アルプスから高尾山

国際結婚しスイスに5年住んで帰国した主婦が日本とスイスのギャップに弄ばれる

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「最近ママちょっと疲れ気味だわ」 「なんで?」

私には3歳と1歳の息子たちがいるが、近頃やっつけられてきた。特に長男から。
彼は話をするのが大好きで、寝ているときと電車の動画を見ているとき以外はほとんどずっと話している。
トイレに入ってもドアを開けたまま私たちに向かって話しながら用をたす。

この時期が来た

そして始まってしまった。「なんで?」
何を言っても私の言い分を聞いているのかいないのか、とりあえず「なんで?」と返してくる。
一生懸命説明するものの、あまり気が長くない私はそれだけでもダメージを受ける。「なんで?」と聞いてくる時期がくるのは聞いていたが甘く見ていた。ひとたび「なんで?」が始まると何を言っても10回位連続で「なんで?」と聞いてくる。3歳児には会話の文脈もヘッタクレもない。

その上、イライラする私に追い打ちをかけるように私が他の人と話すのを邪魔する。電話中でもとなりから「マーマーマーマー」と大声で邪魔してくる。
あまり大人と会わない生活を送っているんだから旦那がいるときくらい大人同士で話させてよと思うが、必死に会話に割り込んでくる。だから重要な話は息子が寝たときしかできない。
そして私がたまに友達に会うために出かけても、子供たちを連れて行くと長男が話を遮ってくるので話に集中できず、結局せっかく友達と会えたのにゆっくり話もできずに欲求不満のままお別れすることになる。

もうムリだ

そんな口から先に生まれてきたような3歳の長男が最近、何の前触れもなく「もうムリだぁ〜」と言い出した。
ハっとした。これ、私のマネに違いないのだ。
私はイライラしてくると溜め息混じりに、「もうムリだぁ〜」と呟いているっぽい。
昨夜も眠くてぼーっとしながら夕食を食べていた私に長男が聞いてきた。
「ねぇ、もうムリなの?」
またかと思いつつ「何のこと?」と聞き返してみたが、また彼は同じことを繰り返しただけだった。
そうね、そう思うときもあるね。こんな適当な母さんでもストレスは溜まっちゃうのかしらね。

体は正直

しかしこんなに手抜きして溜め息ついて音を上げながらゆるーく子育てしているのに、こんな私が子育て辛いって言っちゃっていいのだろうか。毎日イライラしすぎて動悸が激しくなったりするのに違和感を感じつつも、今がそんな時期なだけでそのうち治まるだろうなんて漠然と考えていた。

そんなある日、起き抜けに蕁麻疹が出たので皮膚科に行くと、優しそうな女医さんが「蕁麻疹の原因のほとんどは疲れとストレスです。何か思い当たることありませんか?」と聞いた。
「えっ、ストレス…?子育てですかねぇ」なんてスカして答えたが、心のうちで私は拡声器で叫んでいた。

「全国の皆さーん!私の蕁麻疹の原因は、疲れとストレスだそうですよーーー!これは子育て、子育て、子育てによるストレスに間違いないんでございますよーーーー!!」

もう皮膚科から我が家まで選挙カー手配して凱旋してやりたかった。
先生、私の疲れとストレスについて言及してくださってありがとうございます。こんなへっぽこ母でもストレス溜める程度に子育て頑張ってるってことですね。これはぜひ旦那に報告して私を労ってもらわないと。
うはははは。

「いい加減にしなさい」の呪縛

皮膚科の待合室で会計を待っていると、となりに母親と娘2人の親子がいた。姉の方は5、6歳、妹は2歳くらいだろうか。母親は受付で話をしていて、娘たちだけが2人椅子に座っていた。だが妹は飽きてきたのか立って動き始める。それをいちいち姉が制するのだが、その言葉遣いは違和感でしかなかった。
少女は母親の口調をそのまんまマネしながら妹を叱っているのだ。
「あなた、ちゃんと座ってなさいよ」
「何度言ったらわかるのよ」
「いい加減にしなさい」

この、「いい加減にしなさい」を私は子供が生まれる前に果たして口にしたことがあっただろうか。
上司がミスを連発する部下に言いそうなフレーズだが、私はそんな偉いポジションに立ったこともないし、外国人の旦那に言ってもニュアンスが通じないかもしれないし、おそらく言ったことが無かったと思う。
今では週1で言っているかもしれない。もちろんできることなら言いたくない。
この言い方、上からすぎて嫌悪感しかない。せめて「いい加減にしてみよっか?」「いい加減にしてみちゃう?」とか提案型でいきたいところだ。

そして今日、幼稚園のお迎えのときにたまたま話をした息子のクラスメイトのお母さんは、彼女の娘が妹に向かって「いい加減にしろ」と言い出したと悩んでいた。彼女はおっとりしていて上品でいつも綺麗にしているお母さんで、娘に優しい笑顔で接しているところしか見たことがなかった。彼女の口から「いい加減に“しろ”」が出るなんて誰が想像できましょう。

3歳児の記憶力

実際に子供と生活してあらためて驚かされるのがその記憶力。「もうムリだぁ〜」の一件でお分かりかと思うが、3歳児の記憶力を甘く見ると痛い目に合わされる。
長男は、私がご飯を食べようと言えば遊んでいるだけなのに「いま忙しいからできない」と言う。
歯磨きしようと言えば遊んでいるだけなのに「いま仕事してるからできない」と言う。
そして先日、もう寝なさいと言うと「いまブログかいてるからできない」と言った。
ぎょっとした。

