探してみるがそんな入れ方を推奨している人は‥‥少ないけどいた。


そんなどうでもいいスイスの薬局の思い出まで蘇るほど憂鬱な気分の私。
日本の薬局やドラッグストアで薬剤師や店員が男性だったら相手が外国人男性の場合よりちょっと恥ずかしそう。

なんでだろう。


大丈夫、彼も痔主である確率は3分の1。
もしお仲間なら私に優しく微笑みかけてくれるかも。

府中競馬場に子連れで行ってみた 

姉夫婦に誘われて府中競馬場に行くことに。

私は今まで競馬とは縁のない人生を送っていたが、姉の旦那さんの趣味が競馬。
最近は競馬場に公園感覚で子供を連れて遊びに来ている人が大勢いると言うので試しに行ってみることにした。
メンバーは私たち家族4人と姉夫婦2人、そして友達夫婦2人。
この友達♀も元彼が競馬好きだったので競馬を嗜む。


朝の9時半。
おそらく降りるのは人生で初めてのJR府中本町駅
我々が目にしたのはたくさんのおじさん(予想通り)。
そして若いカップルや親子連れ。
なるほど、競馬を見に行く人全員が手には競馬新聞、頭にはキャップ、耳には鉛筆という私の中のステレオタイプは早くも払拭された。

そして駅から競馬場までの通路には大きな荷物を携えて列をなす人がポツポツと。
何と翌日のヴィクトリアマイルという大きなG1レースの為に既に並んでいる人がいた。
初競馬場の我々びっくり。
今日(土曜日)のメインレースはG2京王杯スプリングカップで、朝から駅にはそこそこ人がいたがG1レースのときは比べ物にならないほどぎゅうぎゅうに混雑するらしい。
(姉の旦那さんに質問すれば何でも教えてくれる。)


初めて入る競馬場。
感想は、どでかい。


まだ朝なのでガラガラ。



そして子供たちが遊べる公園やアトラクションが広い場内のあちこちにあり、競馬場らしく馬との触れ合いコーナーも充実している。
スイスでも馬はたまに見ていたが、ここの馬たちは同じ動物とは思えないスタイルと毛並みのよさ。
あまり動かなかったのも手伝って、遠目から見たときは作り物かと思った。


姉が私たちを誘ってくれたのも納得である。
そして食べ物もよりどりみどり。
常設されているものだけでも有名チェーンのカレーや丼からラーメンや軽食に何でもある。
そして今はちょうど沖縄フェスティバルが開催中。
競馬に興味がない人でも食べたり飲んだりするのが好きな人なら存分に楽しめる。


私たちは芝生の近くに陣取った。
ここならゴロゴロ飲み食いしながら周りを走る馬が見れる。


気づけばもう10時。
本日の第一レースが始まる。
ファンファーレが聞こえ、数秒後に人生で初めてナマで全力疾走する馬の群れを見た。

テレビで見たことはあったが、実際のそれは想像していたよりだいぶ速い。
なんかすごいかっこいいぞ。

私は子供を遊ばせる目的で来ていたのを思いだし、一応長男を近くのアトラクションに連れていく。
姉も付き合ってくれた。

滑り台はその高さにビビったのかやりたがらず、となりにあった時間制限が1分半と子供を泣かせるためだけの時間設定になっているトランポリンで遊ばせる。

陣地に戻るとそこには寝転がってリラックスしているように見えるのに首から上だけ別人のように真面目な顔をして競馬新聞を睨む義兄(アニキ)。
となりには朝から缶酎ハイで顔が赤くなってしまっているが、これまた目を見開いて新聞を凝視する友人。
なんだかビニールシートの上の空気が張り詰めている。
ありがたいことに初心者の我々にもアニキと友人が優しく解説してくれるので、うちの旦那は予想してみる気になったらしく馬券を買いに行った。

