アルプスから高尾山

国際結婚しスイスに5年住んで帰国した主婦が日本とスイスのギャップに弄ばれる

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手抜き弁当 ズボラ主婦が作るとこうなる

ゴールデンウィークもあっという間に終わり、明日からまた幼稚園。
またお弁当作り。


ちょうど家に遊びに来ていた姉に、「また明日からお弁当作らなきゃ。面倒くさいなぁ」と口癖のように言ったところ、どんな弁当を作っているのか見てみたいと言う。
なんとなく写真に撮っていたものを見せると姉は全く期待していなかったリアクションをした。
写真を見るなり爆笑だった。

おもしろいキャラ弁を作っているわけでもない、ただの私らしい手抜き弁当だ。
ただ、その手抜き具合が彼女が想像する『幼稚園生のための弁当』というものからかけ離れていたらしい。

それがこれ。


彼女の爆笑の理由が「面倒くさいって言うほどのもの作ってないじゃん」であろうことはさておき。

ざっと説明すると、その面積のほとんどを占めるのは白米に焼いてほぐしたサバをのせたゾーン。
最近よくコンビニで焼サバご飯なるものを見かけるので真似してみた。
サバは息子の大好物。
あとはこれまた大好物の卵焼き。
ピーマンを醤油で炒めて鰹節を和えたもの。
極めつけは前日に作ったカレーから"拾った”人参。

ちなみにこの弁当は幼稚園の担任の助言に従って作っている。
その助言というのは以下のような内容だった。

  • 量は少なめに
  • 好きなものだけを入れる
  • あまり頑張りすぎない(キャラ弁を作ったりする必要なし)

これは子供に弁当を楽しく食べてもらい、すべて食べきる達成感を味わってもらうためということで、3つ目に関しては親に負担にならないよう気遣ってくれたのだと思うがズボラな私にとってはありがたいことである。

世間は弁当に頭を悩ませる主婦で溢れかえっているはず。
『幼稚園、弁当』というキーワードで画像検索すると、思わず目を背けてしまいたくなるほど色鮮やかでおいしそうな弁当の写真がこれでもかと出てくる。
それらの弁当箱に収まっているおにぎりのほとんどには顔がついており、こちらに向かって微笑んでいる。

こんな世の中どうかしている。

キャラ弁を否定する気はさらさらないが、幼稚園児たちにとって顔がついているおにぎりを食べることが当たり前になってしまい、顔がないと美味しく食べられなくなったら問題だと思う。
本来、お弁当の蓋を開けて顔がほころぶのは美味しそうなご飯が入っているからであり、おにぎりがこちらに微笑みかけてくるからではなかったはず。

うちの息子は私の作った弁当を今のところ残さず食べてきている。
そこには彼に微笑むおにぎりは無くても、溢れんばかりのサバがある。
サバはもはや私の息子に対する愛の形容。
私がこんなにも白米とサバゾーンを広々ととったのは彼の大好物だからであることは、幼い彼にもわかっているはず。

キャラ弁ならぬサバ弁だって、愛情を表現することはできると信じている。


そして私のこの弁当を見た人の中にはこう思う人がいるかもしれない。

「こいつ私より手を抜いてるな」
「私はこの人に比べたらだいぶ頑張ってる」

それでその方々の弁当作りに対する精神的負担が軽くなったら願ったり叶ったりである。
今後もますます手を抜いていこうじゃないか。


手は抜いても愛情は抜かない。

抜くべきものはサバの骨。

フランス人のラーメンに対する姿勢③ 特別注文編

先日からフランス人とラーメンとの関わり方についてお送りしているが、今日は『特別注文編』

フランス人のラーメンに対する姿勢① ワーホリのおもひで - アルプスから高尾山
フランス人のラーメンに対する姿勢② ラーメンの概念を覆してくるフランス人 - アルプスから高尾山