どこでブログなんて言葉を覚えたんだろうと思ったが、おそらく旦那が家に帰ると私に「今日は何したの?ブログは書けたの?」とか聞いてくることがあるので、それを覚えたのだろうと思う。

長男がかいていた『ブログ』がこちら。





ビッグバン‼︎
皆さま良い週末を。

幼稚園の参観日が期待以上に見どころ満載だった

初めて子供の通う幼稚園を参観した。
もちろん育メンスイス人旦那も行く気満々だったので家族みんなで乗り込んだ。

うちの子の通う幼稚園は、指定された期間内であれば都合のいい日に好きな時間帯で幼稚園にお邪魔できるという自由な参観スタイル。
我が子は内弁慶の気があるため、親と離れた状態の彼がどんな様子なのかを観察することには興味があった。
あまり他の子と遊ばないのではないだろうか。きっと先生にベッタリだろう。
そんなことを想像しながらいざ幼稚園へ。

息子どころじゃない

着いた途端、通りすがりの年長の子供が話しかけてくる。
「ねぇ、誰のお母さんなの?」
息子の名前を出すが「ふ〜ん」とおそらく息子のことを知らなそうな雰囲気。
そして私のお腹にくっつく次男に興味津々で近づいてくる子どもたち。
「ねぇ、その赤ちゃん出してぇ!」
リクエストにお答えして抱っこ紐から出すと、まだ2、3歩しか歩けない1歳児の片手を引いて散歩しだす年少の男の子。
次男は彼に引っ張られるままに足を必死で動かす。繰り返すが彼の実力はまだ2、3歩。
それなのに片手だけ強引に横方向に引っ張られるせいで次男は私たちが見たこともない足の運びを披露した。
なんかもう、『マイムマイム』だ。

そして何故か私たちのとなりにピッタリくっついてくる息子のクラスメイトの男の子。ちゃんと話をするのはこの日が初めて。
懐っこくてとてもかわいいのだが、私たちが走り回る息子を追いかけあちこち移動すると彼も同行して一緒に私たちの息子を眺めていて不思議な空気感だった。

見たくなかった息子の本性

忘れるところだったが私たちは我が子を見に来たのだ。
園庭を所狭しと走り回る子どもたちの中に彼を探す。
障害物が仕掛けられたコースがあり、子供たちは順番にトンネルをくぐったり台に登ってジャンプしたりしていた。
このコースは人気なようで、30人近くの子供たちが列に並んでいた。その中に息子の姿もある。
いよいよ彼の番。いつも通りの笑顔で楽しそうに障害物をクリアしてゴールした。
すぐにもう一度やりたいのかまた列に並びなおす。
と思いきや、彼は大胆に割り込んで並ばずに先頭に立った。
スタート地点にいた先生がそれに気付き、ちゃんと並ぶように注意する。すると息子は、言われた通り最後尾の方へ。
と思いきや、先頭から4、5人目のあたりにまた割り込む。その後ろにはまだ20人以上いるのに。
私と公園に遊びに行くときはいつも「順番だよね」と言っているじゃないか息子よ。
私はあなたをそんなキツネ野郎に育てた覚えはない。

となりでそれを見ながら爆笑する旦那。
言っときますが我が家は文句なしの連帯責任ですから。

息つく間もないランチタイム

会社員なら一息つけるランチタイムが幼稚園では山場。
うちの幼稚園は弁当の日と給食の日があるが、この日は給食だった。
そして先生たちは自分たちの食事に手を付けられないまま教室内を忙しく走り回る。

まずは飲んでいた水をこぼす子。これ基本。
箸やらフォークやらを落とした子は何人いただろう。私たちが気づいただけで10人弱だろうか(うち1人は我が子)。
その他にもいろいろ起きる。
大好きな唐揚げを丸ごと頬張り長いこと味わった挙句に飲み込めず、ただミンチ状態にして唸りながらもといた場所に戻す子。
デザートは最後と決まっているのに、嫌いなおかずが入っているせいでデザートに辿りつけないことに絶望し、この世の終わりのように泣き叫ぶ子。
すごい勢いで完食したあとにパンのおかわりを先生にお願いし、パンを待っている間にテーブルに突っ伏して寝落ちする子。
嫌いなものを食べるのに躊躇しすぎて動きが止まったせいで座ったまま白目剥いて半分寝てる子。
何の前触れもなく奇声を発する子。そして何故か一人がやると周りもやるっていう3歳児の生態。

ご飯が終わった子からまた遊び始める。
そこで我々は偶然目撃した。子供たちが走り回る広場で体格の良い男の子とプリンセスみたいな女の子が衝突するのを。2人とも地面に転げる大事故。女の子は顔面強打で顔を抑えながら泣きじゃくるが、一方の男の子は先生に「どこぶつけたの⁈大丈夫⁈」と聞かれても「は?何の話してんの?」みたいな顔してキョトン。
そこではもう『警察24時』並みに次から次へと事件が起きていた。

先生からの評価

帰りの時間になり、みんなそれぞれ自分の荷物をまとめて席に着く。
床にバッグを放り投げたまま荷物もまとめずに私のほうを見てニヤニヤする息子。
やっぱり親がいると甘えか照れ隠しかフザケちゃうんだな。いつもはちゃんとしてるんだろうけど。
そう思って私もニヤニヤしながら「ちゃんと帰る準備してよぉ」と小声で促すと、担任の先生が私の方を見て言った。
「○○くん(うちの息子)はいつも帰りの準備が一番遅いんです(困り顔)」