私は馬券を買う予定は無かったが、ビールを飲んだり走る馬を見たり周りの話を聞いているうちに予想してみたくなってきた。
メインの11レース、京王杯スプリングカップの馬券を買ってみよう。
馬券を購入するにはマークカードというものに記入しなければならない。
適当に記入してアニキに確認してもらう。
私は競馬の予備知識がないので、競馬新聞を見て人気がありそうな武豊が乗る馬と、なんとなく外国人を応援しようかと思い、フランス人騎士ルメールが乗る馬の単勝複勝の券を買った。
旦那がフランス人のやる気を心配していたが、今日すでにルメールは勝っていたのでこのフランス人大丈夫そう(何様)。

昼寝する次男で馬券を温めて謎の願掛け。


ファンファーレがなり、みんなトラックのまわりに集まる。

各馬一斉にスタート。
モニターを見ているとフランス人が徐々に前に出てきていた。
ゴール地点の手前で馬が見える位置で見学していたが、走り去る先頭集団にフランス人の馬の姿が見えた。

きゃあああああ!!

銅製のヤカンのように熱くなりやすい私は思わず叫んだ。
後ろの客席のほうからはどよめきや歓声が聞こえていたが、この辺で叫んだのは私だけのようだった。

「フランス人が勝ったかも。」

はしゃぎながら近くにいた旦那に近づくと彼は心配そうな眼差しで私に言った。

「あなたやばそう、あまりそう(はまりそう)」
(フランス語ではHを発音しないので旦那のハヒフヘホはアイウエオになりやすい。)



結果はやはりフランス人の馬が1位。
武豊ダンスディレクターというステキな名前の馬は15位に終わった。

私は980円の払戻金を手に入れた。
もうさっき400円払ったことなんて忘れていた。

あまる素質はありかも、あたし。

私はただ”子供のために競馬場にいった母親”だった。今日の昼過ぎまでは。

もう競馬場へ行くのは誘われたときだけにすると心に決めた。

G1レースの盛り上がりも体験してみたいな。
今ごろ凄いことになってるんだろうな。



次はいつ誘ってもらえるかな。

手抜き弁当 ズボラ主婦でも食べる人のことは考える

先日のサバ弁が世間の目に晒されて怖いものは無くなった。

手抜き弁当 ズボラ主婦が作るとこうなる - アルプスから高尾山

ということでまたまた手抜き弁当をご紹介。

今回はハンバーグ弁当。


食べ物に関して注文の多い我が子に食べてもらうため私なりに工夫したポイントは2つ。

おかずをご飯に乗せる

うちの息子のように白米好きな人は、汁気の多いものでなければおかずをご飯に乗せてしまうのが悪くないと思う。
というのも彼は白米が好きで、ふりかけや海苔などを好まない。
子供はふりかけをかければ何でも食べるんじゃなかったのか。
白米が大好きだからといってお弁当の大半が真っ白いご飯になってしまったら彼は喜ぶかもしれないがちょっと寂しい。
そこで前回はサバをほぐしてのせたが、今回はメインのおかずであるハンバーグをスライスしてのせてみた。
これならご飯をたくさん入れても弁当が真っ白にならない。
おまけに、おかずが少なくても表面積が大きくなるので見た目がかなり盛れる。

そしてハンバーグを切ってからのせたのにはもう一つ理由がある。
これは欧州で生まれ育ったせいかもしれないが、モノにもよるが息子はよく食べ物を細かく切ってと頼んでくる。
嫌いなものを細かくして食べたいなら分かるが、好物だろうが小さく切って食べたがったりする。
鳥の唐揚げならかぶりつくのに、ハンバーグは一口サイズに作っても切ってからでないと食べなかったり無駄にお上品で手がかかる。
もっと小さいときはそんなことなかったのに。
食べてほしさにいろいろ切ってあげることも多いが、今はまだ太刀打ちできない骨つき肉にかぶりつける子になるよう徐々に訓練をしていきたい。