日本ではラーメン屋で◯◯抜きを頼むとしたらネギ嫌いな人がネギ抜きを注文するくらいしか思い浮かばない私。

前回、パリのラーメン屋で働いていたときにラーメンの麺抜きを頼む人がいる話をしたが、それ以外にも注文がカスタマイズされることが度々ある。

シャーシュー抜き

チャーシューが豚肉であることを知ると抜いてくれという人が結構いた。
宗教的な理由で豚肉を食べない人は、この店のラーメンのスープには豚が使われているためそもそもラーメンを食べることができない。
ここでチャーシュー抜きを頼む人々は豚肉の塊は好きではないので食べないが、出汁やスープに使われているだけなら問題ないとする人々。
特に若い女性で豚肉を食べないという人が多かったように思う。

麺以外全部抜き

ラーメンの麺抜きの注文があまりに頻繁なので慣れてしまったころ、ついに現れた。
麺だけくれという客が。

中年の女性とその娘と孫と思われる男の子の3世代の3人組だった。

茹でたラーメンの麺だけ食べてもソース無しパスタより塩気もないし美味しいと思えないと思うがよいのかと確認するが、それでいいのだと言う。
理由は彼女らの連れてきた男の子はベジタリアンだからと言う。
そして麺だけだろうが価格も通常のラーメンと同じ額になると説明するが、それでも茹でた麺だけがほしいと言う。

そこまでしてラーメンの麺を食べずとも他に肉を使っていない美味しいものが山ほどあると個人的には思うのだが。
厨房で働く日本人スタッフに受けたまんまの注文を伝える。

彼の返事は「は?」だった。
はい、それが自然な返事ですよね。
何度も説明し確認しましたが麺だけでいいと言うのです。

その次の返事は「くっつくよ」だった。
それは説明していなかったので客に確認しに行くと、それでも良いと言う。

そして茹でた麺だけがのった皿を恐る恐る客に出した。
女性たちは「これよこれ。メルシーボークー」と喜んで茹でた麺を受け取った。
食べる様子が気になって、いけないことと思いつつも野次馬したくて不自然に何度かテーブルの横を往復した。
ナイフとフォークを使って麺を切り分けて食べていた。
醤油か何かをかけていたかどうかまでは残念ながら記憶にない。

一方で私が今だにはっきりと覚えていること、それは彼女らが私を呼び止めて言ったひとこと。

客「すいません」

私「はい、何でしょうか。」
(まずいって言われてもこっちに責任はないからね…)

客「これと同じのもうひとつください」

私「ま、まったく同じものですか?」

まさかのおかわりだった。

ちなみに私が麺だけの注文を受けたのはこの人たちが最初で最後となった。
ということでこれに関しては例外編。


前菜はアリの方向で

◯◯抜きも多いが、それと比にならないほどフランス人客の多くが口にする言葉、それが『entrée (アントレ)』=前菜

いや、ラーメン屋に前菜も何もないでしょ。
そんな心配はご無用。
彼らの手にかかれば何だって前菜に変身する。

「えっとぉ、まず餃子をアントレで。メインは味噌ラーメンください」

このように多くの人は餃子を前菜にしたがる。
前菜なので食事の最初に出すべきなのだが、ここはその当時は超の付く人気店。
混む時間帯は餃子がバンバン出るので焼き続けていて、焼きあがったものからどんどん注文した客のテーブルに運ばれてゆく。
基本はフランス人に合わせて餃子を早めに出すようにしていたが、たまに餃子が出た直後にラーメンが出来上がってしまったりすることもあった。
客もアジアの店ということでそんなに気にしない様子だったり、ちょっと不本意な表情は浮かべてもわざわざ文句を口にする人は少なかった。

それでもたまに餃子よりラーメンが早く出てしまったがために憤る客もいた。

私個人としては大皿料理を取り分けてちょっとずつ食べるスタイルが好きだし、居酒屋などでいろいろなものを一度にテーブルに並べてつまむのも好き。
なのではじめの頃はフランス人がここまで一皿ずつ順番に食事を進めていくことにこだわることに驚いた。