私は眉毛下げて微笑むしかなかった。

そして前日渡した幼稚園からの“お手紙”が今日もバッグのお手紙入れに入ったままだったことも指摘された。私が抜き忘れたのだ。

蛙の子は蛙。私はしょんぼりするしかなかった。

帰宅後すぐに何のお手紙が入っていたのか急いで確認したら、子供向けミュージカルの割引価格の広告だった。
お手紙って言われたらもっと重要なやつかと思うじゃん。
私のしょんぼり返して。


すんません、以後気をつけます。

インド人を見たら日本人が全員心配性に見えた

私はインドに行ったことがないがよく聞く評判は、
『ハマる人はドハマり、そうでない人は二度と行かない』というもの。
これには衛生事情なども大いに関わっていると思うが、先日インド人と日本人の気質の違いを垣間見る機会があり、これも合う人とそうでない人がいそうだなと思った。

車内がインド

土曜日の夕方、私達は高尾行きの中央線に乗った。
席はほぼ埋まっているが立っている人はまばら。
そして一瞬、あれ、うちら乗ったの何線だっけ。てかここ東京よね?日本よね?となるくらい視界に入ったほとんどがインド人だった。
子供から大人まで合わせて30人くらいいそうなインド人の旅行客グループ。
見渡したら周りにはそのグループに属さないインド人でない人たちもいたが、見渡してしまったのでそれに気づいた優しいインド人青年たちが子連れの私達に席を譲ってくれた。

どこまで行くんだろう

スーツケースを持っている人たちも何人かいたし、観光客だと思われる。
でも今から終点の高尾まで行って山に登るわけではないだろう。サリー着てるし。
でもインドじゃ登山もサリーなのかな。
そんなことを妄想しながら、となりの旦那に何となく言った。
「きっと高尾山には行かないよね」

旦那は答えた。
「きっと新宿まで行くんでしょ」

うん、新宿行きそう。
これからみんなで新宿でご飯でも食べるんだろう。

次は新宿

車内アナウンスがまもなく新宿に着くことを告げる。
インド人たち、降りる素振りナシ。
あれ、新宿じゃないのか。じゃあ中野かな。高円寺って柄じゃないもんな。
また私は勝手に妄想しながらインド人たちを横目で気にしていた。

そして電車が新宿駅に止まった。

ガイド、立ち上がる

電車が完全に停車しドアが開いた。
するとガイドらしきインド人男性が急に立ち上がり、訛った英語で言った。
「は〜い、皆さん、ここで降りますよ〜」

すると30人近くのインド人たちは慌てる素振りも一切見せず、次々と立ち上がって電車を降りていった。

あ、そしてやっぱり降りたのは新宿だった。大正解。

スイス人に確認

これはいいものを見た。
となりのスイス人に聞いてみないと。

私「ねーねー、今の見た?」

旦那「うん」

私「ガイドの人、電車が止まるまで何にも言わなかったよね。これだけの人数がいるのに次で降りることを前もって言わないのって日本人にとってはありえないよね。スイスだったらどうかな。なんか言うよねぇ?」

旦那「うん、次に降りるよって駅に着く前に言うかもね」

私「だよねだよね」

旦那「でも日本人は降りる駅の3つ前の駅から言うよね」

私「……言うかも」

3つは言い過ぎかもしれないが、「次の次の駅で降りますからね〜!」とかすごく言いそう。

心配と安心は紙一重

このインド人たちのリラックス感を目の当たりにし、私は日本人は心配しすぎなのではないかと思った。極端に言えば、降りる駅の3駅前、インド人はまだ楽しく談笑しているところを我々日本人は次の次の次で降りることを心配しながらもうソワソワしなければならない。
これは人生損しているのでは?
でももしこのインド人ガイドが日本人観光客を率いてしまったらクレームの嵐に違いない。
「もっと前もって言ってよね!」
「急に言われて降りそびれたらどうするのよ!」
「電車にカメラを忘れたの、あなたのせいですから!」

そう、私達は安心が大好き。
早めに心配することが安心に繋がるんだ。

そしてこういう感覚がスイス人と日本人は比較的近いと思う。

真面目気質の日本人と比較的真面目なスイス人

思い返せば外国人との気質の違いを初めて強く感じたのは若い頃に行ったメキシコだった。
そこには待ち合わせに1時間近く遅れても悪びれない人々がいたが、彼らにとってそれは当たり前のことのようだった。
そしてスイスに隣接するイタリアやフランスもスイスに比べると時間にルーズなイメージ。
スイスからイタリアへ何度か電車で旅行したが、国境を越えるとなぜかどんどん電車が遅れていった。しかも10分とかじゃない。定刻で出発し5時間後に着く予定が到着は1時間半遅れ。ちなみにスイスの電車はほぼ時間通り。
あとラテンの国でありがちなのが、窓口などが時間通りに開かないのに閉まる時間はきっちり厳守っていうやつ。

ヨーロッパで真面目な国というとドイツを想像する人が多いと思うが、私の印象ではスイス人もラテンの国々に比べたら真面目だと思う。
そして同じスイスの中でもドイツ語圏の人たちはフランス語圏の人たちを怠け者だと思っているらしい。
それでも私の旦那は私より真面目で几帳面だ。
そんな彼は私を「仕事に関してだけ無駄に真面目」だと評する。
この評価、すごく日本人らしいじゃないか。