野菜はそのまんま

息子は野菜の好き嫌いが多いが、野菜を全く入れないとやはり彩りが良くない。
ズボラなくせにこんなんでも見栄えは多少気にしているつもりである。
そしてこれまた面倒なことに息子は嫌いなものは徹底して食べたがらないので、例えば卵焼きに嫌いな野菜を混ぜたりしたらいくら大好きな卵焼きでも手を出さない。
そのために野菜は他のものと混ぜずに一種類ずつそのまんま、好きなものだけを入れる。
(弁当には好きなものだけを入れるのは幼稚園からの指示でもある。)
今日はブロッコリー。
そして手前に沢庵のごとく鎮座する黄色いものは南瓜。

あれ、なんだこの名前を漢字にしただけでもたらされる品の良さ。

次回から毛筆で『本日の御献立』でも添えようか。

そんな時間あるならおかず一品増やそうぜ。


最近の悩みは幼稚園のお迎えに行くと第一声が「お腹すいた」なこと。
こんなに腹持ちのいい主食を弁当箱の蓋が浮くほど入れているのに平らげてもまたお腹が空くらしい。
おやつも基本的におにぎりにしている。
子供が食べなくて悩んでいる親もいるが、うちは食欲より食費が心配なケース。

そろそろ息子と旦那の弁当箱を交換することを考えたほうがいいかもしれない。

夫婦間のコミュニケーション 相手に話が伝わっている確率は体感2分の1以下な理由を考察する

近頃よくあるのが旦那に伝えたはずのことが伝わっていないということ。
ちなみに旦那は外国人だから言葉の壁がっていう以前の話。

私「この前も言ったけど、今日の夜は歯医者に行くから子供たちよろしくね」
旦那「え?そうなの?初めて聞いたけど。わかった」
こんなのが3日に1回はある。

私(また空返事してたのか。もういい加減にしてほしいわ)
旦那(また言ったつもりになってただけだろ。絶対聞いてないし)
お互い思っているけどもうそのやり取りは埒があかないと経験済なのでもうお互い何も言わない。


でも本当に多すぎる。
何かしながら話したことではなく、前日にちゃんと面と向かって座り目を見て話した内容でさえ無かったことになっている。
(この人、昨日ここに座ってた人と本当に同じ人だよね‥)
若年性アルツハイマーの文字さえ頭に浮かんだこともあった。

でもそっくりそのまま逆パターンもある訳で。
つまり旦那がすでに私に伝えたと言うことが私にとって初耳だというパターン。

旦那側の裏はとっていないが、もうお互いに相手はバカになってしまったんじゃないかと思っていた時期があると思う。
でも最近は『子供のせい』にすることにした。

私たちが話したいことを話していても集中などできるわけがない。
いつも周りにはいたずら盛りで注意しようにも言葉がまだ通じない乳児と、ママーパパーと我々の会話を遮ろうと大声を出す3才児がいる。
こんな中で連絡事項を伝えようとしてもたまに失敗するのは当然であろう。
でも中には情報共有を失敗してはいけない重要な用事があったりするわけで、それを私は冷蔵庫に貼ってある無印のカレンダーに赤字で書き込むことにし、旦那に宣言した。

「今日から大事な用事はカレンダーに書き込むから見ておいてね」

旦那はほぼ予想通りの反論をしてきた。

「えー、グーグルカレンダーで共有したらいいじゃん」

確かに私たちはグーグルカレンダーを共有しているのだが、私は意識してカレンダーを見ることを忘れ、通知を設定して通知が届いてもスルーしてしまうことがある。
ラインだって無意識に既読スルーしてしまうことがあるように。
冷蔵庫のカレンダーならいつもそこにあり、私にとって目に入りやすいのでグーグルカレンダーより確実。
旦那は私より料理をする回数が少なく、したがって冷蔵庫を開ける回数は少ない。
それでも食事をするときはいつも冷蔵庫が見える位置に座っているので見忘れたとは言わせない。


そんな旦那は「自分ももっと夕飯をつくったほうがいいだろう」と頼んでもないのにやたら言う。
料理は嫌いではなさそうだが、たまにしかしない。
昨日はそんな彼が料理当番を名乗り出た。
朝、仕事に行く前に私に、
「今夜はレシュティ(スイスのジャガイモ料理)を作るから、イモの下ごしらえだけ僕が帰る前にお願いしてもいいかな?」
私がもちろんと返事をすると機嫌良く「ありがとう。いってきまーす!」と模範的に家を出る旦那。