そして、たまーに餃子の注文が多過ぎて間に合わず、客を待たせてしまうこともあった。
30分近く待たされた客は当然あからさまに不満な態度を見せる。

「私たちの注文を忘れてはいませんよね? もう30分近く待っているんだけど」
彼らが尋ねたのは、たまたま通りかかった中年の中国人女性の従業員。
彼女は客に答える。

「C'est normal. = それは普通のことです」

いや、全然普通じゃないんだけど彼女はたじろがない。
「すいません」とかそう簡単に言わない。
そんな強気な態度にさすがのフランス人客も返す言葉が出ない。
恐るべし中国人のおばちゃん。
打たれ弱い私は彼女のブレない立ち振る舞いに何度も励まされ勇気づけられた。
一生会うことはないだろうし、私のことなんて忘れてるだろうが私はあなたを忘れない。


5歳の少女の言動に自分を見る

子供たちを連れてゴールデンウィークで混み合うショッピングモールへ行った。
連休中の昼過ぎの時間帯は親子連れだらけ。

数人の子供たちが遊んでいるキッズスペースのとなりを通りかかると長男が「遊びたい!」と言うので、急ぎの用事も特になかった私は寄っていくことにした。

広くはないスペースに子供たちがぎりぎりぶつからないような距離を保ちながら遊んでいる。
そこに乗り物に乗って遊んでいる2人の少女たちがいて、長男が彼女達が使っている乗り物で遊びたいと言い出した。

「貸してくださいってお願いしてみたら?」

私が促すと、長男は大きな声で「おねがいします!」と言った。
少女のうちの1人が「なに?」と聞き返す。
私が「その乗り物に乗りたいんだって。遊び終わったら貸してくれるなか?」と聞いた。
すると彼女は「何歳?」と長男の年齢を聞いてきた。
「3さいです!」長男が答える。
彼女は「私は5歳」と言って、終わったら貸すからちょっと待ってと言った。

長男は他のおもちゃで遊び始めるが、やはりその乗り物が魅力的に見えるようで、その後も2回貸してほしいと伝えるが、彼女の返事は「私たちが帰るときに貸すからちょっと待って」。

なかなか帰る素振りも見せないので私も痺れを切らし、長男に「もう行こうよ」と言うが長男は「やだ!」の一点張り。
するとそれに気づいた乗り物で遊ぶもう一人の少女が言った。

「私たち夜まで帰らないから」

このひとことに立派な大人である私の感情は動いた。

「言ったね。じゃあ絶対に夜まで帰るなよ」

って言ったらどうなるのかなと思ったが、立派な大人である私はそれを言う代わりに、
「そっか、じゃあもう帰ろう!」と長男を説得しその場を離れた。

彼女は私の反応が薄いのが気に入らなかったのか、
「夜まで帰らないから」をその後もバグったかのように連呼していたが、それは聞こえないふりをしてその場を去った。


彼女は相手が3歳の男の子であろうが容赦せず、感情的にダメージを与える言葉を選んで言い放った。もし息子が彼女の言うことをまともに理解できたとしたら、絶望の淵に突き落とされたに違いない。
あるいはターゲットは隣にいた母親であるこの私の方で、私をぎゃふんと言わせることが目的だったのだろうか。
もし後者であったなら作戦は大成功である。

しかし5歳にして相手の感情を的確に揺さぶる術を身につけているとは目をみはるものがある。
スイスで仲良くしていた女友達が小学生の娘と女同士のえげつない喧嘩を繰り返していたことを思い出す。

あの大人気ないひとこと、「言ったね。じゃあ絶対に夜まで帰るなよ」が私の喉まで出かかった理由は2つ考えられる。

  1. 私が動物的な母性本能により攻撃された我が子を守るために反撃に出そうになったから
  2. 私の精神年齢は5歳の少女とおそろいで、売り言葉に買い言葉で喧嘩をふっかけようとしたから