時間だけに限らず、物事に対する「ちょっとした感覚」が違う人間と生活を共にするのは慣れるまで相当のストレスが溜まると思う。
私と旦那はいろいろな文化の違いを肌で感じながら共に生活し散々喧嘩もしたけれど、ひどくない方なんだろうなと思う。

何だかインドに興味が湧いた

最後に私が電車で見たインド人がたまたまマイペースなだけだったのか心配になり(ほら、私は真面目な日本人)、ネットで「インド人 気質」でググってみた。
インド人にありがちな29個の性格の特徴 | 生活百科
一番目に出てきたサイトの一番最初にあった、『時間を守らない』と。
そしてグーグルの『他の人はこちらも検索』という検索候補に気になる単語の羅列を見つけた。

『インド人 彼氏 嘘つき』

皆様ご苦労されているようで。


そしてこんなのも。

『インド人 美人 なぜ』

なぜ!?人々よ、なぜって来るか。


インダスの、賜物なのかなぁ(遠い目)。




追記:
柄じゃないと言ってしまったが早速こんなの見つけてしまった。東京とインド人のこと、これから勉強しないとな。
lifemagazine.yahoo.co.jp

国際結婚と災害 そして家族

日本人が外国人と結婚すると、多くの場合、自分か相手、もしくはその両方が自分の親や兄弟たちと離れた生活を余儀なくされることになる。
親に反対されて駆け落ちするなら話は別だが、そうでなければ結婚する前によく考えて家族と話し合っておきたいところだ。

自然災害のニュース

昨日の朝、大阪で最大震度6弱の地震が起きた。
被災地以外に住む人間がこのような災害のニュースを知ると何を考えるか。まずは家族や友達が近くに住んでいないかを瞬時に考えるのではないかと思う。
私にはスイスに住む大阪を含めた関西出身の友達が何人かおり、その人たちの顔が真っ先に浮かんだ。7時間の時差があるので彼女たちがこのニュースを知るのは朝目覚める6時間後くらいになるだろうか。
彼女らの家族や友人たちが無事であることを祈るが、今すぐ地震の無事を祈るメッセージを送ってもスイスでは夜中だし、逆に無事だったとしたらただの迷惑になるのではないか。でももし何かあったとしたら早めに家族と連絡を取りたいだろうし。
私がメッセージを送ることには何の意味もないのかもしれない。
心配していることを伝えたいという気持ちはただの私の自我か。

そんないろいろな考えが頭の中を駆け巡る。
犠牲者が出たことを知らせるニュースがテレビから流れる。
火事の映像が生中継されている。
それを見ながら私はただハラハラする自分の胸の動悸を聞いている。

今回は日本で災害が起きたが、逆に海外の災害のニュースを日本で知ることもある。
もしニュースから流れる町の名が自分の家族や友人の住む町だったとしたら。

身近な人の身に何かが起きたとき、日本国内であればすぐに連絡をとり場合によっては現地へ駆けつけることもできるが、海外となると時差があったり連絡が取りづらかったりと、心配しなければいけない時間が長くなることが考えられる。

そしてスイスに住む義理の両親は『日本で地震』というニュースを聞くたびに心臓をバクバクさせているのかと思うと心が痛む。

外国との距離

国によって時差はあるとはいえ、今はインターネットで海外にいながらも日本のニュースをリアルタイムで知ることができる。すっかり当たり前になってしまっているが、これはほんの数十年前には考えられなかったこと。
スイスに住んでいたころに30年以上前にスイスに嫁いだ日本人女性と話をしたことがあるが、彼女は日本を捨てる覚悟で見送る両親と別れ、飛行機に乗ってスイスへ来たと話していた。
私のスイスでの生活は、インターネット環境さえあれば無料のテレビ電話で日本の家族や友達と会話でき、日本食品店で日本の米や食材が簡単に手に入るというもの。そして飛行機代は普段の節約をちょっと頑張れば貯めれるくらいで、大体年に一度は日本に一時帰国ができる。
スイス在住30年の彼女は、こんな生活ができる日が来るなど想像すらできなかったと言う。

これだけ並べると、海外在住者にとって日本との距離はだいぶ縮まっているように思える。
確かにとても便利になって、家族とスカイプで話しているとたまに遠くにいることを忘れそうになることもある。
しかし物理的な距離が縮まる訳などなく、やはりヨーロッパは遠いのである。

家族との別れ

今週のお題は「おとうさん」ということだが、私の父が亡くなったのがまさに私がフランスに住んでいたときだった。
今から9年前のことだが、気が動転していたせいか、あまり当時のことは思い出せない。
部屋にいたときに姉からスカイプで父が倒れたと連絡を受けた。そのときたまたま彼(今の旦那)がスイスから私を訪ねて遊びに来ていた。
そして2度目に受けた電話は父がそのまま亡くなったことを知らせるものだった。

全身の力が抜けた。
家族が大変辛い思いをしているときに自分はこんなに遠くにいて何もできず、『すぐ』に帰るといっても全然『すぐ』に着くわけはない。
彼がネットで航空券の予約をし、私はそのとなりで父が50代の若さで急に亡くなったことに対するショックと、数カ月も会わないまま逝かれてしまった悲しみとどうにもならない後悔、そして母と姉に申し訳ない気持ちで、ただそこにいただけだった。
結局、私は通夜に間に合わず葬儀に参加した。