夜、彼が帰宅し夕飯作りに取りかかる素振りを見せないのでまさかと思って聞いてみる。
私「今日は夕飯作ってくれるんだよね?」
旦那「あ!忘れてた~。やるやる~」

やっぱり旦那はバカになった説が拭えない。

と言いたいところだが、この忘れるというのは実は素晴らしい才能である。
仕事中に『夕飯の準備のこと』は必要の無い情報で、仕事中はそれを忘れたほうが仕事のパフォーマンスは向上するし、無駄なストレスも感じない。
旦那の問題は一度忘れた必要な情報を後から引き出せないこと。
これではせっかく素晴らしい才能を持っているのにただのバカと思われてもしょうがない。

いや、おそらく私たち夫婦はお互いをバカだと思っているのだ。
その証拠に、お互いギャグが全く通じずいつももどかしい思いをしている。
私がボケると、旦那がそれをボケと捉えずに「それは違うよね」とか上から気味に説明してくる。
そして旦那が外国人ネタでボケると、この人はこんなに日本に住んでいるのにまだ日本を理解していないのかと私は彼に同情のまなざしで説明を始める。

おそらく我々2人とも自分には人並みのギャグセンスが備わっていると自負しているため、相手はそれを理解するセンスが無くて残念だと思っている。

要は2人ともバカってことか。
それはコミュニケーションに問題があるのも致し方ない。
よく関西の人々は会話が自然にボケとツッコミになっているが、あれは自分はボケ担当とかツッコミキャラとか大体決まっているようなことを耳にしたことがある。
そしたらボケ同士とツッコミ同士は仲良くなれなかったりするのか?
私は結婚する相手を間違えてしまったのだろうか。
この先2人のうちどちらかがツッコミキャラになればコミュニケーションが円滑に進むのかもしれない。

でも旦那のボケをボケとして察知できないからツッコめない。
あれ、こんなこと考えてたらもっと相手の言うことちゃんと聞かないといけないなと思えてきたぞ。
その理由が相手のボケを逃さずにツッコむためだっていいじゃないか。

今夜からちゃんと相手の話が聞けそうな気がする。

目指せ夫婦漫才師。

ハンカチとティッシュの存在意義

息子の小さなズボンのポケットにはいつも何か入っている。
あるときは公園や高尾山で拾ったどんぐりや石を持ち歩いている。
ポケットが破れそうだから石はやめてほしいのだが、いつも私の顔を見ながらそっと入れる。

またあるときは家から持ち出したおもちゃ、あるときは夢とチューインガム、
そして最近はもっぱらハンカチとティッシュ。
幼稚園で毎日忘れずに持たせるよう言われているのだ。

だがこれ、今まで使われた形跡が一度たりともない。
綺麗に畳んで入れたハンカチは帰ってきたときも綺麗に畳まれたまま。
もし使っていたらちょっとはクシャッとしたり畳み方が変わっていてもよさそうだが、いつもそのまんま。
そしてキャラクターが印刷されている水に流せるポケットティッシュも全く減っておらず、ただ毎日同じものを入れるのでパッケージだけがシワくちゃになってきている。

先日、一度も使われていないティッシュは無残にもズボンのポケットに入れられたまま洗濯された。
責めるつもりは全く無いが、息子のズボンをポケットにティッシュを入れたまま洗濯機に放り込んでいたのは旦那である。
私はそれに気づかず、ポケットを全て確認せずに洗濯機を回してしまった。
悪いのは確認を怠った私。

ティッシュペーパーをうっかりポケットから出し忘れて衣類と共に洗濯機に入れて洗ってしまった経験がある人は多いのではなかろうか。
ティッシュが細かくなって服に貼りつき面倒な事態になる。