どうも2つめの理由だった気がしてならない。
なぜなら、ほんのちょっと前の自分から出た言葉だが、

「夜まで帰らないから」をその後もバグったかのように連呼していたが

この表現に悪意がある。
5歳の子供に腹を立てているのが見え見えだ。

夫婦喧嘩をするときも、次第に元々の論点なんてどうでもよくなり相手を嫌な気持ちにさせる言葉をどんだけたくさん言うかっていう目的に変わっていることがよくある。
ちなみに旦那は私のこの変化に気づいて途中から応戦をやめる。
この冷静さにますます腹が立つ。


彼女は私。私は彼女。


いや、彼女はこんなおばちゃんと一緒にされたらたまったもんじゃないが、
とりあえず今日、私は5歳の少女と喧嘩できる大人だということがわかった。
すでに息子のイヤイヤ期にイライラさせられている。
今のところ息子はわざと私の神経を逆撫でするようなことは言ってこないが、口がもっと達者になればそれをしてくる可能性が十分にある。
子供の成長と共に私も本腰入れて精神的に成長しないと。
そんなこと可能なのだろうか。
でもできないとこうなる。

『見た目はオジサン、頭脳は子供』

そんなマンガは流行らない。

alpestakao.hatenablog.com

フランス人のラーメンに対する姿勢② ラーメンの概念を覆してくるフランス人

今日は先日に引き続きパリのラーメン屋で働いていたときに見たフランス人のラーメンとの関わり方についてご紹介したい。

フランス人のラーメンに対する姿勢① ワーホリのおもひで - アルプスから高尾山




相手がラーメンだろうが話が優先

フランス人は食事をしながら会話を楽しむ。
会話に夢中になり過ぎて食事がなかなか進まないこともしばしば。
ラーメンを前にしてこうなってしまうとどうなるか。麺はスープを吸ってどんどん伸びてゆく。

でもそんなことは気にしない。
ラーメンを前に繰り広げられるパリの日常。

ケラケラ笑いながら話をするかわいいパリジェンヌたち。
真面目な顔して政治について熱く語り合う男たち。
極めつけは2人の間に言葉なんていらない手をとり見つめ合う恋人同士 in front of ラーメン。

夜景の見えるレストランではなく、激混みの賑やかなラーメン屋でなぜここまで2人だけの世界を創り上げることができるのか、ぜひともコツを教えてほしいものである。
その集中力、きっと何かの役に立つ。


ラーメンはまず鑑賞する

あるとき客のテーブルに注文されたラーメンを持っていき、数分後に同じテーブルのとなりを通ると全く箸がつけられていない状態のラーメンがそこにあった。
麺が伸びてうどんのように太くなっている。
そのどんぶりの前に座るのは中年の男性。
きっと頼んでみたはいいが想像していたものと違うので食べたくないと思っているのだろう。
彼の座るテーブルの家族らしき同席者たちは美味しそうにラーメンを食べているのに彼だけが手をつけていない。

彼以外は食事を終えた様子だったので、私は食べ終わったどんぶりを下げてもよいか聞いて片付け、迷ったが手をつけていない彼にも聞いてみた。
「お済みでしたらお下げしましょうか」
すると彼は私を訝しげに見て答えた。
「いいえ、食べます」

そして本当に彼は伸びたラーメンを食べ始めた。
その途端、他の人のどんぶりを下げてしまったことを猛烈に後悔した。
許可を取ったとはいえ、食事が終わっていない人がいるテーブルの食器を下げるなんてとんだ無礼を働いてしまった。

しかし彼はなぜラーメンを食べ始める前にそんなに待ったのだろうか。
伸びたラーメンが好き。
いや、違う。きっと極度の猫舌なのだ。

フランス人は猫舌だという話はよく耳にする。
この男性は極端な例だが、よく見かけるのはラーメンを箸でつついているのになかなか口に運ばないという人。
もう食べるのに飽きた子供が食べ物で遊んでいるように見えるが、これも冷めるのを待っているようで、いじり倒した後に食べていたりする。