このフランスでの滞在はワーキングホリデービザによるもので、たった1年だった。
その1年の中で親を失った。
出発前はまさかそんなことが起きるなど全く想像していなかったが、今更ながら海外に住むなら当然覚悟しておかなければいけなかったことだと思う。


フランスの後に住んだスイスで、勤めていた会社の日本人の上司が社員たちの前で「私は父親が危篤だと言われても日本に帰るつもりはない」と言っていたことがあった。彼の言い方は私にとって(だから君たちも帰るなよ)というパワハラのメッセージにしか聞こえなかったが、死に目に会えないかもしれないと覚悟している人は多いだろう。

また、他の職場の同僚だった中国人男性は、上司から夏休みを取るように何度も催促されているのに危篤状態の父親が本当に危なくなったときに帰るんだと言って休暇の日程を決めるのをしばらく渋っていた。
スイス人の上司は生きているうちに早く行ってあげるべきだろうと言ったが、彼は中国で父親が亡くなる瞬間を見届けずに自分がスイスに戻ってしまうことを非常に恐れていた。

遠く離れた海外で暮らすとはそういうことだ。

家族の理解と協力

私は母と姉にいつも助けられ理解してもらえることを本当に心から感謝している。
残念ながら海外に住むだけで親や兄弟に多大なる迷惑をかけることは避けられないと思う。

そして忘れてはいけないのは、結婚相手も同じ状況にあるということ。
私が家族の近くに住めば、彼は家族から離れる。逆も然り。
どちらかが親と絶縁状態などでない限り、これは親が存命な限り常に考えていなければならない問題。
ただ親の介護の問題に関していえば、以前はヨーロッパ人のほうが『子供に面倒を見て欲しい』と思っている親は少ないイメージがあったが、数年前に実際に年老いて生活に支障が出てきたスイスに住む両親のために他国からわざわざスイスに引っ越した家族と知り合ったので何とも言えない。
今現在は私達は日本に住んでいるので、スイスに住む旦那の両親の健康を願ってやまないのはもちろん、もしものことが起こったときにできるだけすぐに行動ができるよう、普段から夫婦間で話し合うようにしておかなければならない。

我々は2011年の東日本大震災を私は東北の実家で、彼は首都圏で経験している。
そのときは結婚していなかったのもありあまりそういった話し合いもできておらず、関係は危機的状況に陥った。
そのまま彼は心配するスイスの家族のために一旦スイスへ帰国。彼は日本にまた戻ってくると言ったが、私はその可能性は低いと感じた。
冷静に振り返れば彼の両親が心配して帰ってこいというのは当然のことだし、逆の立場なら私はすぐに帰ると思うが、その当時の状況下で帰る彼を私は恨んでいた。

何がどうなってかはよく覚えていないがその翌年に我々は結婚している。
震災の後スイスに戻った息子をまた日本に送り出した彼の両親の勇気と我々に対する思いやりには本当に頭が下がる。



このように国際結婚はそれを取り巻く家族の理解と協力なしには成り立たないことを肝に銘じておかなければならない。
そして自分の家族はもちろん、相手の家族に対しても感謝を忘れてはいけない。

今回の地震をきっかけにそのことを改めて痛感した。

最後に今回の震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。
ブロック塀なんて無くなってしまえばいいのに。

私がブログを始めたことにより得た副産物 

ブログを始めて早3ヶ月が経った。
3日坊主になるのではと心配していたが、今やめたとしても3ヶ月坊主だ。やったぞ。
これはひとえに読んでくれる方がいるおかげ。みなさん、本当にありがとうございます。


ブログを始めて良かったことの中の1つが社会に関することや日本で流行っていることについて知る機会が増えたこと。
そして自分の世間知らずっぷりを自覚した。


帰国後の生活

私が日本に帰国したのは2017年の秋。
5年間のスイス生活の大部分は妊娠と出産に費やしたし、帰国後も子育てに追われていたのでそれ以外のあらゆることに疎くなっていた。
帰国したばかりで最近の日本のことはわからないことだらけ。もともと我が家はテレビも見ないので情報は自分で探さなければ入ってこない。
主要なニュースだけはチェックしていたものの、本も以前は読んでいたがほとんど読まない。映画も観ない。たまに観るのはユーチューブ。
ツイッターやフェイスブックはアカウントはあったがほとんど更新していなかった。
日本の最新芸能情報などは自然に入ってくるものではないので、スイスの私まで届いた人は、ニュースになったピコ太郎と好きなユーチューバーがたまたま真似していたブルゾンちえみだけだった。
もともと社会情勢や流行などに敏感なタイプではないが、家族と親しい人たち以外には特に興味をもたず、自分と家族に必要な情報だけを探して生活していた。
そして徐々に私は必要最低限の情報があればいいと考えるようになっていた。


ブログを始めたら情報が雪崩れ込んできた

帰国して5ヶ月後に思いつきでブログを始めた。
新しい土地に引っ越して家族以外の人と会うことも少なく、話すのが好きな私は話せないストレスを書くことで発散しようと思った。
正直ブログを始めた当初は自分のブログのことしか考えていなかったのだが、いつのまにか他の方々のブログを読み漁っている自分がいた。
するとどうだろう。
そこでは今まで自ら探しに行かなかったような情報がどんどん入ってくる。
これはまさに期待していなかったブログの副産物。
聞いたことのない言葉や人名、カタカナの単語が文章の半分を占めていそうな私にはチンプンカンプンな専門的な内容のブログまで、今まで私の生活には入ってこなかったであろう情報がそこにはたくさんあった。
一方、ブログ用にアカウントを開設して数年ぶりにツイッターを見てみると、日々起きている事件やメディアでの著名人や一般人の発言に対し、多くの人たちがツイートしたりリツイートしたり、とにかく大盛り上がりで驚いた。
私が子供にご飯を食べさせオムツを代えている間に世間ではこんなにたくさんのことが起きていたんだ。
そんな当たり前なことを思い出させてくれたキッカケはブログだった。