その日も私はいつもと同じように洗濯機から濡れた洗濯物を取り出した。
あれ、なんかモヤがかかっている。
東京もここまで西側になると寒いから部屋の中にも霧が発生するのか。
それとも眼鏡のレンズが汚れているのかな。

いや違った。

洗濯物が全体的に白っぽかった。
そして洗濯機の底から発見されたのは空になった水に流せるティッシュのパッケージ。
本当にキレイさっぱり溶けていた。
とりあえず洗濯物はそのまま干し、乾いてからコロコロ(粘着カーペットクリーナーが正式名称らしい)でモヤを取り除くのに30分弱を要した。

この白いティッシュのまとわりついた洗濯物を見たときの気持ちは独特。
自分がちゃんとチェックしていたらこんなことにはならなかったのに。
悪いのは自分なのに洗われただけでつまらない災難を招くポケットティッシュという存在に憤りを感じる。
そしてやはりチェックしていない自分に後悔。
行き場の無い悔しさに思わずため息が出る。



こんな事態は避けて生きていきたい。
そんなあなたにおすすめなのが欧米のポケットティッシュ。


これはスイスのスーパーマーケット、COOPで売っている一番安いポケットティッシュ。
もっと高いメーカーのものもあるが、この一番安いものでさえしっかり分厚いのでうっかり洗濯しても溶けてバラバラになりにくい。
例えるなら厚手のペーパーナプキンのような質感。
私の周りのフランス人やスイス人たちはこれで鼻をかみ、クシャクシャにして迷わずまたポケットにしまう。
再利用は当たり前。
ちょっと盛っているかもしれないが最低でも10回は使ってから捨てると言う友達もいる。

彼らは日本のティッシュに文句を言う。
ティッシュが薄すぎて鼻をかむ度に手が汚れると。
日本のものは使い捨てなのでそれはそれで清潔でいいとは思う。
欧米のそれは分厚すぎて、貧乏性な私は一度で捨てるのが惜しい。
そして使い慣れてしまうとその頼もしさから離れられなくなる。
例えば子供が何かこぼしてしまったときなどはこの厚さが嬉しい。

以前、引っ越して間もない我が家にスイスから遊びにきてくれた友達にポケットティッシュのお土産をお願いした。
日本に越してまでいつまでもこっちを使いつづける訳にいかないとは思いつつも名残惜しい。

一方、一緒に住むスイス人旦那は私よりもこのティッシュに対する依存はなさそうである。
その代わりに鼻はティッシュではなくハンカチでかむ。
私があまりいい顔をしないので今では私の前ではあまりしなくなったが、はじめて見たときは衝撃を受けた。
鼻をかみ終わったハンカチはポケットに戻し、また繰り返し使う。
(最近は欧米でもハンカチで鼻をかむ人口は減少傾向にあるらしい。旦那調べ)

彼は逆に日本人がみんなハンカチを持ち歩き、手を洗った後にハンカチで手を拭くことに感心していた。

ハンカチは”ハンドのカチーフ”なわけで、やはり手を拭くのが正解なのではと思ってしまう。

しかしそんなことより問題なのが、鼻水まみれのハンカチは汚いなと思いつつも、面倒くさがりな私にとって洗濯する前に旦那のハンカチだけ手洗いするのはもちろん面倒くさいということ。
ポケットのティッシュを確認するのさえ面倒くさがる人間が手洗いの仕事を追加することなどできない。

そんな私はたまに洗濯物の中に紛れる旦那のハンカチを見る度に心を無にしている。


そのうち出家できるかも。

そんなわけない。




追記

やはりみなさん経験がおありなようで。

🥀🎻〜azumi〜🦔🦋 on Twitter: "洗濯機から洗濯物を取り出そうとしたとき、盛大なるティシュペーパーの紙吹雪に出逢った瞬間
#名画で学ぶ主婦業… "

たびまり。 on Twitter: "洗濯機のフタ開けたら、洗濯物が白い繊維まみれに…
「ポケット…確認し忘れてた…」
#名画で学ぶ主婦業… "