ラーメンとは麺が入ったスープである

多くのフランス人にとって、ラーメンとはスープであり、麺はあくまでもその中に入っている具に過ぎないと認識している人が多いように見受けられた。
その理由は麺を食べずに残す人がたくさんいたから。
日本人はどちらかといえば麺は全て食べるがスープを残す人の方が多い。
フランス人はスープは全て飲む。
そしてどんぶりに残っているのは伸びた麺、そしてチャーシューやメンマなどの具ということがよくあって、もったいないなぁと思っていた。
その証拠に日本人にとってはビックリ仰天な注文を受けることがよくある。

それはまさかの『ラーメン 麺抜き』

いや、だったらラーメン屋来なくていいでしょうと思っていたが、彼らの中にはラーメンの麺抜きと一緒にライスを頼む人もいた。
チャーシューなどの具は入っていることを考えると、豚汁とご飯を一緒に食べる感覚なのだろうか。

彼らは私の想像を超えてくる。


あれ、ちょっと確認したいんですが、これってはてなブログですよね?

ブログを始めて気づけばあと1週間で3ヶ月が経とうとしている。
こんな意識低い系主婦の戯言ブログでも読者登録してくださる方々、立ち寄ってくださる方々がいるようで本当に嬉しく思っている。


読者の方々が増えていくにつれ、周りのはてなブログのメンバーの方々にどのくらい読者がいるのか気になってきた私。
そして数日前ネットで検索していたら、このブログに辿り着いた。
はてなブログ読者数増加ランキング。

yto.hatenablog.com


私は3月9日にブログを始めた初心者だが、4月に入ると読者登録をしてくださる方が急に増え、気づけば100名を突破していた。(登録してくださった皆さん、本当に、心より感謝申し上げます。)

そして始めたばかりなくせに厚かましくも欲が出た。
(これはもしかしたら4月末にはこのランキングにのってしまうかもしれない。)
そんな期待をしなかったといったら嘘になる。

※承認欲求の芽生え


そして昨日の夜の時点で4月中に読者登録いただいた方を数えると140名。
のるかも。いや、のらないかも。



そして先ほどランキングを確認してみた。

はてなブログ読者数増加ランキング〔2018年4月〕 - ythb


あれ、いない。

2往復したけどいない。
私の増加数だと13~14位くらいに相当しているのに。
私のブログは元データには載っていないけど、他にも元データにいないけどこっちにランクインしてる人はいる。


私のブログ、ちゃんとはてなブログなんだろうか?


でも読者の方も☆付けてくださる方もいるし、はてな、なんだよね。
きっとこのブログを書いている方にスルーされただけなんだよね。
春風のように爽やかに私のブログのわきを通りすぎていったんだよね。


厚顔無恥とはこういうことを言うのだろうか。

これがもしはてなブログでなくても私は続けていくつもりだ。
私のブログの更新を待ってくれる人がいる限り。

承認欲求に別れを告げ、謙虚な心を人生の友とすることをここに誓う。

ローマは一日にしてならず!!!


あ、ブログのタイトルも変えちゃおうかな。

暑苦しいですかね?
じゃあローマのジェラートでもいかがすか?

この破壊力。
(毎度のようにひどい写真で申し訳ないが、無駄に自分で撮った写真を載せることにこだわる私。)

写真は勉強します。たぶん。

フランス人のラーメンに対する姿勢① ワーホリのおもひで

今日はフランス人の友人が美味しいフランスパンを持って遊びに来てくれた。
フランス人は食に対するこだわりが強い人が多いが、東京に住むフランス人の友人達は皆、東京の美味しいパン屋を知っている。