最近習った言葉

先日、子供が寝たのでツイッターを覗いてみた。せっかくアカウント開設したのにいつも存在を忘れがちだ。
忘れがちなので開くたびにものすごい数のツイートがアップされている。たくさんの人たちをフォローしている人は全てのツイートを読んでいたら人生はツイッターで終わってしまうと思うのだが、みんな全部は読んでいないのだろうか。
とにかく、私がフォローしている人のツイートから行き着いたツイートに気になるタグがあった。

#ミソジニスト

私がこの言葉を目にするのは始めてではない。
でもツイートの内容とこのタグのつながりが理解できなかったので、念の為にネットで検索してみた。

女性、女性らしさを嫌悪する人物をミソジニスト(misogynist)と呼ぶ。

引用元リンク ミソジニー - Wikipedia

あ。

もうご察しの方もいるかもしれないが、私は『三十路ニスト』だと思っていた。
『サユリスト』のような造語であるとばかり思っていた。
サユリストって知ってます? 若い時代は 驚きの可愛さだった 人気女優 吉永小百合 - NAVER まとめ

私の想像していた『ミソジニスト』は、三十路を謳歌する洗練された女性だった。
かすってもない。がっつり英語だし。

英語となればここは私の旦那の出番。聞いてみるともちろんこの言葉のことは知っていた。
ついでに『ミザントロピスト』という類語も教わった。人間嫌いな人のことらしい。
Misanthropy - Wikipedia


情報ってやっぱりあったほうがいい

世間は無駄な情報で溢れかえっているということも耳にする。
SNSなどはその根源であると思うが、その情報が必要かどうかはその人個人の問題なので、たくさんの情報に触れてその中から自分の必要と思うものだけを知識として蓄えていけばいいと思う。
『ミソジニスト』の一件は私にとって必要な情報だった。
知らずにうっかり『私、ミソジニストだからさ(前髪かき上げる)』とか口走る前にこのツイートに出会って良かったし、今後どこかで女性をやたら嫌悪する発言をする人を見たり、そういう人に実際に出会ったりしたときに(これがあのミソジニストか。ふんふん。)と、知っていれば慌てず落ち着いて対処することができる。
もし知らなかったら(この人、なんてこと言うの。ひどい!!)なんて取り乱してしまうかもしれない。

他にも最近(ユーチューブ無駄に見といてよかったわぁ)と思うことがあった。
それは子供2人を連れて高尾山に出かけ、チック症の一種であるトゥレット障害という障害を持った人たちを見かけたとき。神経系疾患の難病に認定されている。
トゥレット障害 - Wikipedia

私は一時期ユーチューブでドキュメンタリーを見るのにハマった時期があり、その障害に関するビデオを見ていた。この病気が世間でどのくらい認知されているのかは分かりかねるが、最近の新しいビデオを見つけたのでこの病気を知らない方や興味のある方は是非観ていただきたい。
英語だが主な症状は理解していただけるはず。
www.youtube.com

彼らを実際に見たとき最初は正直びっくりしたが、すぐにその障害であることを理解できた。もし私がトゥレット障害のことを知らなかったらきっと怖がったと思う。親が怖がればとなりにいる子どもたちもそれを感じとるが、知っていれば子どもたちに説明することができる。
このような病気に関する情報はぜひ多くの人に届いてほしいと願う。

まとめ

新しいブログに出会うとその人が他にどんな記事を書いているのか気になりいろいろ読んでみたくなる。そして、まだ読めていないブログやきっと自分好みなのに出会っていないブログが山ほどあると思うともどかしい。
これからも家事や子育てをほどよく手抜きしながらブログを書いたり読んだりする時間を大切にしていきたい。

できればユーチューブも朝から晩まで見たい。

できればカラオケ5時間くらい行きたい。

大人のポテトサラダとフランス語

私はポテトサラダが好きだ。
サラダなのに食べごたえがあって高カロリーなところが好きだ。
基本のポテトサラダは玉ねぎ、きゅうり、人参、ハムなどが使われることが多く、それはそれでとても美味しいのだが、たまにはちょっと大人風にアレンジしてみるのも悪くない。

今日は私が先日作った2種類のポテトサラダを食材のフランス語と共にご紹介したい。
ちなみに私の料理はいつも目分量なのでポテトサラダを知っている人、作ったことがある人向けのレシピになっている点をご了承いただきたい。

ピクルスのポテトサラダ

スイスではピクルスをよく食べる。
代表的なスイス料理のラクレットのお供には必ずピクルス。
フランス語では『Cornichon』
ネット上で調べると日本語では『コルニッション』になっているが、私個人の意見では(ッ)は省いて『コルニション』と発音したほうがフランス語に近いと思う。
もっと言えばフランス語の『r』の音は喉の奥から出すので、フランス語を話すときはローマ字読みの『ラリルレロ』がなんと『ハヒフヘホ』の音に近くなる。
つまり『コルニション』は『コフニション』そして語尾の『ション』は、あのフランス語の代名詞である鼻母音なので、鼻から抜けるような『ォン』の音が欲しい。
この単語が上手に発音できるだけでフランス語がペラペラに話せるような気になる。