そんなことから私がフランスにいたときのことを思い出した。

私は数年前にワーキングホリデービザで1年間パリに滞在していた。
前もって貯めた滞在資金がそんなに多くなかった私にとって、”ワーキング”は必須だった。
そしてフランスに上陸する前の乗り換えで降り立ったコペンハーゲン空港で、偶然にもフランスのワーホリを終えて日本へ帰国する途中だという日本人女性に出会う。
彼女にこれからパリで仕事を探すつもりである旨を伝えると、彼女が働いていたというオペラ座の近くのラーメン屋を紹介してくれた。


出発前に就職活動をしてみたものの、ワーホリのビザでは職種も限られる上に、何よりその時点での私のフランス語レベルは初心者に毛が生えた程度。
就職先として花形である旅行会社のまともな人事の方々はそんなヤツを雇うワケが無かった。
身の程を知り、職種に強いこだわりもなかった私はすぐさま紹介してもらったラーメン屋へ行った。
履歴書を持っていくとありがたいことにすんなり採用された。


そこでの日々は、毎日がカルチャーショックの連続だった。
外国人たちと働くことにもすさまじい刺激を受けたがそれはまた別の機会にするとして、今回はフランス人のラーメンに対する姿勢が日本人である私の想像をはるかに越えてきたのでそれをご紹介したい。


以前、日本人のチーズフォンデュの食べ方が本場のそれとは違うことをお伝えしたことがある。
チーズフォンデュは臭いのよ 〜私の初チーズフォンデュ物語〜 - アルプスから高尾山

日本では今や世界各国の料理が楽しめるようになったが、その中にはやはり日本人の好みに合わせてアレンジされているものが多いだろうし、そうなることは自然なことだと思う。
そして食べ方も変化したりする。
例えばイタリアをはじめヨーロッパではレストランでピザを食べるときナイフとフォークを使って食べるが、日本では手で食べる人もいる等。

私の働いていた店は経営者が日本人だったので味は日本で食べるものに近かったが、フランス人客たちは相手が日本食だろうがフランス人の食べ方を貫こうとしていた。
今ではパリに日本食レストランがどんどん増えてこのような光景は見られなくなっているのかもしれない。

ラーメンだろうがお供はワイン

私が働いていた店はワインは提供しておらず、アルコール類は日本の銘柄のビールと日本酒のみだった。
しかし店に初めて来る客、特に若い女性に多かった覚えがあるが、メニューも見ずに「まずロゼをください」という人が非常に多かった。
『ロゼ』とはつまりロゼワインのことで、スイスでは私のまわりではそんなに飲まれていなかったが、フランスではよく食事と一緒に飲まれているようだった。
ロゼワイン - Wikipedia
一度、大柄の中年男性二人組にワインを注文され、無いと伝えると「じゃあ何を頼めっていうんだよぉ?」と怒号を浴びせられて震えあがったことがあった。
たまたま隣の席に20代くらいのフランス人女性が座っており、日本ではフランスほどワインを飲まないことを私に代わって彼らに説明し、なだめてくれた。
ガラの悪いオヤジにも怯まない女性。
パリに住むと人は強くなるとかスイスからパリに引っ越して10年以上たつ義理の姉が言ってたな。


ナイフとフォークください。箸はもらっていってもいいですか?

これはそのまんま、ラーメンだろうが箸が苦手でナイフとフォークで食べる人が結構いる。
そして中にはレンゲが添えてあるのにも関わらずスプーンまで頼む人もいる。
あとは箸を一本ずつ左右の手に持ちナイフとフォークであるかのように器用に使って食べる強者もいた。
なんかこう、『いーとーまきまき』みたいな動作で箸に麺を巻きつけて口に運ぶ。
もう仕事ほったらかして観察していたい。