そのくらいフランス語らしい単語、コルニション。
フランス語では他人を侮辱するときに『バカな人』という意味でも使われる。
ついでにジャガイモは『Pomme de terre(ポムドテール)』で直訳すると『土のリンゴ』。
もっとカジュアルに英語のポテトのように『Patate(パタット)』ということもあるが、この単語もコルニションと同様に『バカな人』という意味で使われることも。
フランス人は野菜をなんだと思っているのかと突っ込みそうになったが、日本語でも『おたんこなす』、『どてかぼちゃ』、『イモくさい』など野菜を使った他人を卑下する言葉があるので万国共通なのかもしれない。

そんなおバカな人たちを使ったピクルスのポテトサラダ、作り方はいたって簡単。

まずは材料(量はすべてお好みで)

  • ジャガイモ
  • 玉ねぎ(粗みじん切り)
  • コフニション(5ミリ幅に輪切り)
  • 粒マスタード
  • マヨネーズ
  • お酢
  • 胡椒
  1. ジャガイモを皮付きのまま圧力鍋で10分間蒸す
  2. ジャガイモが触っても火傷しない熱さになったら手で皮を剥き、好みの大きさに切る
  3. ボールにマヨネーズとお酢を合わせたもの、粒マスタード、玉ねぎ、コフニション、切ったジャガイモを入れ混ぜる
  4. 味見をしながら塩、胡椒、なんならマヨネーズとお酢を美味しくなるまで足す

ポイントはジャガイモは皮付きのまま加熱してアッチッチと言いながら手で皮を剥くこと。
ジャガイモを生の状態で皮を剥いてから蒸すより早い!安い!うまい!
あ、安くはないが不器用なせいで皮を分厚く剥いてしまい無駄になる部分は少なくて済むのでやっぱり安い!
もうひとつのポイントはコルニフォンを厚めに切ること。
フォルニコンは歯ごたえ命!


アンチョビのポテトサラダ

アンチョビとはカタクチイワシの塩漬けのオリーブオイル漬け。
これもヨーロッパではよくお目にかかる。
アンチョビという名前、初めて聞いたのはいつのことだろうか。
アンはいいとして、おかしいのはチョビだ。ちょび髭のチョビ。
それがフランス語になると、『Anchois』となる。
これフランス語に馴染みのない人はスペルから読み方を推測するのが難しいと思うが、まさかの『アンショワ』と読む。
アンチョビもなかなかだが、アンショワ。
この『アン』も鼻から抜ける鼻母音。
『アンショ』まではすんなりくるのに『ワ』で一気に裏切られる感じがたまらない。
ある意味、『(小声で)アンショ……
ワーーー!!!』だ。

そんなお茶目なアンチョビを使ったポテトサラダの作り方いってみよう。

まずは材料(量はすべてお好みで)

  • ジャガイモ
  • アンショワ(みじん切り、あるいはペーストを使用)
  • 玉ねぎ(粗みじん切り)
  • にんにく(おろしたもの)
  • マヨネーズ
  • お酢
  • 胡椒

作り方はピクルスバージョンと一緒なので割愛させていただく。
ポイントは胡椒。是非あらびきで、食べたらガリガリするくらい入れてもらいたい。
“大人の”ポテトサラダなので。
あとご注意頂きたいのがアンショワの塩辛さ。
初めてアンショワの缶詰を自分で購入して食べたとき、その小ささに思わずまるごと口に放り込んでしまったが、あまりの塩辛さに寿命が縮まったと思った。
食べた人が「ワーーー!!!」っとならないよう、味見だけは忘れないようお気をつけいただきたい。

多言語国家スイス そしてスイス人とフランス人の不思議な関係

私のスイス人の旦那はよくフランス人の友達と遊んでいる。
先日もそんなフランス人友達の中の1人の家に招待され、家族みんなで遊びに行った。
欧米人が大好きな『ホームパーティー』というやつである。

旦那はスイスのフランス語圏の出身で、同じ言語を話すフランス人とは一緒にいやすいようだ。
フランス人の友達はたくさんいるのにフランス語以外を母国語とするスイス人の友達はそんなに多くない。


スイスには国語が4つある

よく「スイスって何語?スイス語?」という質問を受けることがあるが、『スイス語』と呼べるものは『スイスドイツ語』である。
国内で話している人口が多い順から

  • ドイツ語(スイスのドイツ語)
  • フランス語
  • イタリア語
  • ロマンシュ語

となる。

ちなみにスイスのドイツ語はドイツ人が聞いても理解できないとか。
学校で習うのはドイツで使われているドイツ語なので、日本でいうところの標準語と方言といったところだろうか。
しかも同じスイスドイツ語でも地方によってかなり訛りが強いらしい。
私は東北出身だが、地元の言葉を地元出身者以外の人に話してもほとんど理解されないので、私の中ではスイスドイツ語もそれに近いのだろうと理解している。

また、スイスのフランス語も訛りがあるが、そのままフランス人に話しても問題なく理解される程度。
フランス語はフランス国内でも地方によって訛りがきつい。


バイリンガルやトリリンガルがゴロゴロいる

多言語国家であるスイスには多言語を話す人がたくさんいる。
学校では自分の母国語以外の国語と英語が必修科目になっている。
これだけでまじめにやれば3ヶ国語話せる人になる。
もちろん日本人で英語を話さない人がたくさんいるのと同じように「ドイツ語は8年も勉強したのに全然話せないよ」というスイス人もたまにいるが、日本に比べたら触れる機会が多いし、県内で2ヶ国語話していたりする地方もあるので覚えやすいように思う。
例えばスイスで売られている食品のパッケージの裏を見ると、成分表示はいつもドイツ語、フランス語、イタリア語の3ヶ国語で表記されている。(やたら文字多い。)

また、ヨーロッパからの移民も多く、両親の国籍が違うハーフもとても多いので、それだけでまた言葉が増える。
日本で3ヶ国語以上を流暢に話せる人はそう多くはないが、スイスでは全く珍しいことではない。
そして発音の違いなどに苦しめられることなく自然に数ヶ国語を習得できてうらやましいなと私はいつも嫉妬している。


スイス人同士なのに外国語で話すことも

これは私がヘンに感じることなのだが、スイス人同士でも違う言語圏の人でお互いの母国語が苦手だったりすると(あまり多くないパターンに思えるが)英語で話したりする。
日本には国語が日本語しかないので、日本人同士が外国語で話すことを強いられることはあまりないだろう。
東北のおばあちゃんと沖縄のおばあちゃんが標準語が話せずに言葉が通じないということはあるかもしれないが、そこで第3言語の外国語を用いるというのは可能性はなくはないかもしれないが想像しがたい。
スイスではそんなことがたまに起きたりする。


同じ言語で話していてもフランス人はもちろん外国人

スイス人にとって外国人であるフランス人と同じ言語を話している私のスイス人旦那。
私は「ドイツ語を話すスイス人よりフランス語を話すフランス人の方が親しみを感じちゃうんじゃないの?」と聞くが、彼はそんなことはなくフランス人は同じ言葉を話していようが外国人に感じるし、ドイツ語圏のスイス人は言葉が違えどスイス人同士と感じると言う。(それが紛れもない事実であるし。)

しかしスイスのドイツ語圏では食べ物をはじめドイツ文化の影響を強く感じるし、スイス国内でも言語圏による文化の違いが大きいように感じるので、なんとなくフランス人の方がドイツ語圏のスイス人より私の旦那との距離が近いように見えてしまう。


フランス人との距離感が保たれる理由

先日のホームパーティーには日本人とフランス人がそれぞれ10人近くずついたが、スイス人は私の旦那1人だった。
そしてフランス人たちと話したら、旦那がフランス人を外国人と思う理由がなんとなく分かった。
フランス人はスイス人をやたらネタにしたがるのである。
私も散々このブログでスイスとフランスをネタにしているが、フランス人も他人をネタにするのが大好き。
すぐ隣にある山に囲まれた小さな国は絶好のネタになる。

何を言っていたか思い出してみる。
「スイスは山とフォンデュしかない」
「フランス語が訛っている」
「とりあえず田舎っぺ」
ざっと主要ネタはこんなところである。
以前、フランス人の友達がこんなジョークを私に言った。
「スイス人はカラオケが下手。その理由はスイスで大きい声を出して歌うと山の雪が全部落ちてくるため練習できないから」
これを聞いた私は今の旦那と付き合ったばかりだったのでバカにされたことでちょっと悲しい気持ちになった。(今では失われてしまったこの気持ち。)
しかしこのジョークを他のフランス人に話すとみんな腹を抱えて笑い、ジョークを言った彼を絶賛するのである。

この前パーティーで話したフランス人のうちの一人はスイスに住んだという私にスイスネタをいろいろ話したそうだったが、
「これ言うと怒られちゃうかも・・・他のスイス人の友達に言ったら怒られちゃったから・・・」
と30も過ぎていたずらっ子のような笑みを浮かべるのだった。

スイス人の中にはこんなフランス人を目の敵にしている人たちもいるようで、私の知り合いの1人はフランス人が大嫌いになり2度とフランスの地に足を踏み入れたくないと思っている。
私の旦那はフランス人慣れしているのか、私にスイスの文句をいわれ過ぎて慣れたのか、多少スイスをネタにされたくらいでは怒らない。
彼の愛国心は強く揺るぎないので(決して国家主義者ではない)ちょっと外野にいじられたくらいでは痛くも痒くもないようだ。

そんな彼はパーティーでこんなことがあったよと帰り道で私に報告してきた。
旦那は3人のフランス人を前に話をしていた。
「この前さぁ、下の息子が1歳になったから誕生日ケーキに1本ローソクを立てて火をつけたんだけど、普通なら火傷しないようにとか髪の毛が燃えないようにとか気をつけるんだけどさ、うちの息子は1歳になってもまだご覧の通り髪がないからその心配はいらなかったよ。あはは~」
するとフランス人のうちの1人がこう言った。

「・・・・・悪いけどその話、あまり笑えないよ・・・」

見るとそこにいたフランス人たち3人はみんな仲良く額が後退し始めていた。
それに気づいた旦那はまた1人で笑った。
みんな気心の知れた間柄ではある。
親しい中にも礼儀ありと言いたくなるところだが、彼に悪気は無い。
本当はそれが一番やっかいなのだが、いつもいじられているのでたまにはいいじゃないか。


旦那は家についてからもこのことを思い出し涙を流しながら爆笑していた。
私もスイスをネタにするのはほどほどにしたほうがいいかもしれない。