と、ここまでは良いのだが続きが問題。
この店では箸は使い捨ての割り箸ではなく繰り返し利用できる普通の箸を使用していたのだが、なぜか時々持ち帰りたがる客がいて、「箸はもちろん持ち帰っていいのよね?」という雰囲気で質問してくる。
確かにそんなに高級そうなものではなかったが、毎度あげていたら無くなってしまうので丁重にお断りする。
そしてもっと驚いたのは許可も得ずに長い髪の毛をぐるっと団子にして箸をかんざしの如く刺してしまっていた女性がいたこと。しかも見かけたのは一度や二度ではない。
ラーメン食べるのに髪が邪魔だと思ったら、いいところにこんなものがあるじゃない!という流れなのだろうか。
これには声をかける気も失せてしまった。



このようにパリには自由な人が多そうな印象でここの客も例外ではない模様。


興味深いことがまだまだあったので次回へ続く。

ネーミングに思いを馳せるゴールデンウィーク

またまた訪れてしまったTAKAO 599 MUSEUM。
TAKAO 599 MUSEUM

高尾山の近くに引っ越してまだ半年ちょっとしか経っていないのに、すでに高尾山には麓のみも含めれば10回近く来ている。
アルプスの山々を見て育ったスイス人の旦那にとって、山は生活になくてはならないもの。
正直そろそろ高尾山では満足できなくなってきているよう。
標高599メートルしかないからね。

とりあえずこのミュージアムには前回は私と子供たちだけで訪れたので、今回は旦那も一緒に遊びに行くことに。

至れり尽くせり TAKAO 599 MUSEUM - アルプスから高尾山

今はゴールデンウィーク中ということで『世界のふしぎな虫展』という展示をしていた。
生きたカブトムシやクワガタ、花や枯葉にそっくりなカマキリなどが展示されていたが、その中で一番私の目を引いたのがこれ。


確かにバイオリンに見える。
そして虫だから『バイオリンムシ』

何もおかしいことは無い。


私は不意にちょっと前に訪れた伊豆は熱川にあるバナナワニ園のこれを思い出した。

これもコーヒーの実がなる木だから『コーヒーノキ

何もおかしいことは無い。


しかし私は思うのである。
これらの虫と植物に名前をつけた名付け親が存在するわけで、彼らは名前を決定するときに迷いは無かったのだろうかと。

もしかしたらどちらも外来のものなのでオリジナルの名前を翻訳しただけなのかもしれないし、外来生物を日本で名づけるに当たってのルールが存在するのかもしれない。

でもちょっと直球すぎて逆に気になる。
もし名付け親に上司や同僚がいたら、彼らに案を発表するときに、

「もうちょっとひねってもいいんじゃない?」
とか

「そのまんまやんけ」
とか
突っ込まれることを心配しなかったのだろうか。
それとも名付け親はその組織のトップに君臨する権限のある人なので、そんな彼に意見できる人は周りにいない状況なのかもしれない。

いろいろ想像をかきたてられる。

そして今日うちの息子が履いていた靴下が偶然これまたバナナワニ園のお土産にと義母が買ってくれた靴下だったのだ。


これ分かりにくいかもしれないが、ワニが足に噛みついているっていうコンセプトの靴下。
なかなかいいとは思うのだが、後ろ姿を見たときにハッとした。

逆光になってしまっているし、文字の方向もおかしいがご確認いただけるだろうか。
『ワニ』の2文字を。

これはおかしいと思う。
これは企画した人もっと自身を持って良かったんじゃないかと思う。

「ワニって書かないとワニに見えないんじゃない?」

この商品をプレゼンした企画者にそんな冷たい言葉を投げかけた上司がいたのだろうか。
でも手足も付いているしヘビには見えない。
もしワニであることを明記したかったのならもっと日本っぽく、
『WANI』とか、かっこよく『Crocodile(クロコダイル)』とか『Alligator(アリゲーター)』とか、大きく裏側全体に書き殴ってやったらよかったのに。
これじゃ文字のサイズも控えめすぎて近づかないと見えないし。
なにより横書きでタテに並んでいるという不親切な情報提供。

もしかしたら、これすべてを狙ってこの文字の入れ方にしているのかも。

気になる。


ゴールデンウィークはこの真相について妄想してたらあっという間に終わってしまいそうだ。

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